初級翻訳・魔法人形 第8話

江戸川 乱歩

女の子にしちゃあ、なかなか、しゅうねん深いぞ。
だが、いくらあばれたって、この箱がびくともするものか。
ワハハハ……。」

じいさんは、ひっきりなしにウイスキーを飲みながら、気ちがいのように、とんきょうな声で笑いつづけるのです。
箱の中の小林君は、だんだん息ぐるしさがひどくなってきました。
とうとう、このまま死んでしまうのかと思うと、残念でたまりません。
さすがの少年名探偵も、まっ暗な箱の中で泣きだしたくなってしまいました。
もうすっかり、よっぱらってしまった老人は、またなにか、わけのわからぬことを、しゃべりだしました。
「だが、待てよ。
このままではおもしろくないぞ。
ああそうだ。
おい、おじょうさん、おれはいいことを思いついたぞ。」「待て待て、いま、きさまを楽にしてやるからな。
ちょっとのがまんだ。
すぐ楽になるぞ。
ワハハハ……。」
 そう言って、おじいさんは、よろよろと立ち上がりました。
箱の中の小林くんは、かすかに「楽にしてやるぞ」という声が聞こえ、おじいさんが立ち上がった様子だったので、思わずドキッとして耳をすませました。
「楽にしてやる」とは、いったいどういう意味でしょう。
「もしかして、あいつはぼくを殺すつもりじゃないだろうか? そうだ、きっとそうだ。
ただ箱の中に閉じ込めただけではすぐに死なないから、なにかもっと早く殺す方法を思いついたにちがいない。」
 小林くんはそう思うと、ゾッとして、心臓が止まってしまうような気がしました。
怪しいおじいさんのかすかな足音が、よろいびつ(甲冑をしまう大きな木箱)のそばを離れてどこかへ遠ざかっていきましたが、まもなくまた戻ってきました。
楽にするための道具を取りに行ったにちがいないのです。
「ピストルじゃないだろうか。
あいつは箱の外からいきなりピストルを撃って、ぼくを殺すのじゃないだろうか。」
 小林くんの全身から、冷たい汗がにじみ出てきました。
「あいつは狂っている。
あいつの目は狂人の目だ。
殺人鬼にちがいない。」
 小林くんは、もう覚悟を決めました。
今にも「パン」と音がして箱の横っ腹に穴が空き、自分の胸へ鉛の弾が飛び込んでくるのだと、諦めの気持ちになりました。
「明智先生!」
 思わず、なつかしい先生の名前を呼びました。
にこやかな先生の顔が、まぶたの裏にハッキリと浮かんできました。
しかし、どうしたことでしょう。
覚悟をしていたピストルの音は、いつまでたっても聞こえないではありませんか。
そのかわりに、ゴシゴシと板をひっかくような音が聞こえてきました。
そして、そのたびに、よろいびつがかすかに揺れるのです。
ああ、わかりました。
なにかでよろいびつの外側をこすっているのです。
いや、穴をあけようとしているのです。
きっと鋭い刃物でしょう。
刀かもしれません。
昔の長い刀の切っ先で、板をゴシゴシとこすっているのです。
「ああ、そうだったのか。
ピストルではなくて刀だったのか。
キチガイじいさんは、刀でぼくを突き殺そうとしているんだな!」
 そのとき、小林くんのまぶたの裏に、ふしぎなものが浮かんできました。
ずっと前に見た、手品の舞台です。
ちょうどこのよろいびつのような四角い箱の中に、ひとりの少女が閉じ込められるのです。
そこへ西洋の魔法使いのような格好をしたマジシャンが、ピカピカ光る長い剣を七、八本もかかえて現れます。
そしてマジシャンはこの剣を一本一本、四方から箱の中へと突き通すのです。
観客には、箱の中の少女がたくさんの剣で突き殺されたように見えます。
箱の中からは少女の悲しい叫び声が、観客の魂を揺さぶるように聞こえてくるのです。
「あれだ。
今にぼくは、あれとそっくりのめに合わされるんだ!」
 ギリギリという刃物の音は、だんだん箱の板に食い込んできます。
やがて鋭い切っ先が現れるでしょう。
しかし、小林くんの体は箱の中いっぱいに詰まっているので、身をかわす隙間はありません。
切っ先は、まともに胸を突き通すにちがいないのです。
小林くんはもうたまらなくなって、あの手品の少女のように悲しい叫び声をあげようかと思いました。
そのとき、「ブツッ」と音がして、箱の板に穴が空きました。
暗くてよくはわかりませんが、刀の切っ先のようなものがすぐ目の前に現れたのです。
小林くんはハッとして目をつぶりました。
もう殺されたと思いました。
ところが、ふしぎなことに、どこも痛くはありません。
いつまでたっても、何事も起こりません。
目を開けてみると、板に大きな穴が空いていて、そこからろうそくの光が差し込んでいました。
もちろん、そこから空気も入ってくるわけです。
気のせいか、いくらか息が楽になったようです。
「ワハハハハ……おじょうさん、びっくりしているね。
殺されると思ったのかね? ワハハハ……まだ殺さないよ。
ちょいと寿命を延ばしてやったのさ。
息が詰まって死んじゃおもしろくないからね。
息抜きの穴を作ってやったのさ。
どうだ、おれの声がよく聞こえるだろう?」
 いかにも怪しいおじいさんのしわがれ声が、今までよりハッキリと聞こえます。
酒くさいおじいさんの息のにおいさえ、ただよってくるのです。
赤いほのお

「ねえ、おじいさん、いったいあたしをどうしようっていうの?」
 小林くんはあくまで女の声で、板の穴に口を寄せるようにして叫ぶのでした。
すると、酔っぱらいじいさんのわめき声が答えました。「ワハハハ……心配かい? なぁに、おまえを食べてしまったりはしないさ。
ただね、ちょっとお酒のおつまみにしているだけさ。
おまえの声が聞こえないと、お酒が美味しくないからねぇ。
ワハハハハ……!」

 あやしいおじいさんは、またよろいびつ(甲冑をしまう木箱)に腰かけて、チュッ、チュッと舌なめずりをしながら、ウイスキーを飲み始めました。
 一口飲んでは、わけのわからないことをベラベラとしゃべり散らすのです。
 そして、とてつもなく気味の悪い笑い声をあげるのでした。
 もともと頭がおかしいような男が、すっかり酔っぱらってしまったのですから、口走ることはめちゃめちゃでした。
 小林くんは、すっかりバカバカしくなってしまい、口をつぐんでしまいました。
 酔っぱらいに何を言っても無駄だと思ったからです。
 あやしいおじいさんは、それから三十分ほども自分の言いたい放題の悪口をたたいていましたが、そのうちしだいにろれつが回らなくなり、言葉のほかに、変な音がまじるようになってきました。
 いびきです。
 箱に腰かけたまま、いびきをかき始めたのです。
 すると突然、ガチャンとガラスが割れる音がしました。
 手に持っていたウイスキーのビンかコップを、床に落としたのでしょう。
 まもなく、ドシンと大きなひびきをたてて、おじいさんが箱からゴロゴロと床に転がり落ちました。
 そしてあとは、シーンとしずまりかえったアトリエの中に、おじいさんのいびきの音だけが響きつづけていました。
 おじいさんは、ついにすっかり酔いつぶれてしまったのです。
 小林くんは、今だ! このすきに逃げ出さなければと思いました。

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