初級翻訳・魔法人形 第13話

江戸川 乱歩

部屋に入ると、男はガラス戸棚の中の人形たちを見て、自分の持ってきたユリ子人形を長椅子にかけさせ、おかあさんから代金を受け取ると、何度も頭を下げて帰っていきました。
サナエちゃんは、みんなが部屋を出ていってユリ子人形とさしむかいになると、三十分ほども身動きひとつせず、じっと人形を見つめていました。
うれしさのあまり、気が遠くなるほどでした。
やがてサナエちゃんは、ふと人形に呼びかけました。
「ユリ子ねえちゃま!」
長椅子にかけている人形の目がこちらを見たように思われました。
きっと、聞こえたに違いありません。
「あたし、ねえちゃまが好きよ。
好きで好きでたまらないわ。
」
サナエちゃんは涙ぐんでいました。
涙でかすんだ目でじっと見つめていると、ユリ子人形がにこやかに笑って、「さあ、抱っこしてあげますからいらっしゃい。
」と言っているように見えました。
「おねえちゃま!」
サナエちゃんはそう叫んで、人形の胸にとびついていきました。
深夜の怪

 進一君は、なんだか心配になってきました。
人形を買ってから三日ほどたったのですが、サナエちゃんがあんまり人形に夢中になりすぎて、本当に気が変になってしまうのではないかと心配になったからです。
進一君は、どうもあの人形すじが怪しいと思いました。
第一、売りに来た男が気に入らないのです。
あいつはまるで西洋の悪魔みたいな顔をしていました。
ひょっとしたら魔法使いかもしれません。
魔法使いの持ってきた人形なら、それは魔法の人形です。
サナエちゃんがあんなに夢中になるのも、その魔法にかかっているからに違いありません。
その晩、進一君は恐ろしい夢を見て、真夜中にふと目を覚ましました。
なんだか変な感じがします。
どこかでとてつもないことが起こっているような気がして仕方のないのです。
ひょっとしたらサナエちゃんに何かあったのではないかと心配になってきました。
進一君はベッドから起き上がると、手早く枕もとにあった服を着ました。
そして廊下に出ると、足音を立てないように隣の部屋の前に忍び寄り、そっとドアを開けてみました。
サナエちゃんはベッドの上ですやすやと眠っています。
心配したようなことは何も起こっていなかったのです。
またそっとドアを閉めて廊下に出ました。
そして自分の寝室に戻ろうとしますと、どこからかかすかに「コツ、コツ」という音が聞こえてきました。
足を止めて、じっと耳をすませました。
廊下の曲がり角の向こうから聞こえてくるようです。
コツ、コツ、コツ、コツ。
だれかが歩いているのでしょうか。
しかしスリッパが「コツ、コツ」という音をたてるはずはありません。
水道の水がしたたっている音かと思いましたが、そうでもないのです。
ネズミが板をかじっているのでしょうか。
それとも違います。
進一君はなんだか胸がドキドキしてきました。
どうもただごとではありません。
魔性のものが近づいてくるような感じです。
足音を忍ばせて廊下の曲がり角まで行ってみました。
たしかにその音は曲がり角の向こうから聞こえてくるようです。
進一君は体を隠して、片方の目だけでそっとのぞいてみました。
うす暗い廊下の向こうから、パッと巨大な花がひらいたような美しいものがこちらへ歩いてきます。
進一君はギョッとして、体がしびれたように動かなくなってしまいました。
顔を引っ込めようとしても引っ込められないのです。
それはユリ子人形でした。
友禅の振袖に金蘭の帯のあの美しい人形が、コツ、コツ、コツと歩いてくるのです。
「早く顔を引っ込めなければ相手に気づかれる。
」
と思っても、体がいうことをききません。
引っ込めることができないのです。
「あっ、気づいたな!」
そうだ、たしかに気づいたのです。
人形は立ちどまって、ジーッとこちらを見つめています。
まがり角の壁から、はんぶん出ている進一君の顔を、穴のあくほど見つめています。
息のつまるような、にらみあいでした。
おたがいの目から出る光線が、空中でぶつかりあっているのです。
それにしても、なんという恐ろしい目でしょう。
あの美しい顔の目だけが、まるで、ヘビのようにぶきみです。
たしかに生きた目です。
人形の目ではなくて、人間の目です。
進一君は、この恐ろしいやつと、にらみあっているのが、たまらなくなってきました。
いまにも気をうしないそうでした。
しかし、このにらみあいは、人形の負けでした。
あいてには、生きていることを見つかったという弱みがあります。
とうとう人形は、クルッとむこうをむきました。
そしていきなり逃げだしたのです。
こちらが勝ったとわかると勇気がわいてきました。
進一君は人形の後を追っかけるのでした。
人形は、むこうの部屋のドアを開いて、その中へかくれました。
サナエちゃんの部屋です。
寝室ではなくて、昼間の部屋です。
あのたくさんの人形がならべてある部屋です。
進一君は、その部屋のドアの前にかけよりました。
ドアはぴったりしまっています。
とってをまわしてみました。
かぎはかかっていません。
人形が、かぎを持っているはずもないのです。
思いきって、ドアを開きました。
そして、部屋の中へとびこんでいきました。
ユリ子人形は、長いすに腰をかけていました。
進一君は、その顔をじっとみつめました。
ふしぎ! ふしぎ! 人形は、もう生きてはいませんでした。
ゆうぜんの着物の肩をおさえて、ゆすぶってみました。
なんのてごたえもなく、ぐらぐらするばかりです。
顔にさわってみました。
こちこちした人形の顔です。
手にさわってみました。
やっぱりこちこちした人形の手です。
ああ、いったい、これはどうしたことでしょう。
進一君は、命のなくなった人形の美しい顔を、じっと見つめているうちに、心のそこから、ゾーッと恐ろしくなってきました。

ほのおの宝冠

 そのあくる日、進一君は、おとうさんに夕べのことを話しましたが、おとうさんは、
「そんなばかなことがあるもんか。
おまえはきっと、寝ぼけて、とんでもない思いちがいをしたのだろう。
」
と、てんでとりあってくださいません。
進一君が、それでも、「ぼく、たしかに見たんだ。
」といいはりますと、「それじゃあ、人形部屋へいってみよう。
」と、ふたりでそこへはいってユリ子人形をしらべましたが、いくらしらべても、ほんとうの人形で、これが動きだすなんて、まったく考えられないことでした。
おなかの中に機械じかけのある自動人形ではないかと、それもよくしらべましたが、なんのしかけもないことが、はっきりわかったのです。
しかし進一君は、夕べ寝ぼけていたとは、どうしても思えないのでした。
おとうさんの神山さんも、進一君が一生けんめいにいいはるものですから、すこし心配になってきました。
神山さんは、ひとりで奥の居間にはいると、そこへおかあさんをよびました。
その居間の床の間のよこに、大きな金庫がすえてあります。
その金庫の中に、神山さんのだいじな宝物がしまってあるのです。
「そんなばかなことがあるはずはないが、もしあれがあやしい人形だとすると、この金庫の中の宝物をねらっているのかもしれない。

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