初級翻訳・狼疾記 第6話

中島 敦

人間は結局、何かに執着したり、夢中になったり、追い求めたりするものがないと生きていけないのだろうか。
やっぱり、自分も、世間が――喝采し、憎み、嫉妬し、お世辞を言い合うあの世間が、欲しいのだろうか。

例えば、と彼は考えずにはいられない。
例えば、先週、勤め先の学校で国語の老先生が、自分で作ったという七言絶句の詩を職員室の誰彼に聞かせていた時だ。代々儒教を学んできた家柄の自分が、冗談半分でその詩の韻を踏んで、即座に返句をして見せたことがあった。
詩の出来栄えがどうこうよりも、専門外の若い博物学の先生がそんなことをしたもんだから、老先生はすっかり驚いて、人の良さそうな大げさな身振りで褒めちぎってくれた。あの時、自分は――尊大であるべき俺の自尊心は――なんと小さな喜びにくすぐられたことか! 実際、あの老先生が褒めてくれた言葉の一つ一つをはっきりと覚えているくらい、嬉しかったんじゃないか。
ある哲学者の説によれば、女は一生の間に自分に向けられた褒め言葉をすべて覚えているそうだが、どうやらこれは女ばかりに限ったことではないらしい。
そういえば、俺はここ何年何ヶ月もの間、自分に向けられた褒め言葉なんて一つも聞いていなかった。
自分の心が飢えていたのは、こんな詰まらないことのためだったのか。
それなら、そんなちっぽけな虚栄心を満たしたがっているお前が、どうして、こんな世間からかけ離れた生活を選んだんだ?オデュッセイアやルクレティウス、中国の古い詩の注釈書。そんな難解な本を読んでいれば人生は満たされると信じ込んでいたなんて、自分はなんて世間知らずだったんだろう! 杜樊川の詩も、セザール・フランクの音楽も、スピノザの哲学も、心のぽっかり空いた穴を埋めることはできない。それなのに、たった一つの褒め言葉や、お世辞のひと言で、その穴はあっという間に埋まってしまう。そんな「人間らしい、あまりにも人間らしい」現実に、三造は自分のような理屈ばかりの読書家でさえ例外ではないことを知り、今さらながら驚いている。

まだ寝るには早すぎる。それに、どうせ布団に入ったところで、いつものように二、三時間は眠れずに苦しむのが目に見えている。三造はなんとなく体を起こし、ベッドの端に腰かけたまま、ぼんやりと部屋の中を眺めた。

二、三日前、机の引き出しを片付けていたとき、紙くずと一緒に線香花火の袋が出てきたことを思い出した。夏の終わりにしまい忘れて、中に少しだけ残っていたものだ。あの時そのまま引き出しに放り込んだことを、ふと頭に浮かんだのだ。三造は立ち上がり、引き出しからそれを取り出した。中身を出してみると、まだそれほど湿気てはいないようだ。彼は電気を消し、マッチを擦った。

暗闇の中に、細くて硬い、光り輝く線が走り、松葉や紅葉のような火花が咲いては、すぐに消えていく。火薬の匂いが鼻を通り抜け、一瞬だけ止まっていた三造の心に、この季節外れの繊細な美しさが、かすかな感動を呼び起こした。あまりにも惨めで、いじけていて、寂しい感動だった。

三

静かな博物標本室の中。アリゲーターや大きなコウモリの剥製、カモノハシの模型などが並ぶ中で、三造は一人、本を読んでいた。机の上には、次の鉱物の授業で使う標本や道具が散らかっている。アルコールランプ、乳鉢、るつぼ、試験管。うす青い蛍石や橄欖石、真っ白で透き通るような重晶石や方言石、きれいな形の柘榴石、結晶面をギラギラと光らせる黄銅鉱。あまり明るくない部屋の中で、天井の窓から差し込む外の光が、端正な結晶たちの上に落ち、長い間使っていなかった標本のうっすらとしたホコリさえもキラキラと浮かび上がらせている。

そんな無言の石たちに囲まれて座り、その美しい形や割れ目を見ていると、冷たくて透き通った、言葉のない自然の意志や知恵に触れているような気持ちになる。いつもは騒がしい職員室から、三造はこの冷たい石たちと、死んだ動物や植物の静かな世界へ逃げ込んできては、自分勝手な読書にふけることにしていた。

今、彼が読んでいるのは、フランツ・カフカという作家の『穴』という小説だ。小説とはいうけれど、なんて奇妙な物語だろう。主人公の「俺」は、ネズミなのかイタチなのか、とにかくそういう類いの小動物らしいのだが、それが結局最後まで何者なのかは明かされない。その「俺」は、ありったけの知恵を絞って、地下に自分の棲み家である「穴」を掘り進める。

想像できる限りのあらゆる敵や災害に対して、細心の注意を払って安全を確保しているのに、それでもなお、常にビクビクと怯え、防備が不完全なんじゃないかと恐れなければならない。特に、「俺」を取り囲む大きな「未知」の恐ろしさと、それを前にした時の自分自身の無力さが、「俺」を絶え間ない不安に陥らせている。

「俺が脅されているのは、外からの敵ばかりではない。大地の底にも敵がいるのだ。俺はその敵を見たことはないが、伝説はそれについて語っており、俺も確かにその存在を信じている。彼らは土地の内部深くに棲むものだ。伝説でさえも彼らの姿を言い表すことはできない。彼らの犠牲になる者たちも、ほとんど彼らの姿を見ることなく倒れていく。彼らはやって来る。彼らの爪の音(その爪の音こそが彼らの本体なのだ)を、君は、君の真下の大地の中に聞く。そしてその時には、もう君は手遅れなのだ。自分の家にいるからといって安心はできない。むしろ、君は彼らの棲み家に住んでいるようなものだ」

ほとんど宿命的な恐怖に、「俺」は追い詰められている。熱に浮かされた患者が見る悪夢のようなものが、この穴に住む小動物の恐怖や不安を通して、もやもやと漂っている。この作者はいつも、こんな変わった小説ばかり書く。読み進めるうちに、夢の中で正体不明のものに追いかけられているような気分が、どうしても離れないのだ。

その時、入り口のドアがノックされ、顔を出したのは事務員のM氏だった。入ってくるなり、「手紙が届いていましたよ」と言って机の上に封筒を置いた。事務室とこの標本室はかなり離れているから、わざわざ持ってきたのは、誰か話し相手が欲しかったに違いない。年齢は五十を過ぎた、痩せてはいないが背の低い、しかし顔つきは一度見たら忘れられないほど奇妙な人物だった。鼻は赤く、まるでイチゴのように毛穴が点々と目立ち、顔の他の部分とは何の関係もなさそうに、唐突に顔の真ん中に突き出している。どんぐりのように丸い目は深くくぼんでいて、そのすぐ上には、あまりにも太くて真っ黒な眉毛が目とくっつきそうなほど低く這っている。

唇は厚く、黒人のようにぼってりとむくれていて、その周りをチョビ髭が囲んでいる。おまけに、染めた髪の毛は(ハゲているわけではないのだが)場所によって生え方に濃淡があり、まるで一株ずつ別の場所から移植したようなありさまだ。しかも短いわりに、お釈迦様の髪のようにひどく縮れ、ねじれ曲がっている。

職員室の誰もが、このM氏のことを馬鹿にしているようだった。
この人の名前を口にするたびに、ニヤリと笑わない者はいない。

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