鼠の芸当が済むと、女は青と赤に染め分けた籠から一羽の鸚鵡(おうむ)を出して口まねをさせます。
鸚鵡は手のひらへおとなしく乗って、女の言う通りにさまざまなことを言うのですが、機嫌の悪いときは冠毛(かんもう)を立ててギャアギャア鳴くばかりで、なんにも言いません。
そんなときには女は術なさそうに首をかしげて「太郎さんは今日はどうしてそうなんでしょうねえ」と言います。
鸚鵡の絵のような姿、鉤(かぎ)なりの嘴(くちばし)、利口そうな眼などを思いながら、残り惜しく小屋を出ました。
二十四
夜店の中でほおずき屋は、心をひくもののひとつでした。
歯車のついた竹筒をぶいぶいと回しながら「ほおずきやーい、ほおずき」と呼ぶのです。
簀の子(すのこ)に敷いたひばの葉の上に、赤、青、白、いろいろなほおずきを並べて、雫(しずく)がぽたぽたと垂れています。
団扇(うちわ)の形をした海ほおずき、人魂に似た朝鮮ほおずき、天狗ほおずき、薙刀(なぎなた)ほおずき、それらはみな海のほおずきで、革のような袋の中に磯臭い垢(あか)が入っています。
丹波(たんば)ほおずき、千なりほおずき。
おやじは竹筒を回して「ほおずきやーい、ほおずき」と呼ぶのでした。ほかのほおずきはうまく鳴らせないので、いつも海ほおずきを買ってもらって、大切に手に握りしめて帰ります。
丹波ほおずきは、赤い法衣を着たお坊さんの姿をしています。
皮をむいてみて、中に蚊が刺さっているのを見つけると、姉は悔しがって畳にたたきつけます。
蚊というやつは、本当に悪いやつです。
まだ青いうちにこっそり甘い汁を吸っておくのですから。そんなほおずきは、坊主頭にポツリと穴があいていて、揉んでいるうちに皮が破れてしまいます。
夏は、虫屋の店に心がひかれます。
扇や船、水鳥などの形をした虫籠に緋色の房を下げて、リンリン、レンレンと松虫や鈴虫を鳴かせています。
キリギリスは戸をひくように、クツワムシはカサコソと鳴きます。
私は松虫や鈴虫がほしいのに、いつもキリギリスしか買ってもらえません。あるとき、わざと伯母さんの嫌いなガチャガチャ(キリギリス)を買って、夜通し眠らせなかったことがありました。
それらは粗末な竹籠の四隅に、赤や青の柱がついたものに入れて渡されます。
瓜の切れ端を格子にはさんでやると、髭をふりふり食べていきます。
わけのわからない顔をして、不釣り合いに長い後ろ脚が逆向きについているのもおかしいものです。
また、鉢植えの草花を買ってくることもありました。
寝るときになると、「夜露にあててやろうね」といって、軒先に出しておくのです。
それらの花を見つめる子供心を、なんと表現したらよいでしょう。
そののち、二度と味わうことのできない、清らかで混じりけのない喜びでした。
花に誘われて、明るい朝は早く目が覚めます。寝巻のまま、まぶしい目をこすりこすり見てみると、花や葉に露がチロリとたまっていて、ビロードのような石竹の花や、髷(まげ)の形をした遊蝶花、金盞花(きんせんか)などが、いきいきと目覚めています。
絵草紙を買うと、くるくると巻いて真ん中に帯をしてくれるので、それをそっと手にもって、ときどき筒の中をのぞきながら帰ってきます。
すると、みんなが「どんなに綺麗だか見せてくれ」というので、もったいぶってそろそろとほどいて見せます。
誰も彼も目をまるくして「ほしい、ほしい」といいます。
枠の外には赤いインキで『新板けだものづくし』などと書いてあります。
鼻を長くしてにこにこした象も、壺口の兎も、鹿も、羊も、みんな可愛い。
ほかの獣はひとりで大人しくしているのに、熊だけは真っ赤な金太郎と相撲をとり、鼻の先が竹の子みたいに突き出た猪は、仁田の四郎におさえられていました。
一通り見せびらかせば「ご機嫌よう」といって寝間に入り、伯母さんの仰々しい絵解きを聞きながらさんざん見返して、枕元に置いて眠ります。
二十五
意気地なしの私は、人の中では口がきけず、なにかほしいものが目につくと、袂(たもと)をつかんだまま黙って立ち止まってしまいます。
すると伯母さんは心得たもので、あたりを見回して「あれかな、これかな」とたずねます。
うまく当たるまではいつまでも首を振っていますが、どうしても当たらないと仕方なしにそっと指さしをして、その指は恥ずかしそうに引っ込めて口にくわえます。
三すくみのおもちゃが大好きでしたが、伯母さんは蛇が嫌いなもので、知らないうちにすぐにしまい込んでしまいました。
竹の兎はピョンと跳ねます。
暖かくなると膠(にかわ)がゆるんで、威勢よくピョンと跳ねずに、そろそろとお尻を持ち上げて横倒しになります。
そのほか、籠の中の鳥が、籠についている柄を吹くとピーピー囀りながら回るのや、チリチリと尾を振りながら滑り降りる鯛の弓のおもちゃなどが好きでした。
木枯らしの夜などには、露店のかンテラの火が淋しい音を立てて、灯心が血走った目玉みたいに見えます。
そんなときに、かわいそうでならなかったのは、葡萄餅を売る婆さんでした。
葡萄餅とはどんなものか知りません。
七十近い萎びかえった婆さんが、「ぶだうもち」と書いたハゲチョロの行灯をともして、小さな台の上に紙袋を数えるほど並べていますが、ついぞ人が買っているのを見たことがありません。
私はそれを気の毒がって無上にせがんだけれど、あんまり汚いので、さすがの伯母さんも二の足を踏んで買ってくれませんでした。
何年かのち、私がひとりで縁日に行けるようになってからも、婆さんは相変わらず蕎麦屋の角に店を出していました。
私は市のたびに幾度となくその前を行ったり来たりして、涙をためていました。
が、いつも買い終えることができずに、本意なく帰ってきてしまいました。
とはいえある晩、とうとう思い切って葡萄餅の行灯のそばに立ち寄りました。
婆さんはお客だと思って「いらっしゃい」といって、紙袋をとりあげました。
私はなんと言ってよいかわからず、無我夢中に二銭銅貨を放り出して、後も見ずに少林寺の藪の影まで逃げてきました。
胸がドキドキして、顔が火が出るように上気していました。
八幡様の馬鹿囃子(ばかばやし)へは、少しも行こうとしませんでした。
それはあの鼻っ柱がつぶれた馬鹿の仮面、目のとんちんかんなひょっとこの顔、またあんまりしつこい野卑な道化が胸を悪くさせたからです。
けれども家の者は、私の憂鬱を治そうとしての無知な親切から、伯母さんまでがみんなの味方になって、どうかして連れ出そうとするのです。九つ、十にもなってからは、そんな場所へ行くことの苦痛を何度も訴えましたが、みんなはそれを逃げ口上だと思い込んで、強引に押し出すのが常でした。
そんなときには、私は近くの野原へ行って、大木が立ち並ぶ崖の上に寝転び、山を眺めながら何時間も過ごしたものです。
二十六
このあたりの子供たちは、神田の腕白たちと比べればさすがにおだやかで、それに往来も静かですから、私のような者にとってはまことに最高の場所でした。
そこで伯母さんは、私の遊び相手によさそうな子供を一生懸命探してくれましたが、そのうち見つかったのが、向かいのお国さんという女の子でした。
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