初級翻訳・金魚撩乱 第2話

岡本 かの子

その代わり、素っ気なく横を向いて口笛を吹いていました。
 ある春の夕暮れのことです。
 真佐子のほうから手ぶらで、珍しく復一の家の外を散歩しに来ていました。
 復一は素早く見つけると、いつもの通り真佐子をいじめました。そして甘い哀愁に満たされながら、いつものように「もっと女らしくしろ」という言葉を、真佐子の背中に向かって投げつけました。
 すると、真佐子は思いがけずくるりと向き直り、再び復一と睨み合いました。
 少女の泣き顔の中から、ずる賢そうな笑顔が、無花果(いちじく)の先のように肉色に破れてこぼれました。
「女らしくって、どうすればいいのよ」
 復一が「おやっ」と思った瞬間、少女の袖の中から出た拳がパッと開かれました。復一はたちまち、桜の花びらの嵐を顔いっぱいに浴びせられました。
 少し飛び退くと、「こうすればいいの!」と少女はクスクス笑いながら逃げ去っていきました。
 復一は急いで目や口を閉じたつもりでしたが、牡丹桜の花びらの冷たい数片が口の中に入り込んでしまいました。
 「けっけっ」と唾を絞って吐き出しましたが、最後の一枚だけは上あごの奥に張り付いて、ピヨピヨと柔らかい場所と一体になってしまい、舌先で扱いても、指先を突っ込んでも取り除けませんでした。
 復一は慌てるあまり、喉に張り付いて死んでしまうのではないかと思い、わあわあと泣き出しながら家の井戸端まで駆け戻りました。
 そこでうがいをして、ようやく花びらは吐き出せましたが、どこにあるのかも分からない、手の届かない心の中に張り付いた苦しい花びらだけは、いつまで経っても取り除くことができなくなってしまったのです。
 その翌日から、復一は真佐子に会うと余計に肩肘を張って威張るようになりましたが、内心は卑屈な気持ちでいっぱいでした。
 もう、口をきくこともできませんでした。
 真佐子はすっかり大人びて、わざと丁寧に会釈をするようになりました。
 そして金魚は、女中に買わせに来るようになったのです。
 真佐子は崖の上の屋敷から、復一は谷間の金魚屋から、それぞれ中等学校へ通うようになりました。
 二人は別々の友人を持ち、別々のことに興味を引かれるようになり、めったに顔を合わせることもなくなりました。
 ですが、珍しく映画館の中などで会うと、復一は内心の敵意を抑えきれないほど、真佐子は美しく成長していました。
 形の整った、切れ目のしっかりした下膨れの顔に、少し目尻の下がった大きな目が漆黒に煙っていました。
 唇の端をちょっと上へ反らせると、人を焦らすような唇が生き生きとついていました。
 胸から肩にかけては、女になりかけの豊麗な肉付きが盛り上がり、手足は引き締まってのびのびと伸びていました。
 真佐子は淑女らしく胸を反らしたまま、軽く目礼しました。
 復一はたじろいで思わず正面を避けて横を向きましたが、注意は耳に集中していました。
 真佐子は同伴の友達に尋ねられているようです。
 真佐子はそれに対して、「うちの下の金魚屋さんのところの人よ。とても学校はよくできるのよ」と言いました。
 その「学校はよくできる」という調子に、何の含みもない、ただの平たい説明しか響いてこないのを聞いて、復一は恥辱で顔を赤くしました。
 世界大戦後、経済界の不況に巻き込まれて、真佐子の崖の上の屋敷も手痛い財政上の打撃を受けたという評判は、崖下の復一の家まで伝わってきました。
 しかし屋敷を見上げると、反対に洋館を増築したり、庭を造り直したりしていました。
 復一の家から買い上げていく金魚の量も増えました。
 金魚の餌をもらいに来た女中は、「職人の手間賃が安くなったので、普請(ふしん)は今のうちだと旦那様はおっしゃるんです」と言いました。
 崖の端のロマネスク様式の半円形の休み場も、ついでにその時に建ったものです。
「金儲けの面白さがないときには、せめて生活でも楽しまなきゃな」
 崖から下りてきて、珍しく金魚池を見物していた、小作りで痩せた色黒の真佐子の父・鼎造(ていぞう)は、そう言ったのでした。渋い市楽(いちらく)という着物をさらりと着こなし、袂(たもと)にはいつも胃腸の薬を忍ばせているような、そんな五十代の男性でした。
真佐子の母親だった美しい妻を若くして亡くしてからは、小さなお屋敷に愛人を囲うことはあっても、自宅に正妻を置くことはありませんでした。
自分なりのこだわりを持って生きることを、楽しむ性格でもあったのです。
復一の家の縁側で、立てかけて乾かしてある金魚用の桶(おけ)の隣に腰を下ろすと、鼎造は復一の育ての親である宗十郎と話を始めました。
宗十郎の営む金魚屋は、古くからこの谷の窪地にある旧家でした。
一方、鼎造が住む崖の上のお屋敷は、真佐子が生まれる前年に、崖の上の桐畑を平らにして建てたばかりで、まだ十五、六年ほどしか経っていません。
新しく引っ越してきた住人であるにもかかわらず、この辺りの土地の事情や金魚のことまで、鼎造は驚くほど詳しく知っていました。
鼎造の祖父にあたる人も、東京の山の手の窪地に住んで金魚をこよなく愛した人だったため、幼い頃に見た金魚の記憶が、この谷の金魚屋の崖上に家を構えたことと重なり、自然と蘇ってきたのでしょう。
特に最愛の妻を亡くしてからの鼎造には、どこか浮世離れした心境が芽生え、この生きているのかいないのか分からないような美しい生き物である金魚に、ますます興味を抱くようになっていたのです。

「江戸時代、金魚を飼うことは貧乏な旗本にとって、ちょうどいい副業だったそうですよ。
山の手では、この麻布の高台と赤坂の高台の境目にポツリポツリとある窪地で、水が湧くような場所なら大抵、金魚を飼っていたものです。あなたのお宅も、きっとそうだったのでしょう」
ある時、鼎造にそう言われると、専門家であるはずの宗十郎は、自信なさげに相槌を打つしかありませんでした。
「さあ、そうなのかもしれませんね。なにしろ三、四代も続いている家ですから」
宗十郎がすすけた天井裏を見上げながら、おぼつかない挨拶をするのも無理はありません。
復一の育ての親とはいえ、宗十郎夫婦はこの家の夫婦養子でした。乳飲み子だった復一を残して病死した本当の両親に代わり、親類一同から「この家を継いで復一を育てろ」と指名された、元は家来筋の若い男女だったからです。
宗十郎夫婦は、それまで荻江節(おぎえぶし)という流行らない三味線の師匠をしていました。
正直に打ち明けると、最初は生き物を扱うことが妙に恐ろしかったのだと、宗十郎は笑って話しました。
「復一こそが、この金魚屋の本当の主(あるじ)なのです。
ですから金魚屋を継ぐのが筋なのでしょうが、今の若い人にはまた別の考えがあるのでしょう」
宗十郎は淡々として、座敷の隅で試験勉強に励んでいる復一の方を見ながら言いました。
「いや、金魚はいい仕事ですよ。ぜひやらせなさい。
並の金魚なら大した儲けにはならないだろうが、品種改良をしてどんどん新種を作れば、価格はいくらでも跳ね上がる。
それに最近では外国からの需要も多い。

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