初級翻訳・おれは二十面相だ 第8話

おれは二十面相だ

もがきにもがいて、やっと、かすれた叫び声をたてました。
「た、助けてくれえ……」
すると、その声に驚いたのか、目に見えないやつは、ドアを開けて、部屋の外へ出ていってしまいました。
ドアが、ひとりでにスーッと開いて、また、もとの通りに閉まったのです。
まもなく、だれかが廊下をバタバタと走ってきて、いきなりドアを開き、部屋の中にとびこんできました。
家庭教師の山口さんです。
「章ちゃん、どうしたの。いま叫んだのは、きみでしょう」
章太郎君は、まっさおな顔で、口をモグモグさせるばかりで、なかなか言葉が出てきません。
しかしやっと、とぎれとぎれに、いまの不思議な出来事を話し出しました。
「ふうん、やっぱり、あいつがしのびこんで来やがったな。ぼくはあいつと廊下ですれちがったかもしれないんだね」
山口さんは、恩田さんに知らせると言って、そのまま部屋をとび出していきました。
またもや、家じゅうが大騒ぎです。
女中さんたちもみんな起きてきて、ふるえています。
恩田さんは、すぐに警察へ電話をかけました。
警察からは、ふたりの刑事さんがやって来て、家の中を調べてくれましたが、なにしろ相手は目に見えないやつですから、どうすることもできません。
戸締まりを厳重にするようにと言って、帰っていきました。

ふしぎな格闘

怪人二十面相は、透明人間となって恩田さんの家にあらわれ、家宝の真珠でできたゾウを盗み出すと宣言しました。
それで、恩田さんはいっしょうけんめいに、それを防ごうとしました。
真珠のゾウは地下室の金庫の中に入れたうえ、その地下室の入口の厚い板の上げぶたにも厳重に鍵をかけ、家族の者でも金庫のそばへは行けぬようにしました。
恩田さんは、警察にお願いして、ふたりの刑事さんに、恩田家の表門と裏口のそばをたえず見回ってもらうことになりました。
ところが、その翌日の朝、今度は恩田さんの家の庭で、恐ろしいことがおこったのです。
恩田さんの子どもの章太郎君は、そのとき、自分の勉強部屋の窓から庭を見ていました。
庭にはいろいろな木が植えてあるのですが、ちょうど章太郎君の窓の正面に一本のツバキの木があって、その青あおとした葉のあいだに、血のようにまっかな花が、ポツンとたったひとつ、咲いているのです。
章太郎君は、なぜかその赤い花から目を離すことができません。
妙にひきつけられるような気がするのです。
すると、その花が、突然だれかにもぎとられたように、枝から離れました。
そして、下に落ちないで、空中をスーッと動いていくのです。
上から糸でつっているわけではありません。
もう木のそばを離れているのですから、上にはなにもないのです。
それから、空中をフワフワただよっていたかとおもうと、やがてじっと動かなくなりました。
もし、そこに人間が立っているとすれば、ちょうどその顔のあたりで止まってしまったのです。
目に見えない人間が、目の前に花を持ち上げて、ながめてでもいるようです。
章太郎君は、はっとしました。
透明人間に違いないからです。
透明人間がツバキの花をもぎとって、ながめているのです。
おとうさんに知らせようと立ちあがったとき、庭の向こうからだれかやってきました。
家庭教師の山口青年です。
山口君も、空中にじっとしているツバキの花に気がついたようで、ギョッとして立ち止まりましたが、すぐに気をとりなおして、いきなりその花に向かって飛びかかっていきました。
からだとからだがぶつかりあうような音が聞こえました。
目には見えないけれど、そこには確かに人間が立っていたのです。
それから、恐ろしいとっくみあいが始まりました。
山口青年は、なかなか勇敢です。
ハアハア息を切らしながら、まっかな顔をして、とうとう相手を土の上にねじ伏せました。
そして、馬乗りになって、ぎゅうぎゅうと首をしめつけているようです。
しかし、相手は二十面相です。
そのまま負けてしまうはずはありません。
山口君がパッとひっくりかえりました。
目に見えないやつが、猛烈ないきおいで、はね起きたのです。
山口君はまた相手に飛びかかっていきましたが、ガクンとアッパーカットをくらったようにあごをあげてしりもちをつきました。
「ちくしょう。うぬ、逃がすものかッ」
山口君はまた立ち上がって、組みついていきました。そして、うめき声をあげながら取っ組み合っていましたが、ハッとした瞬間、山口君の体はパッと空中に半円を描き、ひっくり返って向こうの地面に投げ飛ばされました。
目に見えない相手は、柔道の「巴投げ(ともえなげ)」という技を使ったのです。
山口君が起き上がろうとするところへ、上から乗りかかって首を絞めつけているらしく、彼は頭を右に左に動かしてもがいていましたが、やがてぐったりとしてしまいました。

「ハハハハ……、まいったか。おれは柔道五段の腕前だからな。君なんかに捕まるものか」

空中から、そんな声が響いてきました。
そして、ふっと気がついたように、こう続けました。

「おや、そこに章太郎君がいるね。いや、心配しなくてもいい。君には何もしないよ。だが、お父さんのところへ行って、こう言っておくんだ。いいかね、今夜あたり危ないってね。ほら、真珠のゾウだよ。あれが今夜なくなるのだ。そうだな、時間を決めておいてもいいよ。夜の十時にしよう。十時きっかりに盗み出してお目にかけるってね。よく言っておくんだぜ。おれは二十面相だ。決して約束はたがえないからね。わかったかね。ハハハハ……、じゃあ、あばよ」

その笑い声はだんだんと遠ざかっていき、庭の木々の向こうへと消えていきました。
山口青年は、ようやく起き上がりました。章太郎君はお父さんに知らせるために家の奥へ駆け出しました。それから表にいる二人の刑事さんを呼んで庭じゅうを捜しましたが、相手は目に見えない存在ですから、どうすることもできません。もうどこかへ逃げてしまったのか、まだその辺りをうろついているのか、さっぱりわからないのです。こうなっては、地下室の金庫をみんなで力を合わせて厳重に守るほかありません。

    かわいい女の子

章太郎君は小学校の六年生でしたが、その日学校へ行くと、竹内君というクラスの友だちに透明人間のことをこっそりと話しました。竹内君は「少年探偵団」に入っている賢い少年だったからです。

「うーん、そいつが二十面相なんだね。それじゃあ、ぼくらの団長の小林さんに話してみるといい。二十面相とは長い間戦ってきたんだから、ぼくらにとっては憎むべき敵なんだ。小林さんはきっと助けてくれるよ」

竹内君がそう言うものですから、章太郎君は学校が終わると、竹内君と一緒に小林少年のいる明智探偵事務所へ行ってみることにしました。

「ぼく、おうちへ帰るのが遅くなるって電話をかけておくよ」

町の赤電話の前に来たとき、章太郎君がポケットから十円玉を出して電話をかけようとすると、竹内君は「探偵事務所へ行くなんて言っちゃいけないよ。透明人間はどこで聞いているかわからないからね。ぼくの家へ遊びに行くと言っておけばいい」とささやき声で言いました。
章太郎君は言われた通りに電話をかけてから、バスに乗って麹町の明智探偵事務所へと急ぎました。

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