初級翻訳・おれは二十面相だ 第16話

おれは二十面相だ

万が一の用意のために、部下を玄関の外に見張らせておいて、もし二十面相がつかまったときには、こうしろとあらかじめ打ち合わせてあったのかもしれません。二十面相が「奥の手」と言ったのは、これだったのではないでしょうか。

恩田さんの門から百メートルほど行った横丁へ曲がると、そこに一台の自動車が止まっていました。
男は、いきなりそれに飛び乗って運転席につきました。
そして、前に備えつけてある無線電話の送話器をとると、大急ぎでなにかしゃべり始めました。
これがもし二十面相の部下だとすれば、二十面相の一団は、特別な無線を備えた自動車を持っているのです。
相手は、むろん二十面相の隠れ家にいる、別の部下に違いありません。
かれらは、おたがいに無線でなにを話し合ったのでしょうか。
ところが、もうひとつ不思議なことがありました。
その男は、だれにも見つからなかったと思って安心して自動車に乗ったのですが、じつは妙なものにあとをつけられていたのです。それは、まるで一寸法師のような真っ黒な影でした。
七、八歳くらいの小さな体を、体にぴったりとフィットした真っ黒な毛のシャツとズボンで包み、頭からすっぽりと黒い覆面をかぶっています。目元には二つの穴が開いていて、そこから鋭い目だけがのぞいているという怪物のような姿です。
その一寸法師は、恩田さんの庭の中から男の後をつけてきたのですが、男は少しも気づいていません。
あたりは真っ暗闇で、その闇の中をちっぽけな黒い影が尾行しているのですから、見つかるはずもありません。
男が自動車に乗ると、小さな黒い影はこっそりと車の後ろに回り込み、ポケットから出した万能鍵のようなもので、音を立てずにトランクの鍵を開けました。そして、そっとふたを開けてその中へ忍び込んだのです。
この小さな怪物は、もしかしたら先ほど小林君が明智探偵に耳打ちしていた、少年探偵団の「ポケット小僧」ではないでしょうか。
黒装束のポケット小僧には、これまでの事件でもたびたびお目にかかっています。
間違いありません、あれはポケット小僧です。

それから、怪しい男の自動車はそこを出発して走り去りました。ちょうどそのころ、恩田さんの門の前では、二十面相とその一番弟子が大型のパトカーに乗せられていたところです。
少し窮屈ですが、パトカーの後部座席に四人が腰を下ろしました。
二人の犯人を真ん中にして、両側に刑事さんが座っています。
そのうえ、刑事さんと犯人は、組ごとに手首を手錠でつないでいるのですから、二十面相たちはどうあがいても逃げ出すことはできません。
明智探偵と小林少年は「アケチ一号」という自動車に、中村警部や残りの刑事さんたちは別のパトカーに乗り込み、犯人の車の後を追うことになりました。
すでに夜の十二時を過ぎていましたが、大通りに出ると、まだたくさんの自動車が走っています。
先頭を走る犯人の車は、かなりのスピードを出していました。
信号のところで、後ろの二台とは百メートルも離れてしまいました。
やがて、大通りから細い道へと入りました。
片側は神社の森、もう片側は長い塀が続いています。
警視庁までの道のりで、もっとも寂しい場所です。
後ろを振り返ると、追いかけてくるはずの二台の自動車はまだ曲がってきません。
そのとき、前から一台の空トラックがやってきました。
恐ろしく強いヘッドライトの光に、こちらの運転手は目がくらみそうになります。
運転手はとっさにトラックを避けようとしました。
すると相手は、こちらの避けた方へあわせて突っ込んできます。
何を考えるひまもありません。
あっという間に、恐ろしい勢いで激突してしまいました。
こちらの運転手が、グッタリとハンドルに倒れ込みます。
ガラスが割れ、顔や手から血が流れています。
向こうのトラックからは、しきりになにやら怒鳴り声が聞こえます。
犯人たちを見張っていた二人の刑事さんは、ドアを開けて外に出てみることにしました。
犯人は手首でつながれているのだから大丈夫だ、と判断したのです。
ところが、ドアを開けて外に出るやいなや、二人の刑事さんは突然、恐ろしい力で突き飛ばされました。
いつの間にか、二十面相とその一番弟子は、手錠を外していたのです。
二十面相が手錠外しの名人であることは読者の皆さんもよくご存じでしょうが、弟子の方もそれにおとらぬ名人でした。
突き飛ばされた刑事さんたちが地面に倒れるのを見て、犯人たちは一目散に神社の森の中へ駆け込んでいきました。
衝突したトラックも、大急ぎで向きを変えて、もと来た方へと走り去ってしまいます。
そこへようやく後ろの二台の自動車が追いついてきましたが、もう手遅れでした。
二十面相たちは、逃げ出してしまったのです。

神社の森に逃げ込んだ二十面相とその部下は、すばやく森を抜けて神社の裏手に出ました。
そこは広い原っぱで、ヘッドライトを消した一台の自動車が、ドアを開けて待機していました。
二人がその中へ飛び込むと、自動車はすぐにスタートし、町から町へと曲がりながら走り抜けていきます。
この自動車を運転しているのは、先ほど恩田さんの門の中で様子をうかがっていた男です。
むろん、二十面相の部下の一人です。
この男が自動車に備え付けた無線で二十面相の隠れ家へ「首領がつかまった」と知らせたので、別の部下がトラックを運転し、二十面相の乗せられた自動車にわざとぶつかって、首領が逃げ出す手助けをしたのです。
これは二十面相が前もって計画していたことで、神社の前でぶつかるように打ち合わせてあったのでした。
さて、二十面相と部下の乗り込んだ自動車は、人通りの少ない町ばかりを選んで走り、三十分ほど経ったころ、世田谷区の屋敷町にある一軒の大きな家に到着しました。
車が門の中で止まると、二十面相と部下は、その家の玄関のドアを開けて中へと入っていったのです。車を運転していた男も、あとから家のドアの中へと消えていきました。
そのとき、自動車の後ろのトランクのふたが、スーッと音もなく開きました。
言うまでもありません、トランクの中には、黒装束のポケット小僧が隠れていたのです。
体にぴったりとフィットした黒シャツと黒ズボン、頭には目元だけをくりぬいた黒い覆面。
その小さな黒い影が、トランクの中から飛び出すと、ふたをもとのようにしっかりと閉め、そっと玄関のドアに近づきました。
幸運なことに、ドアにはまだ鍵がかかっていませんでした。
音を立てないようにゆっくりと開けて、中へと忍び込みました。
だいじょうぶなのでしょうか。
子どもがたった一人で、恐ろしい怪盗の隠れ家へ忍び込むなんて。もし見つかったら、どんなひどい目に遭わされるかわかりません。
しかし、ポケット小僧は、そのような危険な冒険には慣れっこでした。
以前には大きな鞄の中に隠れて、山奥にある怪人のアジトに潜り込み、見事な手柄を立てたことさえあるのです。
体は驚くほど小さく、姿は真っ黒。
そのうえ、信じられないほどすばしっこいのですから、簡単に見つかるようなことはありません。
薄暗い廊下を、壁に溶け込むようにして進んでいき、ドアがあれば鍵穴から中をのぞき、誰もいないことがわかると、そっと忍び込んで部屋の様子を調べるのです。

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