初級翻訳・レモンの花の咲く丘へ 第31話

レモンの花の咲く丘へ

少年 (塔を見つめながら)塔だ! 塔だ! なんて恐ろしい塔なんだ! さっきお姉様が、塔なんて何もないって言ったのは、全部ウソだったんだ! ウソだ! あの恐ろしくて気味の悪い塔の中に……お姉様が! ……お姉様だよ! 行っちゃいけない、行っちゃいけないんだ! 早く! 早く舟をこぎ返して戻っておいでよ! どうしてそんなに上を向いて横になったままなんだよ! 立って、立ってよ! お姉様!(と、何とかして舟を止めようと焦り、窓の格子を激しく揺する)ぼくが行く、ぼくが行くよ! ぼくが行って、舟をこぎ返してあげるから! ……待って、待ってよ!(格子を叩いて揺すりますが、格子はびくとも動きません!)
お姉さん ヨハナーン。
白い糸が清らかならば、
乙女の心もまた同じ。
やがて染まる赤や紫や、
あるいはまた、罪の恐れの、
暗闇に似た真っ黒な色の、
罪の黒糸、
罪の黒糸。

ヨハナーンよ! ヨハナーンよ……歌をよーく覚えるんだよ、よーく覚えるんだよ!

さまざまな色の糸で、
美しい模様を織りなす人間の世界。
ああ、こうして日を織り、月を織り、
年を織り、命を織りながら、
人生を織り続けていく梭(ひだ)よ、
(その日のために――)

少年 うん、うん、お姉様! 歌はよーく覚えるよ。
よーく、よーく覚えているからね。
――だから、ここに帰ってきてよ。
……ああ、舟が、舟がどんどん流れていっちゃうんだよ! ねえ、ねえ、いったい誰が舟を引っ張っているの? 誰なの、誰が引っ張っているんだよ!(水門の上に立つ巨人の姿が、ヨハナーンの目に飛び込んできます)あいつだ! 畜生め! あいつだ! お姉様を連れて行ったのは! あいつが水門の上でお姉様を呼んでいるんだ。
ぼくをこんな恐ろしいところへ連れて来た、あの大きくて気味の悪いあいつだ! ……ほらほら、あんなに大きな灰色の衣を大きく振って、お姉様を呼んでいるよ。
……お姉様、早くにらみつけてやってよ! 行かない、行かないって言ってやってよ! ……うわあ、まだ呼んでいるよ! 畜生め! いくら呼んだってお姉様は渡さないぞ! ぼくが渡さない、ぼくが絶対に渡さないんだ! あげるものか、あげるものか! ……だけど、ああ、ああ、舟が流れていってしまう! 流されながら遠ざかっていく! ……ぼくとお姉様の距離が、こんなに遠く離れてしまった! ……早く、早く、お姉様、舟を止めてよ。
……そして、ここに帰ってきてよ。
……ああ、舟が水門に近づいていく! ほらほら、あんなふうに吸い込まれていくよ! ねえ、ねえ、あんなに吸いこまれていくんだ!
(舟が水門に入ろうとすると、影のような人々が水門の端に現れ、歓迎するような風を起こし、激しく手を上げて手招きします)
お姉さん (悲しげな声で)ヨハナーンよ! (さらに悲しみを込めて)さようなら!

人生を織り続ける梭(ひだ)の糸が絶えるとき、
七弦琴の音が鳴り響くだろう。
ヨハナーンよ、さようなら!
少年 (両手を精一杯伸ばし、まるで姉を抱きしめようとするかのように)お姉様だよ……(まるで正気を失ったかのように手を激しく上下させながら)舟が水門に吸いこまれていくよ。
……影のような人たちがお姉様を引っ張り込もうとしている! あの憎らしくて恐ろしい奴らが! ……舟がグルグルと渦を巻いている。
……舟の先がもう水門に入っちゃう。
……お姉様の白い着物が……黒い水が蛇のようにうねりくねっている。
……あっ! 舟が水門の中に! ……お姉様だよ……!
お姉さん さようなら、かわいい坊や! ヨハナーン!

(機織りの糸を)かけながら――

(小舟が水門の中にすっぽりと入り込み、影のような人々も巨人も、一瞬にして消え失せます)
少年 あっ……!(と叫び声を上げながら)お姉様だよ、……もうぼくは、……あんなにあんなに言ったのに、とうとうお姉様は水門の中に入ってしまった。
……もう白い着物も見えないよ。
……水門しか見えない。
……真っ黒な水だけが広がっている。
……お姉様だよ……。女子 (水門の中で)ヨハナーンよ、さようなら!

鳴らさんものか
(その日のために――)

少年 声が聞こえる……。
……水門の中から声だけが! ……お姉様の声が。
……お姉様! お姉様! ヨハナーンはここにいますよ。
……アーイ、アーイお姉様、ヨハナーンはここでお姉様を呼んでいますよ! お姉様あ!
女子 (水門の中で)ヨハナーン!
少年 (自分の髪をむしりながら)アーイ、お姉様あ。
ああ、ああ、なんて遠くの方から呼ぶのだろう。
アーイ、お姉様!
女子 (水門の中で)さようなら!
少年 (窓の格子を壊そうと必死にもがきながら)アーイ、アーイ、お姉様! ……だんだん声が小さくなっていく。
……お姉様あ。
帰ってきてくださいよお。
……水門から出てきてくださいよお。
どうしてぼくが止めたとき、舟をこぎ返してくれなかったの。
……ええ、ええ、ええ、もうこんなふうに水門の中へ入ってしまっては……。
……いや、いや、大丈夫、大丈夫だ! 水門をぶち壊そう。
……あんな水門なんかすぐに壊れるんだ。
……早くここへ帰ってきてよお。
……塔になんか、塔になんか行くものか!
女子 (水門の中でだんだんかすかに)さようなら!
少年 (泣きながら)あっ、あんなに声がかすかになってしまった。
……まだ舟は流れているのかな? 流れちゃいけない、流れちゃいけないんだ。
……どうしてお姉様は舟を止めないんだろう。
……お姉様あ。
しっかり舟を止めてよお。
しっかりして! 立ち上がって、立ち上がってよ!
女子 (水門の中で、やっとのことで聞き取れるほどの悲しげな声で)ヨハナーン、……さようなら……。
少年 (恐怖と不安で声が震え、口に手をあてて)お姉様あ。
ほらほら、もう何千キロも遠くへ行ってしまったかのような、かすかな声になってしまった。
……お姉様あ。
……帰って、帰ってよ……お姉様あ。
……(耳をすます。
しーん!)あっ、もうお返事がない! 声が聞こえないほど遠くへ行っちゃったの? いやいや、そんなことはない! きっとまだあの水門のところにいるんだ! ……さっき入ったばかりなんだもの! ……お姉様あ、……お返事をしてよお、ぼくの声が聞こえないの?
(耳をすます)ええ、ええ、だまりこんでいる! ……ええ、ええ、黙っているよ! (口に手をあてて)お姉様あ! 一度だけでいい、一度だけでいいから(とすすり泣き)、それならお姉様! いま一度だけここへ帰ってきてよお。
(しーん! ヨハナーンはがっかりして声を押し殺して泣く。
あたりは静まり返る。
再びヨハナーンは気をしっかり持って)お姉様、一度だけでもいいから帰ってきてよお! お姉様はぼと一しょにいつまでもここにいるって言ったじゃないか! ねえ、お姉様! それはウソだったの、ウソをついたの? ウソじゃない、ウソなんかじゃない! お姉様はウソなんか絶対に言わない。

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