此一日
其一
観見世間是滅法、欲求無尽涅槃処、怨親已作平等心、世間不行慾等事、随依山林及樹下、或復塚間露地居、捨於一切諸有為、諦観真如乞食活、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
振り返ってみれば、昔の自分の生き方はなんと愚かだったことか。
しみじみと心を静めて回想してみれば、私が憲清(のりきよ)と呼ばれていた頃は、武芸や学問の道に力をすり減らし、命を誉れと不名誉の分かれ道に賭けていた。そして心の中では密かに自惚れ、老いることも病気になることも死ぬことも避けて通れないこの身でありながら、むさぼり、いかり、おろかさという毒の業(わざ)を積み重ねてばかりいた。
自分の屋敷にいるときには、朝から晩まで着るものや食べるものの牢獄に縛り付けられ、宮中に参内しては、年月をかけて名誉と利益の落とし穴に落ちていった。小川のせせらぎのように、とりとめのない妄想の波が途切れることはなく、枯れ野の萱(かや)が燃え盛るかのように煩悩の炎がときどき激しくきらめいた。心の馬は常に欲望の塵が舞う世界を駆け抜け、心の猿はちょっとしたきっかけですぐに十悪という枝に移ろうとする。
危なっかしく、そして情けないことに、昨日まで見かけていた人が今日はもうこの世にいないという現実を、まるで夢を見ているかのように儚(はかな)みながらも、それでもなおハッと目覚めることがない。ウグイスが春霞に喉を詰まらせているような夜明けの鳴き声は、大乗経典の尊いお名前を呼んでいるようだが、雄羊のようにおろかで知恵のない私の耳には届かず、煩悩の暗い眠りを破ることもない。吹き抜ける嵐の音は松の木を揺らし、夜空をさまよう浮雲に磨き出された秋の夜の月の光をしみじみと宿す。荒野の端に群れ咲く薄(すすき)の葉の上の露の白玉は、あまりにもあっけなく、葉の先や根元を分けて吹く風に砕け散って、はらはらとこぼれ落ちる。それはまさにこの世の無常であり、仏の説いた教えそのものの姿なのだが、目が潰れたロバのように何も見ようとせず、何を悟ることもできぬまま、ただ無駄にお祓(はら)いを済ませて川に流す人形(ひとがた)の御幣(ごへい)とともに夏を送り、窓を叩く初時雨(はつ時雨)とともに冬を迎えて歳月を重ねてきたのであった。
しかし、この世の万物に定まった本性などはない。人間がどうして常に悪いままでいられようか。良い縁に出会えば、どんなに愚かな者であっても大いなる真理を求め、教えに従うならば、ただの凡人であっても聖者と肩を並べるほどの境地に達することができるのだ──高野の大師(弘法大師)がそう説いておられたことも、今となってはなんと嬉しいことか。
ある年、法勝寺の御幸があった折、私の家来の一人が六条判官の手のものに捕らえられた。それをきっかけとして、俗世を厭(いと)い離れたいという強い願いの歯が生え、仏の道をひたむきに求めようとする心の芽が大きく育ち、大治二年十月十一日には、拙い和歌が天皇の御感に召すところとなった。ありがたいことに、ご褒美として朝廷からは「朝日丸」という御名刀を賜り、女院の御方からは十五枚重ねの真っ赤な御衣をいただいた。我が身にはもったいないほどの栄誉を受けたわけだが、恐れ多いことではあったものの、私の心はそんなところには少しも留まらなかった。
ひたすら俗世の道を抜け出して悟りの世界に入り、修行の花を咲かせて実を結ぶその時を待ち望み、ついにその月の十五日の夜、月(玉兎)が仏の世界である西方へと傾く頃、「南無仏、南無仏、愛しい家族や執着と永遠に別れる時がやっと来たのだ」と、自分の髪の毛を切り落として持仏堂の床に投げ込み、愛おしい妻をも捨て、大切に思っていた幼い子供たちのことも心を鬼にして振り切ったのだ。
弦を離れた矢のように嵯峨の奥へと駆け込み、かつての贅沢な姿とは打って変わって、一鉢の器と三枚の衣だけを持つ心穏やかな身となってからは、花を摘み、水をすくうそのたびに、わずかながらも大いなる恩人であるお釈迦様の御前にて、一途な真心をお供えした。机の上を払い、お香を焚くたびに、慎ましく『無量義経』の経典の行間に両眼の熱い視線を注ぎ、静まり返った寂しいある夜には、明かりを灯す油の力も尽きて消えゆく炎に自分の命の終わりを重ね合わせ、ゆっくりと歩きさまようある時には、蜘蛛の糸がつなぎ止める露の珠を飾りとして生きているこの人間の世のはかなさを悟った。
そうして、ますます仏道への勤めを怠らず、三つの懺悔(さんざん)の涙で六つの波羅蜜(はらみつ)という船を浮かべ、五つの力の帆を掲げて二つの障りの荒波を乗り越えようとした。山林の中で我が身をいじめ抜き、雲や水のようにあてどなく魂をさまよわせるうちに、墨染めの麻の袂(たもと)には春霞の立つ吉野山の花の香りが残り、雲が湧き出る那智の高嶺の滝の飛沫(しぶき)で網代笠(あじろがさ)の汚れを洗い流した。住吉の松の根を洗う波の音や、難波の入江の枯れ葉を吹き抜ける風の音さえも、すべてが仏の教えを説く声として聞き取り、浮世をよそに振り捨てて越えてきた鈴鹿山や神路山では、ありがたさに思わず涙がこぼれ落ちた。
行く先も知れず消え失せる富士の煙に自分の思いを重ね、鴫立沢(しぎたつさわ)の夕暮れに足を止めて一人で嘆き、一人でさまよった武蔵野では雑草の露を踏みしだき、果ては白河の関を越えて、数々の山や川隔てた都の方をしのぶの里、おもわくの橋を渡り過ぎ、嵐が激しく雪が散る日にたどり着いた平泉。水面が凍りついた衣川を、寒い手で袖を抑えながら眺めやり、出羽へと赴いて多喜の山で薄紅色の花を愛で、象潟(きさかた)の雨に打たれ、木曽の青々とした山々の景色に喉を詰まらせ、そうしてようやく都(花洛)へと帰り着いてみれば、こここそはかつて見覚えのある、昔住んでいた家々の跡なのだろうか。蓬(よもぎ)の茂る露の中に月が隠れていく、この世の絶え間ない移り変わりの有様は、すべてのものは実体のない空(くう)であるという真理を示していた。
亡くなったあとに面影だけを残していった我が友たちは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。人の命が移り変わるスピードの速さは、水に浮かぶ藻(も)のたとえと何ら変わりがない。
私はますます心を励まし、はるか遠くの険しい岩の間に一人でこもり、人の目を気にせず心ゆくまで物思いにふけろうと、しばらく北山の庵で修行をやり通した後、ふらりと身を起こし、加茂明神に暇(いとま)を告げて仁安三年(1168年)の秋の初め、塩屋の薄い煙が松の木の間を縫うように緩やかにたなびき、小舟の白帆が霧に隠れて静かに去っていく、風情ある須磨や明石を通り過ぎた。
行く先々で歌枕の地を探りつつ歩いているうちに、思いがけずこの讃岐の国、真尾林(まおばやし)へとやってきたのである。この場所は大日如来の教えを広めた弘法大師がお生まれになった土地にも近く、なぜだか心が引き止められて、このように草庵を結んだのであった。
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