初級翻訳・人魚の姫 第5話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

でも、この話を知っているのは、おねえさまたちと、ほかに二、三人の人魚の娘たちだけでした。
みんなはごくなかのいい友だちにしか話さなかったからです。
ところが、ぐうぜんなことに、その友だちの中に、王子のことを知っている娘がいたのです。その娘も、いつか船の上で開かれていた、王子の誕生日のお祝いを見ていたのでした。
そして、うれしいことに、王子がどこの国の人で、その国はどこにあるのかということまで、知っていました。
「さあ、行きましょう」と、ほかのお姫사ま(お姫さま)たちが言いました。
そして、みんなで、腕と肩とを組んで、長く一列にならんで、王子のお城のあるという海べへ浮びあがっていきました。
そのお城は、つやつやした、うす黄色の石で作られていました。
大きな大理石の階段がいくつもあって、その一つは海の中まで降りていました。
上には、金色の、すばらしいまる屋根がそびえていました。
まる柱が建物のまわりをとりまいていましたが、その柱と柱のあいだには、ほんとうに生きているのではないかと思われるような、大理石の像が立っていました。
高い窓のすきとおったガラスからは、中が見えました。
そこには、たとえようもないくらいりっぱな広間がつづいていて、りっぱな絹のカーテンと、じゅうたんとがかかっていました。
それに、かべというかべには、大きな絵がいくつもかざってあって、いくら見ていても、あきないくらいでした。
いちばん大きな広間のまんなかには、大きなふんすいが、サラサラと音をたてていました。
そのしぶきは高く飛びちって、ガラスばりのまる天井まで、届くほどでした。
お日さまの光が、ガラスの天井からさしこんできて、水の上や、大きな水盤に浮んでいる美しい水草を、キラキラと照らしていました。
こうして、王子の住んでいるところがわかると、人魚のお姫さまは、それからというものは、夕方から夜にかけて、何度も何度も、その海べへ浮びあがっていきました。
そして、ほかの人たちには、とてもまねのできないくらい、陸の近くまでおよいでいきました。
それどころか、しまいには、せまい水路をさかのぼって、美しい大理石のテラスの下まで行きました。
テラスのかげは、水の面に長くうつっていました。
人魚のお姫さまは、そのテラスの下に身をかくして、若い王子を見あげました。
王子のほうでは、ほかにだれかいようとは夢にも知らず、ただひとり、明るいお月さまの光をあびて立っていました。
お姫さまは、王子が音楽をかなでながら、旗をひらひらとなびかせた、美しいボートに乗って、夕方海に出ていくのを、何度もながめました。
お姫さまは、みどりのアシのあいだから、そっとのぞいていたのでした。
風がそよそよと吹いてきて、お姫さまのしろがね色の、長いベールをひらひらさせると、それを見た人は、ハクチョウがつばさをひろげたのだろうと思いました。
漁師たちが、晩にたいまつをともして、海の上で漁をしながら、若い王子のうわさをしてほめているようなことが、よくありました。
お姫さまは、それを聞くたびに、この王子が、いつかあれくるう波にもまれて、いまにも死にかかっていたとき、自分が、その命をたすけてあげたのだと思うと、うれしくてなりませんでした。
そして、王子の頭が、自分の胸の上にじっともたれていたことや、王子のひたいに、心をこめてキスをしたことなどを思い出すのでした。
でも、王子のほうでは、そんなことはなんにも知らないのです。
お姫さまのことなどは、夢にも思ってみたことがありませんでした。
お姫さまは、だんだんに人間をしたうようになりました。
ますます、人間の世界へのぼっていって、仲間にはいりたいと思うようになりました。
人間の世界は、海の人魚の世界よりも、ずっとずっと大きいように思われました。
人間は、海の上を船に乗って走ることができます。
雲の上までそびえている、高い山にものぼることができます。
それに、人間の住んでいる陸地には、森や畑があって、それが、お姫さまの目の届かないほど遠くまで、どこまでもどこまでもひろがっているのです。
お姫さまの知りたいと思うことは、まだまだたくさんありました。
おねえさまたちにきいてみても、だれもみんな答えてくれることはできません。
そこで、お姫さまは、お年をとったおばあさまにたずねてみました。
おばあさまなら、上の世界のことをよく知っていましたから。
上の世界というのは、おばあさまが海の上の陸地につけた、なかなかうまい名前だったのです。
「人間というものは、おぼれて死ななければ、いつまでも生きていられるんでしょうか? 海の底のあたしたちのように、死ぬことはないんですか?」と、人魚のお姫さまはたずねました。
「いいえ、おまえ、人間だって死にますとも」と、おばあさまは言いました。
「それに、人間の一生は、かえって、わたしたちの一生よりも短いんだよ。
わたしたちは、三百年も生きていられるね。けれども、死んでしまえば、わたしたちはあわになって、海の面に浮いて出てしまうから、海の底のなつかしい人たちのところで、お墓を作ってもらうことができないんだよ。
わたしたちは、いつまでたっても、死ぬことのない魂というものもなければ、もう一度生れかわるということもない。
わたしたちは、あのみどりの色をした、アシに似ているんだよ。
ほら、アシは、一度切りとられれば、もう二度とみどりの葉を出すことができないだろう。
ところが、人間には、いつまでも死なない魂というものがあってね。
からだが死んで土になったあとまでも、それは生きのこっているんだよ。
そして、その魂は、すんだ空気の中を、キラキラ光っている、きれいなお星さまのところまで、のぼっていくんだよ。
わたしたちが、海の上に浮びあがって、人間の国を見るように、人間の魂は、わたしたちがけっして見ることのできない、美しいところへのぼっていくんだよ。
そこは天国といって、人間にとっても、前から知ることのない世界なんだがね」
「どうして、あたしたちには、いつまでたっても死なないという魂がさずかりませんの?」と、人魚のお姫さまは、悲しそうにたずねるのでした。
「あたしの生きていられる、何百年という年を、すっかりお返ししてもいいから、そのかわり、たった一日だけでも、人間になりたいわ。
そうして、その天国とかいうところへのぼっていきたいわ」
「そんなことを考えちゃいけないよ」と、おばあさまが言いました。
「わたしたちは、あの上の世界の人間よりも、ずっとしあわせなんだからね」
「だって、それなら、あたしは死んでしまうと、あわになって、海の上をただよわなくてはならないんでしょう。
そうなれば、もう、波の音楽も聞かれないでしょうし、きれいなお花や、まっかなお日さまも見られないんでしょう。
ああ、どうにかして、いつまでも死なないという、その魂をさずかることはできないものでしょうか?」
「そんなことをいってもねえ」と、おばあさまが言いました。
「でも、たった一つ、こういうことがあるよ。
人間の中のだれかが、おまえを好きになって、それこそ、おとうさんよりもおかあさんよりも、おまえのほうが好きになるんだね。

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