合従の策というのは、六つの国が手をつないで同盟を結び、そのチームワークの力で秦を滅ぼそうという作戦だった。
これが大成功し、蘇秦は六国同盟のボス(盟主)となったのである。
ところが、秦がその同盟の切り崩し作戦をスタートさせると、これがうまくハマって、間もなく同盟はバラバラになり、蘇秦は命からがら逃げ出すことになった。
その後にまた登場したのが「連衡の策」であり、これを成功させたのが蘇秦の友人である張儀という男だった。
張儀は、友人である蘇秦の合従策がうまくいっている間は、のんびりと構えて秦の王様に仕え、特に大きな仕事はしていなかった。
しかし、合従策が破れるやいなや、「さあ、いよいよ俺の出番だ!」と言って、六つの国を順番に回って連衡策を説き、見事に成功させたのだ。
ところが、これもまたすぐに破れてしまい、六つの国は再び秦から離れてバラバラになってしまった。
面白いのは、秦をはじめとする中国の六大強国が、あんなふうにあっちについたりこっちについたりして合従したり連衡したりしたのは、すべてこの蘇秦と張儀の「しゃべりのうまさ」一本にかかっていたということだ。
いかにこの二人の話術がずば抜けていて、いかに各国のお殿さまたちが彼らの言葉にコロリとだまされてしまったことか。
ちなみに、この二人の説の根本にあるものは、孔子や孟子のように「まずは自分自身の心をきたえ、それから家族を大切にし、そのあとにようやく国や世界を平和にする」といった、遠回りでまじめなものではなかった。
そうではなく、いきなり楚なら楚の王様に会いに行き、「楚国さんのすごいところはここですね、でもこういう弱点もありますね。だからこそ、今の楚国だけでは国を守り抜くことはできませんよ。他の国々としっかり同盟を結ぶべきです!」と、ストレートに説得するのである。
この二人にとって、個人の道徳心や正しい心などはどうでもよく、国そのものがどれだけ豊かで強くなるかという、目に見える物質的な利益だけがすべてだったのだ。
だからこそ、各国の王様たちにも分かりやすかったし、一時的ではあったけれどその説は受け入れられ、作戦は実行に移され、本人たちも宰相に出世して、お父さんやお母さん、奥さんや義理の姉妹たちに偉そうな顔をすることができたのである。
これとは反対に、孔子や孟子などは、「一人ひとりの人間が本当の意味で正しい人間にならなければ、国も世界も絶対に平和にならない」という、あまりにも本当の真理を説いたものだから、一生貧乏暮らしをし、時には餓死しかけるような目にあったのだった。
さて、そうこうしているうちに、蘇秦と張儀という二人が現れて、あの縦横の説(後世の人は二人の説をこう呼んだ)を思いきり振りまわし、六つの国に合従や連衡を次々とさせまくったものだから、六つの国はいつも走り回って疲れ果て、お互いを疑い合うようになり、とうとう秦によって一つまた一つと滅ぼされてしまったのだ。
六つの国を滅ぼしたのは、ほかならぬ秦そのものではなく、成り上がり者で、大ボラ吹きで、人のすきにつけ込む、口先だけのペテン師であり、真理を守る者ではない蘇秦と張儀という「縦横家」たちだったのである。
六 ウエルスの予言
H・G・ウエルスは、現代イギリスの文豪という枠にとどまらず、世界の歴史に残る大文豪であることは今さら言うまでもない。そして、彼の書くSF小説(科学小説)が、単なる空想科学のお話にとどまらず、宇宙や人類の未来を的中させる「予言文学」であることも、これまた広く知られていることなのだ。僕は、コナン・ドイルの探偵小説と、イブセンの戯曲と、ウエルスの科学小説――この三つだけは、全部読んでいる。
そこで、ここではウエルスの科学小説について、ほんのちょっとした感想を述べることにするが、彼の『火星人の来襲』という一篇を、諸君よ、しっかりと気合を入れて読んでみたまえ。
なぜなら、現在ドイツが実験して成功させつつある「火焔砲(かえんほう)」というものを、ウエルスはその『火星人の来襲』という小説の中で、なんと二十数年も前に、百倍も千倍もスケールアップして予言しているからだ。
その小説のストーリーのあらましはこうだ。一人の火星人が地球へやって来て、殺人光線放射器を使い、世界中――地球のすべてを征服するというものである。
だが不幸にして、この火星から地球へやって来た生物は、地球の気候や温度についての研究をサボっていたため、地球の細菌にやられて死んでしまい、地球征服は失敗に終わるのだった。
ここで注意しなければならないのは、火星人が持っていたような、あんなに発達した殺人光線放射器が実際に発明されたとしたら、本当に、たった一人で地球を征服できてしまうということだ。
そうなれば、軍隊も、政治家も、外交官も、一切必要なくなるだろう。
ところで、今度のヨーロッパ戦争でドイツ軍は、「火焔砲」という新しい武器を使って、ものすごい効果をあげているようだ。
その火焔砲はもちろん、殺人光線放射器なんかではなく、単に筒の口から強烈な炎を吐き出して、人間や鋼鉄やコンクリートなどを焼き溶かすだけのものらしい。ウエルスの頭脳が創り出した火星人の殺人光線放射器とは、比べものにならないほど低いレベルの新兵器である。
しかし僕が思うに、ドイツの科学者たちは、この火焔砲の発明を出発点にして、そのうちにとてつもない「殺人光線放射器」を発明してしまうのではないだろうか?
まったく、ドイツの火焔砲は、ウエルスが頭脳の中で想像した殺人光線放射器に、かなり似ているのだから。
数十年前の過去において、飛行機や潜水艦の今日のようなすさまじい発達を、いったい何人の人が予想できたろうか?
だがしかし、文学の世界においては、飛行機や潜水艦の今日の発達をちゃんと見越して、小説の中に書いているのである。
フランスのジュール・ベルヌの作品などがまさにそれであり、日本の押川春浪の作品も、レベルこそ少し子供っぽいけれど、やはりそれなりの予想をしている。
文学のなかに描かれるものには、「予言の書」と言ってよいものがあるのだ。
そして、文学の中で予言されたことは、後になって九分九厘まで現実の形になっている。
では、ウエルスの予言小説『火星人の来襲』の中に書かれている殺人光線放射器が、やがて本当に発明されないと、誰が言い切れるだろうか?
七 後詰め
「後詰め(ごづめ)」というのは、日本の昔の戦争で使われていた専門用語だ。それは、たとえばAという国がBという国を攻めようとする時、Cという友達の国に向かって、
「どうか兵を出して、私たちの軍隊の後ろを守って(バックアップして)ください」
と頼み込む。
「よろしい」と言って、C国がA国の軍隊を助けるために兵を出した時、その兵を「後詰め」と呼ぶのだ。
その後詰めの兵たちは、ただ出兵してぼんやり突っ立っているわけではない。同盟軍であるA国の兵たちがピンチの時には、もちろん合戦に加わって全力で戦うのである。
たとえば豊臣秀吉が備中の高松城を水攻めにした時、薩摩の島津氏が高松城を救おうと出兵したが、水に阻まれてどうすることもできなかった――しかし、この時の島津の兵たちも「後詰め」の兵なのである。
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