初級翻訳・卵塔場の天女 第19話

卵塔場の天女

ああ、しかも聞いてください――あのお久という人の息子の一人が、後ろからついて大声で謡っているのを!
――主役「いや、疑うのは人間の方で、天に偽りなし――」

気のせいか、八郎がほんのちょっと舌打ちをしたように見えましたが、それは私の気のせい(聞き間違い)だったのでしょう。やっと静かに、羽衣の着こなしをピシッと整えて立ち上がったのを見て、昨夜、紅屋の霜の降るような床にひざまずいて羽織を着せられたあの姿と比べながら、私はひそかに、芸の道における気高さと、芸人としてのプライドの凄みを感じていました……まさにその時です。
お久という人が、自分の席からスッと突然立ち上がり、ピンと尖った「銀杏返し」の髪型で胸を突き出して、なんと舞台の正面へと向かい合った、その瞬間でした。
立ち込める霧のように艶やかな小紋の着物の影が、私の袖のあたりから通路へとスーッと真っ直ぐ立ち上がり、立つが早いつつかつかと舞台へと上がっていったのです。
その、お悦の姿が、くっきりと、少し小さく見えたその瞬間と重なり合うようにして、羽衣の袖が扇子と一緒に床にパッと落ち、天女がドンとひざまずいたその背中を、お悦がパーン、パーンと三回か四回、平手で叩いた……と、私には見えました。
……
「急病だ!」
「脳貧血(貧血で倒れた)だ!」
「恋愛の恨みだ!」
「薄情な男への罰だ!」
と、あちこちでざわざわと噂し合う声が飛び交い、劇場中の天井までどっと湧き返るはずが、かえってその瞬間、シーンと静まり返ってしまいました。
もうその時、天女は、転んだ小さな子どもがお母さんに抱っこされるように、お悦に背中を支えられながらも、しかし静かに、橋がかりをゆっくりと引き下がっていくところでした。
……一の松、二の松、三の松へと、天女の幻が足跡に刻まれていき、その影が舞台の壁に美しい錦の模様を映しながら、まるで藻(も)が抜けて消えていくかのように……主役の手を、お悦がもう一度その肩をポンと叩いて、さっき自分で拾い上げた扇子を渡したのが、ちょうど幕の際(きわ)でした。
幕はすばやくスルスルと下ろされました。
それと同時に、まるで横殴りの風のように身を翻(ひるがえ)し、今度は友禅の着物の裾を蹴り上げながら、白足袋のままで飛ぶようにこちらへと取って返すと、お悦は私の手を掴むが早いか、力いっぱい引っ張り出して、真っ暗な木戸口(出口)へと駆け抜けました。
そのあまりの早さに、私がまず一番に目に入ったのは、青いような駒下駄の鼻緒でした。お悦は自分の下駄を自分の足ですっと素早く抜き取ると、私の下駄をポンと並べてくれました。
それからというもの、松林のなだらかな下り坂を一目散に駆け出しました。
「ごめんなさい、先生!
――八郎さんに会うまでは、何も聞かずに黙ってついてきてくださいね!――」
「えっ……? 私はよそ者だから道がわからないし、どうすることもできませんから、すべてあなたにお任せしますよ。」
町のこのあたりは、すっかり場末(町のずれ)の雰囲気です。
松の木のすき間から、少し高いところにある能楽堂の電灯の光がぼんやりと映し出されていて、建物自体は潰れたり崩れたりしていません。
けれど、まるで雷や大地震、あるいは大爆発が起きる直前のひとコマを閉じ込めたかのような、魔界の宮殿のような雰囲気が漂っています。あの「楽園」にあった六方石の冷たい霜柱のような景色をあとに残しながら、私たちはしばらくして、ようやく賑やかな大通りへと出ました。
「少しここで隠れていましょう。」
まるで、戦に負けて逃げる落ち武者のような姿です。
ふと見つけたうどん屋さんに駆け込んだ時、さすがのお悦も「お水を、お水をください!」と息を切らしました。
そして、コップの水を続けてグイッと飲み干したところで、はじめてお酒に酔ったように……ぽっと顔に血の気が上って赤くなったのでした。「なにも言わずに、私はいただきますよ」
「たくさん召し上がれ……あとで、またごちそうしますからね」
――電話で、旅宿(ホテル)へ連絡し、それから呼び出しという形で紅屋へと電話をかけました。
もちろん、八郎はもう帰っていません。
楽屋にいるはずもありません。
たとえいたとしても、わざわざそこを訪ねるような人数ではないからです。
……再び、お悦の案内するままに私たちは歩き出しました。

そして、川通りの骨董屋さんへとやって来たのです。
なんと、八郎は本当にここに現れていたのでした。
まるで不思議な霊感と言ってもいいでしょう。
……ここあたりに違いないと見当をつけていたお悦ですが、さらに驚いたことに――紅屋で振る舞った昨夜の酒を、八郎が「地酒だ」と冷たく批評したのを悔しがっていた彼女は、本物の地酒の中でも「剣」という銘柄のすごくおいしいお酒を途中で買い求め、それを立派な角樽(つのだる)にしてぶら下げて持っていたのです。
「つけましょうか、それともつけないでおきましょうか」とお悦は骨董店の椅子に腰をすり寄らせて言いました。
「あんな格好で、花瓶を持って、いったいどちらの方へ行ったのでしょうかねえ」
「ええ、大橋の方へ、スルスルとね。はあ……」
お悦はニコッと微笑んで、
「この人通りですから、まさか身投げじゃありませんよね」と言いました。
店の主人の顔を見てごらんなさい。
主人のその驚いた顔にかぶせるように、お悦は言いました。
「湯飲みを一つ貸してください、お茶碗でもいいですよ」
「はあはあ」
あたりにプンと良い香りが漂うなか、樽からみなぎるほどお酒を酌んでくれたので、私はゴクゴクと飲み干しました。
本当に、この素晴らしいお酒の鋭さは、まるで鋭い剣のようです。
「お楽しみでございますな、奥様もおひとついかがで? えへへへ」
と、ヤケクソ気味に、なんだか悔しそうにしながら、主人はもう一つ茶碗を出して、また樽の口をいっぱいに傾けて注ぎました。
「お酒だけは、私は一滴もダメなんです。
――旦那さま、どうぞ召し上がってください。
……ごちそうさまでした。ほほほほほ」

九

橋の手前、辻の角にある、古びてはいるけれどその辺りでは一番の老舗らしきお菓子屋さんに入ると、お悦は売り台に立ち向かって言いました。
「あの……番頭さん、お店の方もよく聞いてくださいね。
私ね、最近人から聞いたんですが。
お店のしきたりで、あの紅白まんじゅうだの、羊羹(ようかん)だの、お餅菓子なんかを組み合わせて、結婚式とか赤ちゃんが生まれた時のお祝いの注文先へ配っていらっしゃるでしょう?」
「へい、へい」
「あの、能の葛桶(くずおけ)みたいな形で、青貝がちりばめられた蒔絵(まきえ)で、三つ巴の家紋がついた古いお重箱がたくさんありますよね。

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