だから私は、天皇の命を受けて成敗しに来たのだ」
命は、堂々とした態度でお名乗りになりました。
建はそれを聞くと、こう答えました。
「なるほど、あなたのようなお方であれば、きっとそうに違いない。この西の国には、私ども二人より強い者は一人もおりません。それに引きかえ大和には、我々をしのぐほど素晴らしいお方がいらっしゃったものだ。恐れながら、私からあなたへお名前を差し上げます。これからはあなたを『倭建命(やまとたけるのみこと)』とお呼びしたい」
命は、建が言い終わるか終わらないかのうちに、その荒くれ者を、まるで熟したまくわうりを切るかのように、ずぶずぶと切り捨てておしまいになりました。
それ以来、誰もが命のご武勇を称え、倭建命とお呼びするようになったのです。
命はその後、大和へお帰りになる途中で、各地の山や川の神々、また穴戸(あなと)の神などと称して険しい場所に立てこもっている悪神たちを、片っ端から従えていきました。さらに出雲の国へ向かい、そのあたりで幅を利かせていた「出雲建(いずもたける)」という悪者を退治することにしました。
命はまずその建の家を訪ねて親しくなり、交流を深めました。そして後日、こっそりと赤檮(あかひのき)の木を刀の形に削り、立派な太刀のように飾りをつけて腰に吊るしました。それから建を誘い出し、二人で肥の河へ水浴びに出かけました。
頃合いを見計らって、命は先にお上がりになると、冗談めかして建の太刀を身につけ、こう言いました。
「どうだ、二人でこの刀を取り替えっこしないか」
建はあとからのそのそ上がってきて、「よろしい、取り替えよう」と言い、すっかり騙されて命の偽物の刀を腰に吊るしました。
命が「さあ、二人で試合をしよう」と言い出し、両者で刀を抜き放とうとしたときのことです。建の刀は偽物ですから、いくら力を入れても抜けるはずがありません。建がまごまごしている間に、命は素早く本物の刀を抜き放ち、たちまちその悪者を切り殺してしまいました。
その後、命は建が抜けない刀を必死に抜こうとして慌てふためいた様子を歌に詠み、大笑いなさいました。
三
命はこうして道中の賊たちをすっかり平らげ、大和へ帰還して、天皇にすべてをご報告なさいました。
すると天皇は、間髪入れずに命へ、今度は東の方にある十二の国の荒ぶる神々や、命令に従わない者たちを説き伏せてくるよう命じました。そして、柊(ひいらぎ)の矛を授け、御友耳建日子(みともみみたけひこ)という者を補佐としてお付けになりました。
命は言いつけに従い、すぐに出発されました。途中、伊勢の神宮へ参拝し、叔母の倭媛(やまとひめ)に再び別れを告げました。
そのとき命は、叔母に向かってこう漏らされました。
「天皇は、私を早く死なせようとなさっているのでしょうか。つい先ほどまで西の賊を討ちに行っていたばかりで、ようやく帰ってきたと思えば、今度はすぐに東の悪者どもを討てとおっしゃる。それも、軍勢と呼べるほどのものも付けてくださらない。この様子から推察するに、私を早く死なせようとされているとしか思えません」
命はそう言って涙を流しながら、出発しようとされました。
叔母は、命の恨み言をやさしくなだめたうえで、かつて神代の昔、須佐之男命(すさのおのみこと)が大蛇の尾からお見つけになったという貴い宝物の「御剣(みつるぎ)」と、一つのお守り袋を授けました。そして「万が一、急なことがあったら、この袋の口を解きなさい」と言い含めました。
命はその後、尾張へ入り、そこの国造(くにのみやつこ)の娘である美夜受媛(みやずひめ)の家に泊まりました。そして「帰りには必ずまた立ち寄るから」と言い残して、さらに東の国へと進み、山や川に住む荒ぶる神々や、天皇に従わない悪者たちを一人残らず平らげていきました。
やがて相模(さがみ)の国へお着きになったときのことです。そこの国造が、命を殺そうと企んでこう言いました。
「あそこの野の中に大きな沼がございます。その中に住む神がまことに乱暴で、皆が困っております」
命はそれを真に受けて野の中へお入りになりましたが、国造は不意を突いてその野に火を放ち、四方から激しく焼き立てました。
命はここで初めて、あの男に騙されたのだと気づかれたのでした。その間にも火はぐんぐんと迫ってきて、命のお身に危険が及びました。
命は、叔母上からのお言葉を思い出して、急いで例の袋のひもを解いて中をのぞいてみると、そこには火打石が入っていました。
命はすぐに、あのお宝の御剣を抜いて、周りの草をどんどん薙ぎ払うと、その火打石で火を起こし、逆に相手の方へ向かって火を放ち、焼き払ってしまわれました。
こうして命は、ようやくその野原から逃げ出すことができました。
そしてすぐさま、あの悪い国造とその手下たちを一人残らず切り殺し、火をつけて焼き払ってしまわれました。
それ以来、その場所を「焼津(やいづ)」と呼ぶようになりました。
また、命が草を薙ぎ払ったその御剣を、「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ぶようになったのです。
命はその相模の国をお立ちになり、船で上総(かずさ)へ渡ろうとなさいました。
すると途中で、その海の神が急に大波を巻き起こし、海一面をひどく荒れ狂わせました。
命の船はたちまち波に翻弄され、進むことも戻ることもできなくなってしまいました。
そのとき、命のお供をしていた弟橘媛(おとたちばなひめ)がこう言いました。
「これはきっと、海の神のたたりに違いありません。私があなたのお身代わりとなって、海の神をなだめましょう。あなたはどうぞ、天皇の言いつけを最後まで成し遂げて、無事に大和へお帰りくださいませ」
そう言うと、媛はすげの畳を八枚、皮の畳を六枚、絹の畳を八枚と、幾重にも重ねて波の上に投げ下ろし、身をひるがえしてその上へ飛び降りました。
大波は見る間に媛を飲み込んでしまいました。
すると、それまで荒れ狂っていた海が、嘘のようにぱったりと静まり、急に穏やかな凪となりました。
命はそのおかげでようやく船を進め、上総の岸へ無事にたどり着くことができました。
それから七日目に、橘媛の櫛(くし)が浜辺に打ち上げられました。
命はその櫛を拾わせ、哀れな媛のために立派なお墓を建てさせました。
橘媛が生前に詠んだ歌があります。
「さねさし、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも」
これは、相模の野原で火攻めに遭ったとき、燃え盛る火の中に立っていた私を、命がこんな危機的な状況でも私の身を案じて、いろいろと慰め声をかけてくださった……その情け深いお心遣いが忘れられない、という思いを込めて詠んだ歌でした。
命はそこからさらに先へと進み、行く先々で手に負えない悪者たちを平らげ、山や川の荒ぶる神々をも従えていきました。
そうしてようやく、再び大和へ帰る旅路につかれました。
その途中、足柄山の坂の下で食事をなされていると、その坂の神が白い鹿に姿を変えて現れ、命をじっと見つめて立っていました。
命はそれを見ると、食べ残しのニラの切れ端を手に取り、鹿めがけて投げつけました。
すると、それがちょうど鹿の目に当たり、鹿はばたりと倒れてしまいました。
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