健ちゃん、くさい野菜は本当に嫌いなんだ!」
「おお、そうかそうか、ちょっと待ってくれよ。」
おばあさんは健ちゃんを抱いたまま歩き、今度はほうれん草をちぎってふいてやりました。
ぶううん――と、尾を切ったような汽笛が響いてきました。
汽船が健ちゃんの村の港を出発したのでした。
「ほら、ほら、蒸気船が来るぞ、もうすぐ見えるぞ。」
おばあさんはパタパタと健ちゃんの上着を払い、ズボンを払いました。
健ちゃんも手のひらの土をパチパチと払いました。
そしておばあさんと同じように額に手をかざして沖を眺めました。
岬の鼻から汽船が静かに姿を現しました。
夕日が映えて海は金色に輝いてまぶしかったです。
きらきら光る波の上を船はだんだんスピードを増し、潮を切ってまっすぐに西へ西へと進んでいきました。
「おばあさん、あの船でお母さんは戻ってこないかなあ。」
「さあ、戻ってくるかねえ。
何をしているんだろうなあ。」
おばあさんはそれをきっかけにして、豚小屋の片付けを始めました。
低い軒にたくし上げてあったむしろを下ろして、小屋を囲っていきました。
「お母さああん、早く戻ってきてよお――健ちゃんがここにいるよおお――!」だんだん小さくなっていく船にむかって、健ちゃんはびっくりするような大きな声をはりあげました。
おばあさんも驚き、豚もびっくりして、ガサガサと敷きわらをけとばして小屋の中をとびまわりました。
「お母さあん、早よ戻ってこーい!」
腰を曲げ、本当におなかの底からしぼり出すような格好で、顔をしかめて、声がかぎり大きくなるように呼びかけました。
声は近くの山にこだまして返ってきました。
おばあさんは手早く小屋を囲い終えると、健ちゃんのそばに来て頭をなでました。
「健ちゃんな、あの蒸気船はなあ、高松へ行く船じゃけえ、お母さんは乗っとらんのよ。
お母さんが乗っとったら、もう今ごろは船から降りて健ちゃんを迎えに来よるかもしれん。
そうじゃ、さあ、早く帰ろうか、早く帰ろうか。」
おばあさんは健ちゃんの肩を引っぱって駆け出すような格好をしました。
二人は手をつないで歩きました。
「早く帰ろうかあ、早く帰ろうか。」
おばあさんが歩きながら言うと、健ちゃんもそれに続いて、
「早く帰ろうかあ、早く帰ろうか。」
と、代わる代わる歌うように調子をとって、それに合わせて道を下っていきました。
おばあさんのかついだからの桶がふらりふらりと揺れました。
「お仕事おしまいなさったかな?」
「へい、お帰り。」
畑仕事帰りの人たちが声をかけながら二人を追い越して、だんだんと家に帰っていきました。
「早く帰ろうかあ、早く帰ろうか」
「早く帰ろうかあ、早く帰ろうか」
健ちゃんもおばあさんもやっぱり歌いながら、ゆっくりと石ころ道を下っていきました。
三
浜は学校帰りの子どもたちでにぎわい、だんだんと活気が出てきました。
健ちゃんはその群れに近づいていきましたが、うまく中に入れなくて、うらやましそうに見ていました。
健ちゃんの洋服は汚れていて、だんだん暖かくなったので下着を一枚ぬがされていました。
それでも健ちゃんはまだ村になじめず、毎日のようにお母さんの帰りを待ちわびていました。
汽船が通ります。
ヨーロッパへ行く大きな汽船や、近海を回る小さな汽船、もっと小さな上方(かみがた)通りの発動機船がポンポンと音を立てて行き来します。
子どもたちにとっては、それらの船はみな軍艦でした。
沖に向かって声援を送ります。
大きな軍艦が小さな軍艦を追い越しました。
蒸気船が起こす波が沖からうねりながら押し寄せてきます。
小さな漁船が木の葉のように揺られています。
子どもたちは、大きな歓声をあげて陸の方へ駆け出しました。
ザザア! と大波が打ち寄せ、打ち返し、まるで嵐のようにはげしく暴れました。
波は寄せるたびに小さくなり、あとはウソのように静かな、もとの海辺に戻りました。
今度は陸上での戦闘ごっこ(陸戦隊)です。
子どもたちは手に手に棒切れを持って、敵も味方もなく駆け回りました。
健ちゃんは自分の頭に棒切れがあたりそうで、おろおろと逃げ回りました。
やっとそこから逃れても、今度は誰かの頭にあたりそうで、ヒヤヒヤしながら目をしばたたいたりしました。
郵便飛行機が飛んできました。
東の方からエンジン音がだんだん近づいてくると、子どもたちは遊びをやめて空を見上げました。
両手をあげて「ばんざい!」と迎える子、片手を額にかざしてその姿に見入る子。
「見える、見える、ぼくらにも、乗っとる人が見えたぞ!」
「あっ、翼に日の丸がついとるよ!」
「英語が書いとるのも見えたぞ!」
頭の真上を飛び去る飛行機から、みんなそれぞれ誰もが気づかないものを見つけ出そうと、顔を空に向けて夢中になっているうちに、いつの間にかその姿を見送っていました。
「飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
とつぜん大声で叫んだのは、健ちゃんでした。
みんなは思わず笑い出しましたが、しかしすぐにそれに合わせて、子どもたちはみな四股(しこ)を踏みました。
「飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
「一、二の、三! 飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
飛行機はだんだん小さくなり、やがて見えなくなってしまいました。
いつの間にか、日が落ちかけていました。
家に帰ると、太郎くんのお父さんも醤油工場から帰ったばかりで、まだ仕事着のまま縁側に腰かけていました。
太郎くんも秀子ちゃんもお父さんにしがみついて甘えていました。
太郎くんたちのお父さんは、健ちゃんのお父さんの兄で、まるで双子のようにそっくりな顔をしています。
健ちゃんは小刻みに草履を引きずりながらおじさんのそばへ寄っていって、おじさんの顔を見上げ、ふっ、ふっと笑いました。
おじさんは立ち上がって健ちゃんの方へ近づき、両手を広げました。
ふわりと醤油工場のにおいがしました。
「どれどれ、健ちゃん、おお、重たいぞ、重たいぞ、なかなか持ち上がらんぞ。
こりゃ重たい、健ちゃんは克ちゃん(お父さん)の兄ちゃんだけあって、石のように重たいなぁ!」
おじさんは健ちゃんの両脇を抱え、重たくて重たくてたまらないという顔をしてだんだん持ち上げていき、とうとう頭の上まで持ち上げて(差し上げをして)ぐるぐると振り回しました。
健ちゃんはうれしくてたまりませんでした。
大きく口を開けて、わは、は、はと笑いました。
台所の方からおばあさんのもらい笑いが聞こえてきました。
「太郎も重たいか見てよ、お父さん!」
「秀ちゃんも!」
縁側にいた二人がお団子のように固まってお父さんに飛びついてきました。
「こら、危ない、危ない!」二人を腰で支えながら、おじさんはそっと健ちゃんを草履の上に降ろしました。
茶の間からおばあさんの声が聞こえてきました。
「さあさあ、みんなご飯の時間だよ。太郎も健ちゃんも、早くおいで!」
「やったあ、ごはんじゃ、ごはんじゃあ!」
太郎くんも秀子ちゃんもそのまま茶の間へとんでいきました。
「太郎、一等賞っと!」
「秀子も一等賞っと!」
二人が大きな声で叫んでいます。
ちゃぶ台の上の食器ががちゃがちゃと音を立てているのが聞こえます。
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