初級翻訳・怪人二十面相 第25話

怪人二十面相

二十面相の逮捕

「あ、明智さん、今、あなたを訪ねようとしていたところでした。あいつはどこにいますか」
明智探偵は、鉄道ホテルから五十メートルも歩かないうちに、突然呼び止められて立ち止まらなければなりませんでした。
「ああ、今西君」
それは警視庁捜査課に勤務する今西刑事でした。
「挨拶は後にして、辻野と自称する男はどうしました。まさか逃がしてしまったわけではないでしょうね」
「君は、どうしてそれを知っているのですか」
「小林君がプラットホームで妙なことをしているのを見つけたのです。あの子どもは実に強情ですね。いくら尋ねてもなかなか言わないのです。しかし、手を替え品を替えて、とうとう白状させてしまいましたよ。あなたが外務省の辻野という男と一緒に鉄道ホテルへ入ったこと、その辻野がどうやら二十面相の変装らしいことなどをね。さっそく外務省へ電話をかけてみましたが、辻野さんはちゃんと省に出勤しているんです。そいつは偽物に違いありません。そこで、あなたを応援するために駆けつけてきたというわけですよ」
「それはご苦労さま。だが、あの男はもう帰ってしまいましたよ」
「えっ、帰ってしまった? じゃあ、そいつは二十面相ではなかったのですか?」
「二十面相でしたよ。なかなか面白い男ですね」
「明智さん、明智さん、あなた何を冗談を言っているんです。二十面相と分かっていながら、警察へ知らせもしないで逃がしてやったとおっしゃるのですか」
今西刑事はあまりのことに、明智探偵の正気を疑いたくなるほどでした。
「僕に少し考えがあるのです」
明智はすました顔で答えます。
「考えがあるといって、そういうことを一個人のあなたが勝手に決めてくださっては困りますね。いずれにしても賊と分かっていながら逃がすという手はありません。僕は職務として奴を追跡しないわけにはいきません。奴はどちらへ行きました。自動車でしょうね」
刑事は、民間探偵の独断専行をひどく憤慨しています。
「君が追跡するというならそれはご自由ですが、おそらく無駄でしょうよ」
「あなたのお指図は受けません。ホテルへ行って自動車番号を調べて、手配をします」
「ああ、車の番号ならホテルへ行かなくても僕が知っていますよ。一三八八七番です」
「えっ、あなたは車の番号まで知っているのですか。そして、後を追おうともなさらないのですか」
刑事は再び呆気にとられてしまいましたが、一刻を争うこの際、無益な問答を続けているわけにはいきません。番号を手帳に書き留めると、すぐ前にある交番へ飛ぶように走っていきました。警察電話によって、このことが都内の各警察署へ、また交番へと、またたく間に伝えられました。
「一三八八七番を捕まえろ。その車に二十面相が外務省の辻野氏に化けて乗っているのだ」
この命令が、東京中の警察官の心をどれほど躍らせたことでしょう。われこそはその自動車を捕まえて、凶賊逮捕の名誉を担わんと、交番という交番の警官たちが目を皿のようにし、手ぐすね引いて待ち構えたことは言うまでもありません。

怪盗がホテルを出発してから二十分ほどたったころ、幸運にも一三八八七番の自動車を発見したのは、新宿区戸塚町の交番に勤務している一人の警官でした。それはまだ若くて勇気に富んだおまわりさんでしたが、交番の前を規定以上のスピードで矢のように走り抜けた一台の自動車をヒョイと見ると、その番号が一三八八七番だったのです。
若いおまわりさんはハッとして、思わず武者震いをしました。そして、その後に走ってくる空車を呼び止めるなり飛び乗って、
「あの車だッ、あの車に有名な二十面相が乗っているんだ! 走ってくれ。スピードはいくら出してもかまわん、エンジンが破裂するまで走ってくれッ!」
と叫ぶのでした。
幸い、その自動車の運転手もまた心意気のある若者でした。車は新しく、エンジンに申し分はありません。走る、走る、まるで鉄砲玉みたいに走り出したのです。悪魔のように疾走する二台の自動車は、道行く人々の度肝を抜かずにはおきませんでした。振り返れば、後ろの車には一人の警官が腰を浮かせ、一心不乱に前方を見つめながら、何かを大声で叫んでいるではありませんか。
「捕り物だ、捕り物だ!」
野次馬たちが叫びながら、車と一緒に駆け出します。
それにつられて犬がほえ、歩いていた群衆が皆立ち止まってしまうという大騒ぎです。
しかし自動車は、そんな光景をあとに見捨てて、まるで通り魔のように、ただ先へ先へと飛び去っていきます。
何台の自動車を追い抜いたことでしょう。また、何度自動車にぶつかりそうになって、あやうくよけたことでしょう。
細い道ではスピードが出せないため、賊の車は大環状線に出ると、王子の方角に向かって疾走しはじめました。
賊はもちろん、追跡されていることに気づいています。
しかし、どうすることもできません。昼間の都内で、車を飛び降りて身を隠すなどという芸当は、できっこないのです。
池袋を過ぎたころ、前の車から「パーン」という激しい音が聞こえました。
ああ、賊はとうとう我慢しきれなくなって、例のポケットのピストルを取り出したのでしょうか。
いいえ、そうではありませんでした。
西洋のギャング映画ではないのです。賑やかな町の中でピストルなど撃ったところで、今さら逃げられるものではありません。
ピストルではなく、車輪がパンクした音だったのです。賊の運も尽きたのでしょう。
それでもしばらくの間は無理に車を走らせていましたが、いつしか速度が鈍り、ついにおまわりさんの自動車に追い抜かれてしまいました。
逃げる行く手を自動車でふさがれては、もうどうすることもできません。二台の車は止まりました。
たちまちその周りには、黒山のような人だかりができます。やがて付近の警官たちも駆けつけてきました。
ああ、読者諸君、辻野氏はとうとう捕まってしまいました。
「二十面相だ、二十面相だ!」
誰言うとなく、群衆の中からそんな声が上がりました。
賊は、付近から駆けつけた二人の警官と、戸塚の交番の若い警官、合わせて三人に取り囲まれ、叱りつけられて、もう抵抗する力もなくうなだれています。
「二十面相がつかまった!」
「なんてふてぶてしい顔をしているんだろう」
「でも、あのおまわりさん、えらいわねえ」
「おまわりさん、万歳!」
群衆の中に巻き起こる歓声の中を、警官と賊は、追跡してきた車に同乗して警視庁へと急ぎます。管轄の警察署に留置するには、あまりに大物だからです。
警視庁に到着してことの次第が判明すると、庁内にはドッと歓声がわき上がりました。
手を焼いていた希代の凶賊が、なんと思いがけなく捕まったことでしょう。
これというのも、今西刑事の機敏な処置と、戸塚署の若い警官の奮戦のおかげだというので、二人は胴上げされんばかりの人気です。
この報告を聞いて誰よりも喜んだのは、中村捜査係長でした。係長は羽柴家の事件の際、賊のためにまんまと出し抜かれた恨みを忘れることができなかったからです。
さっそく調べ室で、厳重な取り調べが始められました。相手は変装の名人ですから、誰も顔を見知った者がいません。
何よりも先に人違いでないかを確かめるために、証人を呼び出さねばなりませんでした。

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