」
老博士が挨拶すると、総監は少し決まり悪そうに笑ってみせました。
「いや、お恥ずかしい話ですが、じっとしていられませんでね。たかが一人の盗賊のために、これほどの騒ぎを起こさねばならないとは、実に恥辱です。わしは警視庁に入って以来、こんなひどい恥辱を受けたことは初めてですよ。」
「アハハ……」老博士は力なく笑って、「私も同感です。あの青二才の盗賊のせいで、一週間というもの、不眠症にかかっているのですからな。」
「しかし、もう残る時間は二十分ほどですよ。ええ、北小路さん。まさか二十分の間に、この厳重な警戒を破って、たくさんの美術品を盗み出すなんて、いくら魔法使いでも、少し難しい芸当ではないでしょうか。」
「わかりません。私には魔法使いのことはわかりません。ただ一刻も早く四時が過ぎ去ってくれればよいと願うばかりです。」
老博士は、怒ったような口調で言いました。あまりの事態に、二十面相の話をするのも腹立たしいのでしょう。
室内の三人は、それきり黙り込んで、ただ壁の時計とにらめっこをするばかりでした。
金モールで飾られたいかめしい制服に包まれた、相撲取りのように立派な体格の警視総監。中肉中背で、八の字ひげが美しい刑事部長。背広姿でツルのように痩せ、白髪白髭をたくわえた北小路博士。その三人がそれぞれ安楽椅子に腰かけて、チラチラと時計の針を眺めている様子は、ものものしいというよりは、何かしら奇妙で、その場にそぐわない光景でした。
そうして十数分が過ぎたとき、沈黙に耐えかねた刑事部長が、突然口を開きました。
「ああ、明智君は、いったいどうしているんでしょうね。私はあの男とは親しくしていたんですが、どうも不思議ですよ。今までの経験から考えても、こんな失策をやるような男ではないのですがね。」
その言葉に、総監は太った体をねじまげるようにして、部下の顔を見ました。
「君たちは『明智、明智』と、まるで彼を崇拝でもしているようだが、私は賛成できないね。いくら偉いといっても、たかが一民間探偵じゃないか。どれほどのことができるものか。一人の力で二十面相を捕まえてみせるなどと言っていたそうだが、大口を叩きすぎだよ。今回の失敗は、あの男にとって良い薬になるだろう。」
「ですが、明智君のこれまでの功績を考えますと、一概にそうとも言い切れません。今も外で中村君と話したことですが、こんな時こそ、あの男がいてくれたらと思うのですよ。」
刑事部長の言葉が終わるか終わらぬかの時でした。
館長室のドアが静かに開いて、ひとりの人物が現れました。
「明智はここにおります。」
その人物がニコニコと笑いながら、よく通る声で言ったのです。
「おお、明智君!」
刑事部長が椅子から飛び上がって叫びました。
それは、格好のよい黒の背広をピッタリと身につけ、髪の毛をモジャモジャにした、いつもの明智小五郎その人でした。
「明智君、君はどうして……。」
「それはあとでお話しします。今は、もっと大切なことがあるのです。」
「むろん、美術品の盗難は防がなくてはならんが。」
「いや、それはもう遅いのです。ご覧なさい。約束の時間は過ぎました。」
明智の言葉に、館長も、総監も、刑事部長も、一斉に壁の電気時計を見上げました。
確かに、長針はもう十二時の位置を通り過ぎていました。
「おやおや、すると二十面相は、嘘をついたわけかな。」館内には、べつに異状もないようだが……。
」
「ああ、そうです。約束の四時はすぎたのです。あいつ、やっぱり手出しができなかったのです」
刑事部長が、まるで勝どきを上げるように叫びました。
「いや、賊は約束を守りました。この博物館は、もうからっぽも同然です」
明智がおもおもしい口調で言いました。
名探偵の乱暴
「え、え、きみは何を言っているんだ。何も盗まれてなんかいやしないじゃないか。ぼくは、つい今しがた、この目で陳列室をずっと見まわってきたばかりなんだぜ。それに、博物館のまわりには、五十人の警官が配置してあるんだ。ぼくのところの警官たちはめくらじゃないんだからね」
警視総監は、明智をにらみつけて、腹立たしげに怒鳴りました。
「ところが、すっかり盗み出されているのです。二十面相は例によって魔法を使いました。なんでしたら、ごいっしょに調べてみようではありませんか」
明智は、静かに答えました。
「フーン、きみはたしかに盗まれたと言うんだね。よし、それじゃ、みんなで調べてみよう。館長、この男の言うのが本当かどうか、ともかく陳列室へ行ってみようじゃないか」
まさか明智が嘘をついているとも思えませんので、総監も一度調べてみる気になったのです。
「それがいいでしょう。さあ、北小路先生もごいっしょにまいりましょう」
明智は白髪白髭の老館長にニッコリ微笑みかけながら、うながしました。
そこで、四人は連れだって館長室を出ると、廊下づたいに本館の陳列場のほうへ入っていきましたが、明智は北小路館長の老体をいたわるようにその手を取って、先頭に立つのでした。
「明智君、きみは夢でも見たんじゃないか。どこにも異状はないじゃないか」
陳列場に入るやいなや、刑事部長が叫びました。いかにも部長の言うとおり、ガラス張りの陳列棚の中には、国宝の仏像がズラッとならんでいて、べつになくなった品もない様子です。
「これですか」
明智は、その仏像の陳列棚を指さして、意味ありげに部長の顔を見返しながら、そこに立っていた守衛に声をかけました。
「このガラス戸を開いてくれたまえ」
守衛は、明智小五郎を見知りませんでしたけれど、館長や警視総監といっしょですから、命令に応じて、すぐさま持っていた鍵で、大きなガラス戸をガラガラと開きました。
すると、その次の瞬間、じつに異様なことが起こったのです。
ああ、明智探偵は、気でも違ったのでしょうか。彼は、広い陳列棚の中へ入っていったかと思うと、中でもいちばん大きい、木彫りの古代仏像に近づき、いきなりその格好のよい腕を、ポキンと折ってしまったではありませんか。
しかもそのすばやいこと。三人の人たちが、あっけにとられ、止めるのも忘れて目を見はっているまに、同じ陳列棚の、どれもこれも国宝ばかりの五つの仏像を、つぎからつぎへと、たちまちのうちに片っぱしから取り返しのつかぬ傷ものにしてしまいました。
あるものは腕を折られ、あるものは首をひきちぎられ、あるものは指をひきちぎられて、見るもむざんなありさまです。
「明智君、何をする! おい、いけない! よさんか!」
総監と刑事部長とが、声をそろえて怒鳴りつけるのを聞き流して、明智はサッと陳列棚を飛び出すと、また先ほどのように老館長のそばへ寄り、その手を握ってニコニコと笑っているのです。
「おい、明智君、いったいどうしたというんだ! 乱暴にもほどがあるじゃないか。これは博物館の中でもいちばん貴重な国宝ばかりなんだぞ!」
真っ赤になって怒った刑事部長は、両手を振り上げて、今にも明智につかみかからんばかりのありさまです。
「ハハハ……これが国宝だって? あなたの目はどこについているんです。よく見てください。
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