初級翻訳・手なしむすめ 第1話

グリム ヴィルヘルム・カール

ある粉ひきの男がいました。男はだんだんと貧乏になり、とうとう最後には、粉をひく水車小屋と、その裏に生えている一本の大きなリンゴの木のほかには、何も持たないようになってしまいました。

あるとき、粉ひきが森へ行ってたきぎを集めていると、見知らぬおじいさんが近づいてきて、こう言いました。
「なぜそんなに苦労して木を切っているんだね。もし水車の裏に立っているものをわしにくれると約束するなら、おまえを大金持ちにしてやろう」

(水車の裏にあるものといえば、あのリンゴの木にちがいない)
そう考えた粉ひきは、「いいですよ」と答え、その男のために証文を書きました。すると男はあざ笑うようにこう言って、どこかへ消えていきました。
「三年たったらまた来る。そのとき、わしのものをもらっていくぞ」

粉ひきが家へ帰ると、奥さんが駆け寄ってきて言いました。
「いったいどうしたんですか、親方! どこからこんな大金が手に入ったの? 家中の箱という箱が、急にお金でいっぱいになったんですよ。誰かが持ってきたわけでもないのに、どうしてこんなことになったのか、私にはさっぱりわかりません」

粉ひきは答えました。
「森で出会った男のおかげだよ。そいつが宝物をたくさんくれると約束してくれたんだ。その代わり、水車の裏にあるものをやるという証文を書いてやったのさ。あの大きなリンゴの木なら、くれてやったってかまわないだろう?」

「まあ、あなた!」と奥さんは真っ青になって言いました。
「それは悪魔ですよ! その男が言ったのはリンゴの木のことじゃない、私たちの娘のことですわ。あの子はちょうど水車の裏に立って、庭を掃いていたんですから!」

粉ひきの娘は、とても美しく、神様を深く信じる心優しい子でした。娘はそれからの三年間、神様を敬い、行いを正しくして暮らしました。そして約束の期限が来て、悪魔が娘を連れ去る日がやってきました。娘は体をきれいに洗うと、チョークで自分のまわりにぐるりと輪をかきました。悪魔はすぐさまやってきましたが、どうしてもその輪の中に入ることはできませんでした。

悪魔は腹を立てて、粉ひきに言いました。
「娘から水をすべて取り上げて、体を洗えないようにしろ! そうしなければ、わしは娘に手出しができないじゃないか」

粉ひきは恐ろしくなり、言われるままにしました。翌朝、悪魔がまたやってきました。しかし、娘は両手を顔にあてて泣いていたので、その手は涙でぬれ、少しの汚れもなく清らかでした。そのため、悪魔はまたしても娘に近づくことができません。悪魔は逆上して、粉ひきにどなりつけました。
「娘の両手を切り落とせ! そうでなければ、わしは娘を奪えないぞ」

粉ひきは驚き、答えました。
「自分の可愛い娘の手を、どうして切ることができましょう」

すると悪魔は粉ひきをおどしました。
「もしおまえが言うことを聞かなければ、おまえをわしのものにする。今すぐおまえを連れ去ってやる!」

粉ひきは恐怖のあまり、悪魔の言いなりになると約束してしまいました。そして娘のもとへ行き、こう言ったのです。
「娘よ、お父さんがお前の両手を切らなければ、悪魔がお父さんを連れて行ってしまうのだ。お父さんはあまりに怖くて、ついそうすると約束してしまった。本当に困りきっているんだ。どうか許しておくれ」

すると娘は答えました。
「お父さん、私の体ですもの、どうかお父さんの思う通りにしてください。私はお父さんの娘ですから」
娘はそう言って両手を差し出し、お父さんに切らせました。

悪魔はまたやってきました。しかし、娘は手首のない腕を顔にあてて、長いことさめざめと泣きましたので、その腕は涙にぬれて、少しの汚れもなく清らかでした。これにはさすがの悪魔も降参し、娘を奪い取る権利をすっかり失ってしまいました。

粉ひきは娘に言いました。
「お父さんは、お前のおかげで大金持ちになれたんだよ」「だから、おまえが生きているあいだは、おまえをうんと大事にしてやるよ」

けれども娘は、
「あたしは、ここにはいられません。どこかよそへまいります。きっと、情け深い人たちが、あたしに生きるためのものを恵んでくださるでしょう」
と、言いました。

それから娘は、手首のなくなった腕を背中に縛りつけてもらい、朝日が昇るのと一緒に旅に出かけました。一日歩き続けているうちに、とうとう夜になりました。そのとき、娘はある王さまのお庭に出ました。お月さまの明かりで透かしてみますと、そのお庭にある木には、美しい果物が鈴なりになっています。でも、その中へ入っていくことはできません。なぜって、お庭のまわりには堀があるからですもの。

娘は一日じゅう歩き通しで、おまけに、ひと口も食べ物を口に入れていないのです。いまはもう、おなかがすいてたまりません。それで、
(ああ、あのなかへ入っていって、あの果物を食べたいわ。でないと、あたしおなかがへって、死んでしまうわ)
と、思いました。

そこで娘はひざまずいて、神さまの御名を呼び、お祈りをしました。すると、とつぜん天使があらわれて、お堀の水門を閉じてくれました。ですから、お堀はすっかり乾いて、娘はそこを通っていくことができました。娘はお庭に入りました。天使もいっしょについていきました。

娘は果物のなっている木を見ました。その果物というのは、ナシでした。けれども、そのナシはすっかり数が数えてあったのです。娘はその木に近づいて、ナシをひとつ口で木からとって食べました。こうして、おなかの空いているのをふさぎました。けれども、ひとつきりで、それ以上は食べませんでした。庭師がそれを見ていましたが、そばに天使が立っていたものですから、怖くて、あの娘は幽霊だろうと思って黙っていました。人を呼ぶ勇気も、幽霊に話しかける勇気もなかったのです。娘はナシを食べ終わると、おなかがいっぱいになりましたので、そこを出て、やぶの中に隠れました。

そのお庭の持ち主の王さまが、あくる朝、お庭に下りてきました。ナシの数を数えてみますと、きょうはひとつ足りません。そこで王さまは、
「ナシはどこへいったのだ。木の下に落ちてもいないのに、ひとつ足りなくなっているぞ」
と、庭師に言いました。

すると、庭師は答えて言いました。
「じつは、ゆうべ幽霊が入ってまいりました。その幽霊は、手が両方ともありませんでしたが、口でナシをひとつ食べたのでございます」

王さまは、
「その幽霊は、どうして堀を渡ってきたのだ。してまた、ナシを食べてから、どこへいったのだ」
と、たずねました。

「だれですか、雪のように白い着物を着た人が天から降りてまいりまして、その人が水門を閉じて、水をとめてしまいましたので、幽霊はお堀を通ってくることができたのでございます。その人は天使にちがいないと思いましたので、わたくしは恐ろしくなって、たずねもいたさず、人も呼ばなかったのでございます。幽霊はナシを食べてしまいますと、またもとの道を戻っていきました」
と、庭師は答えました。

それを聞いて、王さまは言いました。
「おまえの申すとおりなら、今夜はひとつ、わしがおまえのそばで番をしてみよう」

暗くなると、王さまはお庭に下りました。

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