これは、いったい、なにものでしょう?
博士は海の底を、お台場の岸に近づき、石がきをはいあがると、そこの草むらに身をふせて、首をもたげ、夕やみのせまった、おきのほうをながめました。「ウフフフ……、わしが逃げ出したことも知らないで、モーターボートはランチを追いかけていく。おい、もっとスピードを出せ。そして、どこまでも逃げるんだ」
博士は面白そうにひとりごとをつぶやくと、草むらのなかをむこうの大きな建物のほうへ、這うようにして進んでいきました。
それは戦争のときに建てられた兵隊たちの建物で、壁はやぶれ、柱はゆがみ、壊れたまま放置されていました。
まるで、お化け屋敷のようです。
博士はその真っ暗な建物のなかで、潜水服を脱ぎ捨てました。
「ハハハ……、実に楽しいスポーツだったぞ。最初は自動車、次はランチ、それから海の底をくぐって、今度は空の上だ。ハハハ……、いくら少年探偵団が賢くても、ここまではついてこられまい。魚が陸にのぼって、それから鳥のように空にまいあがるんだ」
博士はわけのわからないことを口にしながら、
「まずは一服するか」
と、タバコを取り出しました。
魔法博士はゆっくりとタバコを吸ってから立ち上がると、建物を出て、お台場の真ん中にある広っぱへと歩いていきました。
いままで建物に隠れて見えませんでしたが、そこには一台のヘリコプターがとまっていました。
黒シャツ姿の博士は、そのほうへと急ぎます。
博士はヘリコプターの操縦席に乗り込みました。
ほかには誰もいません。
博士の腰かけている後ろに、カーキ色のズック布で包まれた大きな荷物が置いてあるばかりです。
何か機械でも包んであるのでしょう。
博士が操縦カンをにぎると、巨大なトンボの羽根のようなプロペラが、ブルン、ブルンと回りはじめました。
ヘリコプターは夕暮れの空へとスーッと昇っていきました。
上から見下ろすと、港区から銀座にかけて、ネオンや電灯が五色の星をばらまいたように美しくまたたいています。
ヘリコプターはその光の海の上を通りすぎて、世田谷区のほうへ飛んでいきました。
そして、とある大きなお屋敷の、広々とした庭の芝生の上に着陸しました。
あぶない、こじき少年
魔法博士は黒シャツ姿のままヘリコプターを降りて、二階建ての大きな西洋館の玄関にまわり、そこから中へ入っていきました。
ここも、博士のかくれがの一つなのでしょう。
玄関のホールへと、黒い服を着た若い男が飛びだしてきて、博士に出迎えました。
「お帰りなさいませ。で、うまくいきましたか?」
その男は博士の部下のひとりでした。
「うん、子どもたちもなかなかやるよ。ずいぶん激しく追いかけられた。予定どおり隅田川を例のランチで東京湾に出て、お台場からヘリコプターさ。子どもたちはモーターボートでランチを追っかけたが、まさか潜水服で海の底をわたり、お台場へあがろうとは気がつかないからね。ウフフフ……。それからあとは安全だったよ。これだけ乗り物をかえてまわり道をすれば、いくら尾行の名人だって、まきつけるものじゃないよ」
話しながら、ふたりは階段をのぼって、二階の大きな書斎へと入っていきました。
博士はドアをしめると、ポケットから黄金のトラを取りだし、
「ほら、これが取り返してきた黄金のトラだ。これの隠し場所も、ちゃんと考えてある」と言いました。
そのとき、庭のヘリコプターのなかで、不思議なことが起こっていました。
操縦席の後ろに置いてあったズックの包みが、モゾモゾと動きだしたのです。
そして、その中から、こじきのような汚れた子どもが現れました。
その子どもはヘリコプターを降りると庭を横切って、西洋館のほうへと歩いていきます。
西洋館の裏側から窓を見上げていると、二階の大きな部屋にパッと電灯がつきました。
博士がその部屋に入ったらしいのです。
こじき少年はあたりを見回して考えていましたが、ちょうどその二階の窓の外に大きな木が立っているのに気づくと、いきなりその木の幹にとりついて、上のほうへと登っていきました。
実に木のぼりがうまい子どもです。
まるでサルのようです。
そして、二階の窓の高さまで登ると、大きな枝をつたって茂った葉をかきわけ、じっと窓の中をのぞきこみました。
その部屋は書斎らしく、四方の壁がぜんぶ本だなになっていて、何千冊という立派な本がぎっしり詰まっています。
そこで魔法博士と若い男が、何か話しているのです。
書斎のなかでは、博士が本だなから一冊の厚い本を抜き取って、若い男に話しかけていました。
「どうだ、うまい考えだろう。この本は日本大百科辞典の『ト』の部だ。トラのことが書いてある『ト』の部だよ。この本のなかに黄金のトラを隠しておくのさ」」
それは、厚さが十センチもある、おそろしく大きな本でした。
博士がその本を開くと、なかのページがちょうど黄金のトラのかたちに、ナイフでくりぬいてありました。
博士はテーブルの上に置いておいた黄金のトラを取って、ページをくりぬいた穴のなかへすっぽりとはめこんだのです。
そして本を閉じると、外からはすこしもわかりません。
なんといううまい隠し場所でしょう。
博士はトラを隠した辞典をもとの本棚へもどしました。
そこには同じような表紙の辞典がずらっと並んでいて、どれがどれだか見わけがつきません。
大百科辞典の「ト」の部ということを知らなければ、とても探し出せるものではないのです。
そのとき、庭のほうからただならぬ犬の鳴き声が聞こえてきました。
こじき少年は木の上から二階の書斎のできごとをすっかり見てしまいました。
さて、降りようとして枝をつたっていますと、とつぜん、木の根元で「ウウウ……」とうなり声がしました。
見ると、一匹の大きな犬がこちらを見上げているのです。
少年はすばやく木の幹をつたい降りて逃げだそうとしましたが、すると……待ちかまえていた猛犬はおそろしい声でほえたてながら、少年にとびかかってきました。
少年は右に左に身をかわして逃げようとしましたが、とうとうズボンのおしりのところをかみつかれてしまいました。
猛犬はそのままくいさがって、てでも離れないのです。
それでも少年は犬を引きずって逃げました。
しかし、ああ! だめです。
人の足音が聞こえてきました。
犬の声をきいて、うちの中から人が飛び出してきたのです。
それもひとりではありません。
二、三人の足音です。
「エス! よくつかまえた……やい、きさまはいったい何者だっ?」
バラバラッと三人の人かげがゆくてに立ちふさがりました。
みんな強そうな男です。
厳重なろうや
こじき少年は三人の男のためにとうとうとらえられて、西洋館の応接室に待ちかまえていた魔法博士の前にひきたてられました。
博士はジロリと少年をにらみつけて、
「ウフフ……、うまく化けたな。おい、きみは小林君だろう!」
と、たちまち見やぶってしまいました。
「そうです。ぼく、失敗しました。あの犬さえいなければ……」
小林少年は残念そうにくちびるをかみました。
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