初級翻訳・新西遊記 第10話

久生 十蘭

氷河の平らなところまで這い上がると、狭い隙間を通り抜けてくる狂ったような嵐が、地面にあるものをすべて吹き飛ばしてやろうという勢いで、容赦なく吹き荒れています。

氷河が終わったところから岩の割れ目をたどり、ノロノロと苦しい登りを5分やっては休み、また5分登っては休む……。そんなふうにモゾモゾと動いているうちに、手足がしびれてしまい、岩にしがみついたまま動けなくなってしまいました。

勝手に口が開き、下唇がダラリと垂れ下がります。目に見えるものはすべて二重にぼやけて、ピントが合いません。

すぐ上には、雪の通り道が「こっちへおいで」と招くように光っていますが、体力がすっかり尽きてしまい、登ることも降りることもできなくなってしまいました。

昨日までは、はるか下にカンプゥタンの村の氷河が白いリボンのように光って見えていましたが、今はもう青黒い底なしの空間が広がっているだけです。もし岩から手を離せば、3000メートル下まで真っ逆さまに落ちてしまいます。

そうしているうちに、猛烈な眠気に襲われてウトウトし始めました。

智海さんは岩の出っ張りに力なくしがみつきながら、「これでもうおしまいだ」と覚悟を決めて、死ぬ前の最後のお願いを神様に祈りました。

「あらゆる世界の仏様、お釈迦様。本当の願いは叶えられませんでしたが、お父さんやお母さん、友達、そして私を信じてくれた人たちのために、もう一度生まれ変わって、仏様の教えを広める恩返しができますように」――この手が岩から離れた時が、自分の命が終わる時だ……。意識がぼんやりする中でそうお祈りを唱えていると、テンバさんが「元気が出る魔法の薬だよ」と言って、コカの葉っぱを智海さんの口元に差し出しました。

「今さらそんなものを噛んでもムダだろうな」と思いましたが、言われた通りにしてみると、いつの間にか激しかった心臓のドキドキが落ち着いてきて、少しずつ周りの景色がはっきりと見えるようになってきたのでした。「今こそ成功するか失敗するかの分かれ道だ!」と、夢中になって岩場を這いずり上がっているうちに、急に風の吹き方が変わりました。

そこは、激しい風に削られて平らになった岩の層が広がる、山の西側の「肩」と呼ばれる場所でした。すぐ向こう側には、ようやく下り道が見えています。
智海さんは思わず手を合わせ、そのままその場に座り込んでしまいました。

それから2時間ほど山を下った岩の陰で、死んだように深く眠り、次の日は一日かけて坂を下りて、山の中腹にあるサンダーという寒くて小さな村に泊まりました。

そこで3日ほどゆっくり休んで体力を取り戻すと、案内してくれたテンバさんにお礼をたっぷり渡して帰ってもらいました。智海さんは、20キロちょっと(約6貫目)になった荷物を自分で背負い、トルボ・セーという場所を目指して歩き出しました。

歩き始めて10日目の正午ごろ、見下ろすような深い谷の間にそれらしい村が見えましたが、「ここで足を止めては、これからの旅が難しくなる」と考え、そのまま村には寄らずに北へ北へと進みました。そして、ネパールとチベットの境目にあるクヒガングリという山の頂上にたどり着いたのです。

山の北側はゆるやかな斜面になっていて、チベット高原の山々が、まるで幾重にも重なる波のように連なっています。その間を、一本の川が白くキラキラと光りながら流れていました。

後ろを振り返ると、20日前に命がけで越えてきたダウラギリの山が、ヒマラヤの氷の壁の上に、まるで空中に浮かんでいるかのようにポツンと、雲を突き抜けるほどの高さでそびえ立っていました。

日本の神戸を出発したのが明治30年の6月26日。そして今は明治33年の7月8日です。これといった大きな災難にもあわずにここまで来られましたが、これから先、どんなことが起きるか予想もつかない難しい旅になるはずです。「これくらいで安心してはいられないぞ」と気を引き締めました。

地図を見ると、目的地であるマナサロワール湖はここから北西の方向にあります。智海さんは方位磁石を見ながら、山を下り始めました。

ネパール側は太陽がよく当たるので雪が少なかったのですが、チベット側は山の影になるので、あたり一面が真っ白な雪に覆われていました。
しかも、その雪はうっかりすると足が沈んでしまう柔らかい雪で、一歩踏み出すたびに膝まで埋まってしまいます。

山の中腹くらいまで下りてくると、ふもとに羊などを飼って暮らす遊牧民のテントが3つほど見えました。
「こんな逃げ場のない場所で人に見つかったら、こっそり国に入ろうとしていることがバレてしまう!」
智海さんはなんとかテントを避けて通りたいと思いましたが、右を見ても左を見ても、道らしいものはどこにもありません。
かといって、テントがどこかへ移動するのを待っているわけにもいきません。

どうすればいいか決められず、智海さんはその場に座り込んで「断事観(だんじかん)」という修行を始めました。
これは、心をからっぽにして座禅を組み、頭に浮かんだ直感で進むべき道を決める方法です。

何時間か座禅を組み、パッと目が覚めたような気持ちで山を下りました。そしてテントの入り口で、漢字で書かれた「法華経」というお経を唱えていると、主(あるじ)と思われる40歳くらいのチベット人が出てきて、テントの中へと招き入れてくれました。

次の日の朝、テントの外に出てみると、重さが600キロから700キロもありそうな、牛のような不思議な動物が30頭くらい草を食べていました。
体はびっしりと濃い毛で覆われ、額からは波のような長い毛が垂れ下がって顔を包み込み、目や鼻がどこにあるかわからないほどです。
しっぽは絵に描かれたライオン(唐獅子)にそっくりで、草をむしゃむしゃと噛む音は、まるで船をこぐ櫓(ろ)の音のように力強く響きます。
その目つきはとても迫力があって、今にも突進してくるのではないかと怖くなるくらいでした。

これは、チベット高原の寒くて植物があまり生えない場所に住んでいる「ヤク」という動物です。北の方では荷物を運んだり人を乗せたりするのに使われ、お肉やミルクは食べ物に、皮は靴に、毛は織物に、そしてフンは乾かして燃料にするという、とても役に立つ動物です。
見た目は恐ろしいですが、普通の牛よりもずっとおとなしくて優しいのだそうです。

それを聞いた智海さんは、「このヤクに荷物を載せて行けば、長い旅の苦労も半分に減るに違いない」と考えました。そこでチベットの銀貨を出してお願いすると、主は「お金なんていらないよ。マナサロワール湖の手前の河のそばに弟のテントがあるから、そこへ置いていってくれればいい」と言ってくれました。

お礼を言ってヤクを1頭借り、その背中に荷物を預けて、智海さんは再び北に向かって歩き出しました。
「昔、中国からインドへ旅をした玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)のお供はサル(孫悟空)とブタ(猪八戒)だったけれど、私のお供はヤクなんだな」と思うと、なんだかおかしくなってきました。

小麦粉をこねて、塩とトウガラシの粉をまぶしたものを食べ、夜は雪がまばらに残る岩場で眠りました。

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