初級翻訳・日時計の天使 第1話

堀 辰雄

一九〇六年一月二十五日、ライネル・マリア・リルケは、ロダン先生ご夫婦といっしょに、シャルトル大聖堂を見学しに行きました。
そのシャルトルへの旅の様子は、リルケが妻のクララに向けて、その日のうちにシャルトルで書いた手紙と、その翌日にパリから出した手紙の、二通の中にいきいきと描かれています。
リルケの手紙の中でもとくにワクワクする内容なので、この手帳にぜんぶ書き留めておくことにします。
※

クララより、リルケへ

シャルトルにて。
木曜日のお昼の十二時半

 ……いま、ぼくらはいわゆるシャルトルにいるよ。
先生と、奥さんと、それからぼくの三人でね。
――ぼくらが出かけたのは、冬の朝早く、まだ夜が明けないうちで、空はまるで真珠母色(しんじゅぼいろ)の新鮮な輝きに包まれていたんだ。
それから、小さくて明るいフランスの町に着いた。
やがて、小さなごちゃごちゃした家並みの向こうの空に、まるでお空にパッと咲いた花のようなゴシック建築の塔がひとつ、そしてそのすぐそばには、もうひとつのゴシックのつぼみのような塔が、ぐんぐん空へと立ちのぼってくるのが見えてきたんだ。
それからぼくらはいろんな景色に見とれるうちに、どれがなんだか分からなくなって、小さな細い道をいくつも通り抜けたんだ。すると突然、ぼくらの目の前に、あまりに大きすぎて見渡すこともできないような巨大な建物の、すぐ真下に飛び出したのさ。
その建物の大部分は、もうボロボロに傷ついていた。
だけど、ところどころの石のかけらが、まるで目をぱっちり開けて、夢を見ながら、永遠の未来に向かってにっこり微笑みはじめているみたいだった……。ただ、運の悪いことに、めちゃくちゃ寒くてとてもじっと立っていられないくらいだったんだ。
それだけじゃなく、雪までちらついてきたんだよ……。

          ※

クララより、リルケへ

ムードン・ヴァル・フルーリーのヴィラ・デ・ブリランにて。
金曜日の早朝。
……ぼくらはすっかり疲れ果てて帰ってきたよ。
今日の天気は、ぼくらにとって最悪の意地悪をしたんだ。
なんだか無性に寒いなと思っていたら雪が降り出して、それがすぐに小雨に変わり、今度は東風(ひがしかぜ)が吹いてきて、なんと冷たい氷雨(ひさめ)になったんだよ。
これぜんぶがたった一日のあいだに起きたことなんだからね――本当にたった一日の中での出来事さ――駅へ帰る道のりなんて、風が強すぎてほとんど一歩も前に進めないくらいのひどいお天気だった。
だから、ぼくらはへとへとに疲れてしまったのさ。
それにぼくらジーンと悲しい気持ちにもなっていたんだ。あんなふうに建物がボロボロの廃墟になっていることや、美しいものが失われていること以上に耐えられない、「ヘタな修理」のせいで、建物がカチカチに硬く、安っぽく、ぶさいくに変えられてしまっているのを見せつけられたからなんだよ。
シャルトルのお寺は、パリのノートルダム大聖堂よりも、ずっと傷んでいるようにぼくには思えるんだ。
なんだかもうすっかり絶望してしまっていて、建物の破壊が進むのに身を任せきっているみたいなんだ。
はじめは、大きなマントをすっぽり被った巨人がむっくり起き上がってきたように見えたけれど、それはほんの最初の印象にすぎなかった。
それからやがて、その建物の大切な部分である、風雪にさらされてほっそりとした天使の姿が浮かび上がってくる。その天使は、一日の時刻を教える日時計を自分の目の前に差し出しているんだ。
そしてその上の方には、すっかりすり減ってしまっていながらも、なおかつ限りなく美しく、天使のうれしそうでおごそかな顔に浮かんでいる深い微笑みがはっきりと見えてくるんだよ。まるで空の色がそこにパッと映し出されているみたいにさ……。
 だけど、見どころはほとんどそれくらいだったんだ。
そしてロダン先生は、いまでもこうした古い歴史のすべてが語りかけてくる言葉を、ちゃんと受け止めることのできる(おそらく)たった一人の人間なんだ。
(もしも、こうした古いものたちが先生以外のほかの人にも、ほんの少しでも語りかけているとしたら、どうしてほかの人たちはそれに気づかずにいられるだろう? そんな大事な声を聴き逃したりなんかするだろうか?)先生は、まるで自分の家であるノートルダム大聖堂にでもいるみたいに、もの静かで、すごく落ち着いて、そうした古いものたちの意味を深く理解し、心で受け止めていらっしゃったんだ。
そして先生は、自分の目に飛び込んでくるゴシック建築のすばらしいルールを通じて、ご自身の芸術が間違っていなかったことを確信されて、それについて何か小さな声でぶつぶつとひとりごとを言っていらっしゃった。
それは本当にすばらしい光景だった。
朝の九時半ごろ、ぼくら駅からお寺に向かったんだ。
太陽は雲の中にすっかり隠れていた。
空はどんより灰色で、寒かった。
でも、風はまったく吹いていなかったんだ。
だけど、ぼくらが大聖堂の目の前にたどり着いたとたん、まるでびっくりするような大男みたいに、急に一陣の風が天使の角をぐるっと曲がりながら、ぼくらの間を容赦なく、鋭く、肌を切りつけるように吹き抜けていったんだ。
「うわあ」とぼくは思わず叫んだ、「これじゃあ嵐になりそうですね」
「きみは知らないんだね、」とそのとき先生はおっしゃった、「大きな大聖堂のまわりには、いつも風が吹いているものなのさ、そう、こんな風にな。自分の大きさにちょっと困ってしまうような、騒がしくて意地悪な風にいつも囲まれているんだよ。空気の冷たい流れが、高い柱をすべり落ちてきて、あの高い場所から落ちながら教会のまわりをずっとうろついているのさ……」
先生は、だいたいそんなふうにおっしゃったんだ。
もちろん、もっと短くて、もっと中身が詰まっていて、もっとゴシック建築の雰囲気にあふれた言い方だったけどね。
でも、先生が言いたかった意味は、だいたいそういうことだったんだと思う。
そして、そのへんをうろついている風のなかで、ぼくらまるで天使の前に立たされた幽霊みたいに、ただポツンと突っ立っていたのさ。そしてその天使は、まるでうれしそうに、日時計の文字盤を太陽のほうへと差し向けていたんだ。
いつもそれが太陽の光をちゃんと受けられるように……。

          ※

 その頃、リルケはロダンの秘書になって、そのアトリエのあるムウドンの家にいっしょに住んでいたんだよ。
リルケがはじめて大がかりな彫刻家であるロダンを訪ねたのは、それからおよそ四年前、一九〇二年の八月の終わりごろだった。
ある本屋さんからの頼みでロダンについての短い文章を書くために、ロダンに会おうと、北ドイツの静かな小さな村ヴォルプスヴェデから、はるばるパリまでやってきたのさ。
リルケはロダンに近づくにつれて、その人柄と芸術にますます夢中になり、はじめは短い滞在の予定だったのに、結局一年以上もパリに住み続けることになったんだ。
(もっとも、彼はパリという街がすごく嫌いだったみたいなんだけどね。
だけど、その最初の滞在中に体験した不安で普通ではない出来事が、のちに名作『マルテ・ラウリッツ・ブリッゲの手記』を生み出すきっかけになったんだ。

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