初級翻訳・日月様 第4話

坂口 安吾

幸いなことに、お肉があまりない太もものあたりだったから、ちょっと気絶しただけで済んだんですけどね。
まあ、そんな人ですから、普通の人とは気性がまるで違います。
つまり、女の人でありながら、骨の髄まで芸術家みたいな根性を持っていて、ことにかける執念たるや、まるで鬼のようなんです」

その話を聞いても、女性は眉一つ動きませんでした。
思いがけず、あまりにも奇妙で凄惨な話でしたが、その話のすごみが、なぜか心に深く響いてきません。
それはやっぱり、その女性のキャラクターのせいでした。
本来なら、それほどまでの鬼の執念を持つ芸術家なら感じさせるはずの「凄み」が、彼女からはどうしても感じられないのです。
じっと黙りこくって、眉一つ動かさないのですが、その態度がいかにも薄っぺらく見えて、今にも「チェッ」と舌打ちでもしそうな、それが彼女の性格の全部なんだと感じさせるような女の人でした。

「そういうわけですから、気性が気性なもんですからね、性格も根暗というか陰気ですし、そのくせ妙に潔癖なんです。
人づきあいをものすごく選ぶから、お客さんも全然つかない。かといって、パンパンとして体を売るような気質でもありません。
あんな戦争直後のパンパンがはびこっていた時代に、こんな意地っ張りな性格じゃ、着物を一枚新調するどころか、その日食べて生きていくことだって大騒ぎです。
ところがですね、この人が、昔から先生の大ファンなんですよ。
それでまあ、これをいい機会にと、ぜひ先生にお近づきになりたい、そして自分も文学の道で身を立てたいという夢があるんです。もしよければ、先生にいろいろとご指導をお願いできないかと思いまして……。私がこんなふうに言い出すのは、ちょっとおせっかいかもしれませんけど、本人がなにせ無口でひねくれ者なもんですから、私がこうして代わりに、あなたにお願いしている次第なんです」

彼の言葉には、嘘偽りのない「まごころ」がこもっていました。
単に知り合いの女性を紹介するだけの、いい加減な気持ちなんかではありませんでした。
私の頭の中にふとひらめいたのは、「もしかして、彼と彼女は深い仲なんじゃないか? 二人は恋人同士なんじゃないか?」という疑いでした。
だからといって、うかつに返事はできません。
「文学の指導」と言ったって、相手の才能がどれほどのものなのか見当もつかない以上、どうなるかなんて分かりません。第一、文学の指導をお願いするに至った理由が、なんだか芸術家の因果話というか、血のにおいのするような奇妙で穏やかではないものだったからです。
このあとに、さらにとんでもない結末が待っていて、「いっそ彼女を先生の愛人(めかけ)にしてください」とでも言い出すつもりなのでしょうか?
うーん、顔立ちはそこまで不美人というわけでもないし、すらっと伸びたスタイルにはちょっと魅力がある。それに、黙りこくってひねくれていて、いかにも陰気な雰囲気はあるけれど、まあ一晩くらい一緒に遊んでみてもいいかな、というような、スケベ心(ごころ)がむくむくと頭をもたげてきたのでした。酔っ払っていたせいで、すけべ心は容赦なく刺激されましたが、穏やかではない話に秘められた恐ろしさや凄みは、さすがに私の胸にずっしりと響きました。

「文学の指導といってもね、芸術というのは持って生まれた才能がなければ、いくら一生懸命努力したってどうにもならないものですよ。
相手の才能がどれほどのものか、それを見極めてからでなくちゃ、お返事なんてできるわけがありません」
「でも先生、こんなふうに考えることはできませんか?
かりに、ですよ。
いえ、かりなんかじゃないかもしれません。
天才というものは、狂気じみているとします。
天才は狂っているからこそ、ほかの人には見えないものを見ているのではないでしょうか。
もしそれがあるのなら、それはもう、疑いようのない天賦の才能ではありませんか」

私は、普段はお人好しで穏やかな彼が、ここまで必死になって食い下がってくるのを経験したことがありませんでした。
私は心の中でこっそり苦笑しました。
というのも、私自身がまさに精神病院から出てきたばかりだったからです。

「天才だとか狂気だとか言うけれどね、君、僕自身が精神病院で本物の狂人たちの生態を間近で見てきたばかりなんだ。だけど、狂人というのは案外平凡なものだよ。
すごく常識的なんだ。
むしろ一般の人々よりもよっぽど常識があって、自分の身を慎んでいる――それこそが、狂人本来の姿と言ってもいいくらいだね。
天才だって同じことさ。
見た目がちょっと変わっていたからって、狂気でもなければ天才というわけでもない。
たとえ何らかの天分があったとしても、絵の才能と文学の才能は、おのずと違うものなんだ。
絵の才能がある人は、もともと色彩を通して世界を見ているし、文学の才能がある人は、言葉の組み立てによってしか物事を捉えられないように生まれてきているものなのさ。
だから、性格がちょっと普通と違うというだけじゃ、文学者の才能があるとは言えないものなんだよ」
「だけど先生、そのうちわかりますよ。
わかりますとも。
先生とヨッちゃんは、たとえば『日月(じつげつ)』のようです。
男が太陽なら、女はお月様、まさにそんなふうに結びつくべくして結ばれたお二人なんです」

彼はきっぱりとそう言い放つと、やがてうなだれてしまいました。
「お風呂の準備ができました」という知らせがあり、私がさっとお風呂を浴びて戻ると、すでに布団が敷かれた部屋へと案内されました。
しばらくして、女性もお風呂から上がって戻ってきました。
その時にはもう、王子君五郎(おうじ きみごろう)氏はこの家を立ち去ったあとでした。

それでも私は、その女性がすぐ横に寝転がっても、まるで監視されているようで、少し気が引けて緊張していました。
「王子君は、僕たちのことを『日月』だと言っていたね。
日月だなんて、不思議なことを言うものだ。
あの人は、普段からそんなことを口にしたりするのかい?」
私は隣の女性に尋ねました。

そのときでした。
まるで思いがけず、ぜんまいのネジが狂ったように、女性が突然ケラケラと笑い出したのです。
それはまるで、決して音が聞こえるはずのない冷静な懐中時計が、突如として目覚まし時計に変わり、狂ったように鳴り響き始めたかのようでした。

「あんな男の言うことなんて真面目に聞いて、なに寝ぼけたこと言ってるの。
狂人っていうなら、あの人こそが狂人なんじゃないの?
女装したりしてさ。
変態ならまだわかるわよ。
だけど変態でもなんでもないくせに女装するなんて、頭のネジが左巻き(おかしくなっている)の証拠に決まってるわ。
私が自分の太ももに刺青(ホリモノ)をしただの、その刺青を自分でえぐり取っただのって、あの人が知っているわけないでしょ。
ぜーんぶ、あの人の勝手な妄想よ。
ほら、よく見てごらんなさいよ。
私の太ももに、刺青なんてものや、えぐり取った傷跡なんてどこかにある?」

女性はそう言って、私に太ももを見せました。
そこには、本当に何ひとつ傷跡などありませんでした。

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