再び世に送る言葉
日本は、びっくりするほど伝説がたくさん残っている国です。
むかしは、そうした話をよく覚えていて、子どもたちに語って聞かせてくれる人が、どんな村や町にも五人や十人はいました。
ただ、このごろはほかにいろいろと新しく考えなければならないことが増えて、よろこんでこういうお話を聴く人が少なくなってしまいました。そのため、だんだんと思い出す機会もなくなっていき、話を忘れてしまったり、まちがえて覚えてしまったりする人が増えています。
私はそれをとてももったいないと思い、まずは本を読むのが好きな若い人たちのために、この本を書いてみました。
「伝説とはこういうものなんだ」「むかしからずっと、こんなふうにして伝えられてきたんだ」と、この本を読んで初めて知ったよ、とわざわざ教えてくれた人も何人かいます。
「日本にそんなにたくさん伝説があるのなら、もっと次から次へと言い伝えを取り上げて、本を書いていったらどうですか」とすすめてくださる方もいます。でも、それが私にはなかなかできないのです。
よく似た言い伝えを、ただたくさん並べただけでは、おもしろい読みものにはなりにくいですし、それに「どうしてこういう話があるのですか?」と理由をきかれたときに、きちんと答えるだけの準備が、まだ私にはできていないからです。
ひとつの同じような伝説が、日本じゅうのあちらこちらに散らばっていて、それぞれの土地で「ここは本当にあったことだ」と信じられているのは、本当になんとも不思議でおもしろいことです。これにはきっと何か隠された理由があるはずなのですが、それが実はまだはっきりと分かっていないのです。
私と同じように「なんとかしてその理由を知りたい」と思う人が、これからも何人も出てきて、一生懸命に調べなければなりません。
そういう学問への好奇心を心に芽生えさせるためには、よっぽどかわった、珍しいお話を選んで載せておく必要があります。でも、そういったお話は、なかなかすぐには見つからないものなのです。
いま私は、「白米城(はくまいじょう)」というお話の整理にとりかかっています。
「十三塚(じゅうさんづか)」の伝説も、遠くないうちに一つにまとめてみたいと考えていますが、果たしてこういうお話が、若い読者のみなさんの心に「どうしてこんな話があるんだろう?」という熱心な疑問を呼び起こすことができるかどうか、少し気になるところです。
とにかく、この本の中に書いたような、シンプルでしかも色が鮮やかに目に浮かぶようなお話は、そうたくさんはありません。
最近、私は『伝説』という小さな本をまた一冊書きました。
これはおもに理論の面から、日本の中で伝説がどのように栄え、成長していったのか、その道筋を考えてみようとしたものです。もし、若いころにこの『日本の伝説』を読んでくれて、その半分でも三分の一でも記憶していてくださった方がいたなら、その新しい本を読む楽しみも、きっとより深いものになったのではないかと思います。
そう思うにつけても、この最初の本が、今よりももう少しわかりやすく、そして力強く、読んだ人たちの心にずっと事実として残っていくような文章であったなら、どんなによかっただろうかと、考えずにはいられません。
そのため今回は、友人たちともよく相談をして、お話の語り方をこれまでとはかなり変えてみました。
日本の文章というのは、これまで一般に、少し耳慣れないむずかしい言葉を使いすぎていたようです。
伝説のように、長い間ずっと「口の言葉」だけで伝えられてきたものには、どうしてもそれに見合った別の書き方というものが必要なんだと思います。ですが、私にはまだその準備が十分に足りていなかったのです。
新しくこの本を手にとってくれるみなさんには、その点についてもぜひ心にとめておいていただきたいと思います。
昭和十五年十一月
はしがき
「伝説」と「昔話」は、いったいどこがどう違うのでしょうか。
それに答えるなら、昔話は「動物」のようなもので、伝説は「植物」のようなものだと言えます。
昔話はあちこちにピョンピョンと飛びまわるので、どこに行っても同じ姿の仲間に出会うことができます。けれども伝説は、ある決まった一つの土地にしっかりと根を生やしていて、その場所でいつも少しずつ成長していくのです。
スズメやホオジロはみんな同じ顔をしていますが、ウメやツバキの木は一本一本ごとに枝の広がり方が違っているので、よく見ればそれぞれの木を見分けることができますよね。
可愛らしい昔話の小鳥たちは、その多くが伝説の森や草むらの中で巣立っていくのですが、同時に、香りの高いさまざまな伝説の「種子」や「花粉」を遠くまで運んでいっているのも、実は彼らなのです。
自然を愛する人たちは、この二種類のむかしのお話が合わさることで生まれる、絶妙な配合や調和をいつもおもしろがります。ですが、学問の世界ではまず、この二つをきっちりと分けて考えてみようとするところから始まります。
みなさんの村の広場や、学校の校庭が、いまはすっかり何もない空き地になってしまっていて、「もうそこには伝説の花なんて一輪も咲いていないや」と悲しむ必要はまったくありません。
むかしは、そこにもさまざまないい伝えが、草木のように生い茂り、栄えていたことがあったのです。
そして、私たちと同じ日本という一つの島の中にいるのですから、形はほんの少しずつ違っていたとしても、やっぱりこれと同じ種類の植物(伝説)しか生えていなかったということは、確かなことなのです。
私は、その植物の標本の中から、ただ二つ三つを集めてきて、みなさんに見せているのです。
植物を育てて、大きく強くする力が、この日本の土と水と、おひさまの光の中に隠れているのと同じように――。
歴史とは、ちょうどその自然の土地を利用して作物を育てる、「農業」のようなものです。
歴史の畑がどんどんきれいに整えられていけば、伝説の野山がだんだんせまくなっていくのも、ごく当たり前のことなのです。
しかも、日本にある家の数は一千五百万戸もあり、それぞれの家々には三千年にもおよぶ歴史のなごりがあるというのに、まだそのほんの端っこ、ごくわずかな部分しか歴史として明るみに出ていません。
だからこそ私たちは、春の野原に出かけたり、草むらに入り込んでいったりして、「この木の芽の名前はなんだろう?」「この草の花はなんていう名前だろう?」と尋ねるようなワクワクした気持ちを持って、あちこちに散らばっている伝説を見比べたり、味わったりしなければならないのです。しかし、小さな読者のみなさんは、ただ面白いお話のところだけを読んでおけばいいでしょう。
これが伝説の一つの木の中で、ちょうど昔話の小鳥が来てとまる枝のようなものであります。
私は地方の伝説をなるたけ有名にするために、詳しく土地の名を書いておきました。
そうして皆さんが後に今一度読んで見られるように、少しばかりの説明を加えておきました。
昭和四年の春
咳のおば様
昔は東京にも、たくさんの珍しい伝説がありました。
その中で、皆さんに少しは関係のあるようなお話をしてみましょう。
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