初級翻訳・日本の伝説 第22話

日本の伝説

ここでも、権五郎が戦で目を射抜かれたという因縁があるためか、この村に生まれた人たちは、みんな片方の目が少し「すがめ(片目が不自由だったり細かったりする様子)」だと言われていました。
少しすがめというのは、一方の目が小さいということです。
昔、平清盛(たいらのきよもり)のお父さんである平忠盛(たいらのただもり)なども、「伊勢の平氏はすがめだな」と言われて笑われたという話がありますが、昔の勇敢な武士には、片目がとても小さい人がいくらでもいました。
そして時代によっては、そうした目の傷をむしろ武士の誇りとして自慢にしていたらしいのです。
(『相生集』福島県安積郡多田野村)

機織り御前(はたおりごぜん)

越後(えちご)の山奥にある大木六(おおきろく)という村には、村長さんであり神主もつとめていた、細矢(ほそや)という大変古い歴史を持つ家がありました。その家の主人は、代々みんなすがめだったそうです。
昔、この家の先祖である弥右衛門(やえもん)という人が、ある夏の日に国境の山へ狩りに出かけ、道に迷って今の巻機山(まきはたやま)に登ってしまいました。
この山は木々が深く生い茂り、たくさんの薬草が生えている場所で、近い昔まで「神様のいらっしゃる山」として恐れられ、人間が入ってはいけない山でした。しかし弥右衛門は、この深い山の中で、世にも美しいお姫様が機(はた)を織っているのを見かけたのです。
驚いてじっと見つめていると、お姫様の方から声をかけてきました。「ここは人間が来たら二度と帰ることができない場所ですが、あなたはとても運がいい。ご縁があって私の姿を見たのだから、これから里へ下りて、いつまでも一村の守り神として祀られよう。急いで私を背負って山を降りなさい。ただし、絶対に後ろを振り返ってはならないよ」と言われました。
弥右衛門はその言葉通りにして山を降りてくる途中でしたが、約束を破って思わずただ一度だけ、首を右へ曲げて背中の神様を見ようとしてしまいました。すると、たちまち目がすがめになってしまい、それから後、この家系に生まれる男の子は、みんな片方の目が細くなってしまったということです。
今でも本当にそういうことがあるのかどうか、私も実際に行って確かめてみたいと思っています。
(『越後野志』『温故之栞』新潟県南魚沼郡中之島村大木六)

大木六の村では、この姫神様のことを「巻機権現(まきはたごんげん)」と呼んで、今でも大切に村の守り神としておまつりしています。しかし、土地によっては神様をわざわざ村の中へお迎えするのではなく、もともといらっしゃる山の場所へこちらから出向いていってお参りするという村がいくつもあります。
そうすると、お参りする人と神様のいる場所が離れ離れになってしまい、昔からの伝説もだんだんと変わってしまうのです。
そのため、山の神様が本当は女の人だったことや、小さな子どもを連れたおばあさんのような神様(姥神:うばがみ)だったということなども、後にはすっかり忘れ去られてしまったところがたくさんあります。
それでもふとした拍子に、お話の重要な筋道から、どうしてもそれを覚えていなければならない場面に出くわすことがありました。
例えば、静かな谷川のふちの中で、機を織る杼(ひ:機織りの道具)の音が聞こえるという言い伝えや、人間が行くこともできないような険しい峰の岩の上に、きれいな布が干してあるのが遠くに見えるというお話などは、まさにそれです。機を織るような仕事は男の人はしませんから、そのおかげで「山姥(やまうば)」や「山姫(やまひめ)」の言い伝えは、なおいっそう長く残ることになったのです。
特に山姥は、見たところはちょっと恐ろしい姿をしていますが、里の人にはとても親切で、山道に迷っている人がいるとちゃんとお家まで送ってくれます。
また、ときどき村へ降りてきて、機織りや麻の糸をつむぐ作業を手伝ってくれるというお話もありました。
それに運のいい人は、山奥に入ったときに、山姥が置き忘れた「苧(お)つくね(麻や楮の繊維の束)」を偶然拾うことがたまにあると言われていました。その糸は、いくら使っても絶対に尽きることがない魔法の糸だとも言われていたのです。
また、山姥が子どもを育てるというお話は、何もあの有名な足柄山の金太郎(あしがらのきんたろう)だけのお話ではありません。
昔はどこの国の山にも山姥がいたようですが、今ではほんのわずかなお話しか残っていません。
そして、その山姥も、もとはといえば「水の底で機を織る神様」と同じものだったということを知っている人は、もうほとんどいなくなってしまいました。
備後(びんご)の岡三淵(おかみふち)という村は、まわりに恐ろしいふち(深い水たまり)があったことから名づけられた村ですが、「おかみ」というのは大きな蛇のことなのです。
村の山の下には、高さが二丈(約6メートル)余りもある大きな岩がそびえ立っており、人々はその岩を「山姥の布晒し岩(ぬのさらしいわ)」と呼んでいました。時々この岩のてっぺんに、白い布のようなものが引っかかってヒラヒラと風に揺れていることがあると言われていたのです。
(『芸藩通志』広島県双三郡作木村岡三淵)

因幡国(いなばのくに)の山奥の村にも、非常に大がかりでダイナミックな山姥のお話がありました。栗谷の布晒し岩から、それと並んだ麻尼の立て岩、箭渓の動ぎ石の三つの大岩にかけて、昔は山姥が布を張って乾かしていたと言い伝えられていました。
この間は、なんと二里(約8キロメートル)ほどの広さもあります。
また、箭渓の村の西には「山姥の灰汁(あく)濾し」と呼ばれる小さな谷があって、岩の間にはいつでも灰汁のような色の水がたまっています。
この水を使って、あの山姥が布をきれいに晒していたのだと言われているのです。
(『因幡志』鳥取県岩美郡元塩見村栗谷)

こうしたお話を子どもたちまでが大笑いをしながら聞くようになると、だんだんと伝説が嘘っぽくなってきて、山の崩れたところを「山姥が踏ん張ったときの足跡だ」と言ったり、小便をしたあとだなどというふざけた話まで作られていくようになります。
たとえば、土佐の韮生(にろう)の山の中などでは、岩に自然とできた溝のことを、昔山姥が麦を作っていた畑の畝(うね)の跡だと呼んでいました。
(『南路志』高知県香美郡上韮生村柳瀬)

春になると、子どもたちが紙鳶(たこ)をあげながら、「山の神さん、風をおくれ」と叫ぶ土地もあれば、「山んぼ、風をおくれ」と言っている土地もあります。
今では山姥は、まるで昔からの遊び友だちのように、親しみを込めて呼びかけられているのです。
ある夕方などに山の方を向いて、大きな声で何かわめくと、すぐに向こう側でも同じように口まねをして返してくるのを、一般には「こだま(山びこ)」と言いますが、昔の子どもたちはこれを「山姥がからかっているんだ」と思っていました。
このこだまという現象ももともとは山の神のことですから、昔の人たちはそれを女の神様だと想像していたのです。

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