初級翻訳・月世界探険記 第3話

月世界探険記

僕一人くらい、なんでもないじゃないですか」

 この不慮の密航者をどうするかについて、艇では大議論が起った。もう地球から十二万キロも離れては、彼を落下傘で下ろすわけにもいかなかった。そんなことをすれば死んでしまうに決っている。

 艇長は云った。
「このまま連れてゆくか、それとも引返すかどっちかだ。連れてゆくのなら、食料品が足りないから、今日から皆の食物の分量を四分の一ずつ減らすより外ない」

 真先に反対したのは、猿田飛行士だった。
「密航するなんて太い奴だ。構うことはない。すぐに外へ放り出して下さい。たった一つの楽しみの食物が減るなんて、思っただけでもおれは不賛成だ」
 といって、頬をふくらませた。
ミドリは引返すことに反対した。艇長は遂に云った。気の毒ながら、この向う見ずの記者に下艇してもらうより外はないと。

 すると先刻からジッと考えこんでいた進少年が大声で叫んだ。
「艇長さん、それは可哀想だなア。……じゃいいから、僕の食物を、この佐々のおじさんと半分ずつ食べるということにするから、このままにしてあげてよね、いいでしょう」
「おれの食物の分量さえ減らなきゃ、あとはどうでも構わないよ」
 と猿田は云った。
艇長はようやく佐々記者を艇内に置くことを承認した。――佐々はどうなることかとハラハラしていましたが、進少年のやさしい心づかいのおかげで助けられたので、少年の手をぎゅっと強く握りしめ、心の底からお礼を言いました。
「きみはぼくの命の恩人だ。
……このご恩は、いつかきっとお返しするよ」と言ったあとで、誰に言うともなく、
「それにしても世の中には、えらそうな顔をしておきながら、実は鬼よりもひどいことをする人間もいるものだなァ……」
と、なにやら意味ありげなつぶやきをもらしました。

月世界上陸

月世界の探険で、一番の難所と言われているのは、「無引力(むいんりょく)空間」を通り抜けることでした。
その空間は、ちょうど地球の引力と月の引力とがちょうど同じ強さになるところで、もしそこでグズグズしていたり、エンジンが止まってしまったりすると、そこから先へ月の方へ行くこともできず、かといって地球の方へ引きかえることもできずに宙ぶらりんになってしまい、ただもうお腹を空かせて行き倒れるのを待つよりほかしかたがないという、恐ろしい空間帯でした。
ですが、蜂谷艇長のすばらしい操縦のおかげで、幸いエンジンも狂うことなく、無事にその危険な場所を通り抜けることができたのです。
乗組員の四人――いや、いまは五人ですね――は、ホッと安心して大きく息をつきました。
そして地球を出発してから十二日目、いよいよ待ちに待った月世界へ降り立つ時がやってきました。
ここから見る月は、まるで大地のように果てしなく広がり、反対にふりかえると地球は、はるか遠くのまっくらな空に、オレンジ色に美しく光り輝いていたのでした。
「さあ、いよいよ到着したぞ!」と、艇長は隠しきれない喜びの表情を浮かべて言いました。
「それじゃあ、思いきって『危難(き난)の海』の南にそびえるコンドルセという場所に着陸しよう。
みんな、防寒着を着て、酸素(さんそ)吸入器を背負うのを忘れないように。
……それでは、着陸の準備!」
「着陸の準備、よし!」
猿田飛行士が大声で叫びました。
彼はすき間がまったくないほど体をしっかりガードし、腰にはピストルの入った革ぶくろをつけ、肩からは大きなつるはしを斜めにかけ、ズックの大きな袋の中には三本のお酒のびんをこっそり忍ばせて、「上陸の第一歩をしるすのはこのオレだ!」と言わばかりの顔つきをしていました。
「……着陸、はじめッ……!」
宇宙艇はスピードを落とし、静かにぐるぐると円を描きながら、何もない荒涼(こうりょう)とした月世界へと舞いおりていきました。
「ねえ、蜂谷さん。
着陸したあと、どうするつもりなの?」
と、ミドリが尋ねました。
「やっぱり、きみの電子望遠鏡に映っていた白いポッチを一番はじめに探険するつもりだよ。
途中でいろいろ観測したけれど、あれはものすごく大きな穴なんだよね。
しかも、地球にある階段に似たものが見えるんだ。
もしかすると、人間が作ったものかもしれないなァ」
「まあ、もしや六角(ろっかく)博士や私の兄が生きていて、あの階段を作ったのではないでしょうか?」
「さあ……」艇長は、十年前に探険に出かけた博士たちが、いままで月世界で生きているわけがないと言いかけて、すんでのところで言葉を飲み込みました。
「それならいいんだけどねえ」
「私もご一緒しますわ。
ああ、なんだか楽しみだわ」
そのとき、進少年が宇宙艇の下にある倉庫からひょっこり上がってきました。
「艇長さん、食料品がちょっと心細くなってきたよ。
すぐに引き返すにしても、帰りの道は半分くらいにごはんを減らさないとダメだよ。
おまけに、お水が足りないんだ。
なにしろ、一つの水槽の中に、記者の佐々おじさんが隠れていたんだからねえ。
あはははっ!」
それを聞いた猿田飛行士は、ぎょろりと目をむきました。
宇宙艇はそうしている間にもだんだん下降していき、ついに真っ白な砂地にザザーッと盛大に砂煙をあげながら着陸しました。
ここで何ともかわいそうなことになったのは、密航者(みっこうしゃ)の佐々砲弾(ささほうだん)でした。
せっかくここまでついてきたものの、艇長は彼が月面に上陸することを許さなかったのです。
「砲弾(ほうだん)」なんて強そうな名前を持っていながらも、いまとなってはどうすることもできず、ただ黙って艇長の命令を聞くよりほか仕方がありませんでした。
新宇宙艇の二重になった丸い入り口が、ひさしぶりに内側へと開かれました。
乗組員の一行四人はマスクをつけ、艇長を先頭にして外へと出ていきました。
ちょうどその上陸した場所は、太陽の光をななめに受けていたせいか、意外にもかなり気温が高い方でした。
砂地に降り立って歩きだすと、まるで体に羽が生えたようにフワフワと体が浮き上がりました。
それは地球とはちがって、月世界では引力がものすごく小さかったからなのです。
一行は、「危難の海」と呼ばれる平原に見える白い模様をめざして歩きだしました。
月には一滴の水もありません。
だから地球から見ると海のように見える場所も、実際に来てみればなんのことはない、ただの広い原っぱにすぎなかったのでした。
さて、一行の中でも猿田飛行士だけは、ほかの三人をどんどん追い抜いて、猛烈なスピードでひとりで先へ進んでいきました。
ミドリはさすがに女性だけあって、猿田の半分ほどのスピードも出せず、そのため三人はだんだん遅れてしまい、猿田との距離はみるみるうちにものすごく離れていってしまいました。
三人は慣れないマスクと、歩きにくい砂地に苦労しながら、三分ほど……いや、三十分ほど歩いたそのとき、前方のキラキラと輝く光がこちらへ近づいてくるのを発見しました。
「あっ、誰かこっちへ来るぞ!
月世界の生きものなんじゃないかしら……?」
進少年がびっくりして発したその声に、一行はハッとして、荒涼とした砂漠の上に足をピタリと止めました。

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