初級翻訳・木に上った子供 第2話

小川 未明

そして、さっきから自分も、なんだかこの木のてっぺんのところまで、空がぐっと低くおりてきているような気がしてしかたがなかったのです。
(もしかしたら、おばあさんの言うお母さんが、僕のために下りてきてくださったんじゃないかしらん……)
辰吉は心の中でそう思っていました。
その間も、二人の子供はけんかを続けていました。
「けんかなんかしなくたっていいじゃないか。だれか、木に上ってみればわかるだろ!」と、大きな子供が言いました。
しかし、だれも、この目もくらむような高い木のてっぺんまで上っていこうとする者はいませんでした。
「僕が、上っていこう」
辰吉がそう言うと、みんなはびっくりしたような顔をして、辰吉の顔をじっと見つめました。
「きみが上るのか?」
「すごく高いぜ! 落っこちたって知らないからな!」
「きみ、本当に上れるのかよ?」
みんなは辰吉を見ながら、口々にそう言いました。
辰吉はひとりで、黙ってうなずきました。
そして、小さな下駄を木の根もとに脱ぎ捨てると、するすると木に上り始めたのです。
みんなは驚いた顔をして、上を見上げていました。
あたりはすでに薄暗くなってきており、木の枝が夜風にビューと吹き揺られているばかりです。
そして、星の光が、まるで木のてっぺんのすぐところで輝いているかのように、夜空に美しくきらめいていました。
辰吉は、だんだんと上へ上へと進んでいきました。
そして、その小さな体は、黒い枝のすき間に入り込み、やがて見えなくなってしまいました。
「もう、あの高いてっぺんまで上ったのかなあ?」
下では、子供たちがそんな話をしていました。
「どうしたんだろうね? まだ下りてこないよ」
「おおい――!」
木の下から、子供たちが大きな声で呼び叫びました。
しかし、どうしたことか、辰吉はいくら呼んでも返事をせず、そして下りてもきませんでした。
子供たちは、だんだん不思議な気持ちになり始めました。
そして、いつまでもそこに立ち尽くし、上を眺め続けていました。
夜風が木の枝に当たって、かすかにヒューと音をたてています。
気づけば、あたりはすっかり真っ暗な夜になっていました。
みんなは、ようやく肌寒さと気味の悪さを感じ始めたのです。
「きっと、この木の上に大蛇(だいじゃ)がすんでいて、食べられちゃったんだよ!」
一人の子供がそう叫ぶと、みんなは大声でわめき声をあげながら木の下からさっと退がり、おそるおそる上を仰ぎ見ました。
中には、怖くなって自分の家の方へ走って逃げ出す子供もいました。
ただ、木の根もとには、辰吉が履いていた小さな下駄が、ポツンと二つ残されているばかりでした。
こうして家に逃げ帰った子供もいましたが、なかには辰吉の身の上を心から心配して、いつまでもその木の下から離れようとしない子供もいました。
「どうしてこんな高い木なんかに上ったんだ……!」
集まってきた村の大人たちは、口々にそう言いました。
けれど、夜でまわりは真っ暗だったので、だれも気味悪がって木に上ろうとする人はいませんでした。
ただ、下から大声を出して名前を呼ぶばかりでした。
しかし、やはり、返事はまったく返ってきませんでした。
「まあ、明日になればわかるだろう」
そう言って、大人たちは家へと帰っていきました。
いつしか夜が明け、朝がやってきました。
村の人々は再び木の下に集まってきました。
そして、大人の男の一人が、するすると木に上っていきました。
ところが、枝のところには、辰吉の着物がかかっているばかりで、肝心の辰吉の体はどこにもありませんでした。
村のみんなは、それを聞いてたいそう不思議に思いました。
けれど、だれひとりとして、その本当の理由を知る者はいませんでした。
「辰吉は、コウモリになって飛んでいったんだ」と言う者もいれば、「いや、辰吉はフクロウになったんだ」と言う者もいたということです。

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