時には九台ものハープを並べて聴衆の神経をすべて支配し、情熱の大洪水を浴びせるような「力の芸術」は、過去にも未来にも例を見ないほど物凄いものです。
その音楽はあまりに強大で激しく、聴く人に休む暇を与えず、感情を休ませてくれませんでした。また、題材がすべて神話で、英雄主義に溺れ、悲劇から逃れられない救いのない物語であったため、神経の細やかな人々にはあまり好かれませんでした。しかし一方で、その高尚な理想主義と、「愛の宗教」とも呼べる情熱の高まりは、当時のなまぬるいロマンチックな音楽を打ち砕き、新しい理知的な音楽への第一歩を踏み出しました。音楽の表現力を極限まで高めた功績は、想像を超えるほど大きなものです。
生きている間も、亡くなった後も、熱狂的なファンと激しい敵の両方をたくさん持ったワグナーでしたが、その歩みはまさに巨人のようで、後世の音楽に与えた影響の深さは否定しようがありません。
もう一度言いますが、ワグナーなしでは、今日の音楽はこれほど発展していなかったでしょう。
彼が芸術の世界における英雄であったことに、何の疑いがあるでしょうか。
ワグナーの作品はたくさんありますが、『ニーベルンゲンの指環』や『ローエングリン』の一部、『タンホイザー』の序曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『パルジファル』、『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲などは、レコードでも気軽に聴くことができます。
巨人ワグナーの音楽と真っ向から向き合って味わうことは、音楽をただ心地よい娯楽だと考える人には、少し難しいかもしれません。
しかし、それこそが真の芸術を鑑賞するための、最高に素晴らしい試練だと言えるでしょう。
【ワグナーの作品とそのレコード】
ワグナーのレコードは非常にたくさんあります。
それらを一つひとつ詳しく解説することは、以前出した私の著書『ロマン派の音楽』でも試みましたが、すべてを網羅しようとすると、かえって本当に良いレコードを選ぶのが難しくなってしまいます。
ここでは、本当に素晴らしいものだけを厳選して紹介し、それ以外については触れないことにします。ワグナーの音楽が音楽文化においてきわめて重要な地位を占めていることは言うまでもありませんが、その構成が雄大で、かつ複雑精緻を極めているために、いつまで経っても聴く難しさが解消されることはありません。
日本においてワグナーのレコードが、必ずしも商業的に広く歓迎されないのは、まことにやむを得ないことではありますが、なんとはなしに、音楽を愛する者として肩身の狭さを感じないわけにはいきません。
現に私が東京帝大やその他のコンサート会場で経験したところによると、ワグナーの音楽は知識豊かな聴衆の間には、予期以上の強烈な感動を巻き起こしており、将来に対して興味深い暗示を投げかけています。
いつの世にか、日本においても、ワグナーが親しまれ、一般に深く理解される機会が訪れるだろうと私は信じています。
バイロイトのワグナー祭レコード
ワグナーのレコードの中で、最も興味深いのは、一九三六年のバイロイトのワグナー祭を録音した九枚のレコードです。
ワグナーの本来の理想が一部修正されているにしても、バイロイトのワグナー劇場で今日までその伝統が続けられていることは、すでに非常に興味深いことです。この演奏は一九二七年にも一度録音されましたが、それは録音状態が甚だ悪く、もはや問題外のレコードです。しかし一九三六年のものはさすがに立派で、バイロイトの独特な気分を充分に味わい尽くすことができるでしょう。
管弦楽団が舞台の下に配置され、客席から演奏者の姿が見えないという一風変わった設備も、この録音からはっきりと窺い知ることができます。
オーケストラも合唱団も誇りと名誉をかけて演奏しており、指揮者のティーチェンという人物は詳しく知りませんが、相当な実力者であろうと推察します。
レコードは『ローエングリン』と『ワルキューレ』と『ジークフリート』の山場だけを集めたものですが、劇的な発展が自然で、前後の関係もいくらか理解しやすく、流動的で面白い構成になっています。
歌い手たちも一流の人々であり、バイロイトのフェスティバルの空気はかなりよく出ているばかりでなく、ワグナーの楽劇というものは本当にこういったものなのだと思わせてくれます(ポリドールSKB二〇四七―五五)。
タンホイザーとローエングリン
『タンホイザー』の序曲は、中でも特に素晴らしい作品です。
これはワグナー初期の傑作です。
レコードは数多く出ていますが、録音が古くとも、私はコロムビアのメンゲルベルク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏の壮麗さを強く推したいところです(J八〇九二―三)。
ストコフスキーが指揮した「ヴェヌスベルク」の音楽は、『タンホイザー』序曲の改訂版ではありますが、序曲ほどの劇的な面白さはありません。
『タンホイザー』の一枚物の歌のレコードでは、ビクターのフラグスタートが歌った「歌の殿堂」(JD一三七五)と同じ歌手による「エリザベートの祈り」(JD七六三)が立派です。
それに次いで少し古いものですが、同じビクターから出ているエリッツァの歌も良いものです。
中でもエリッツァの「歌の殿堂」は名盤の一つであったと記憶していますが、今は廃盤になっています。
コロムビアのレーマンによる「エリザベートのアリア」と「祈り」も練達な表現でした。
「夕の星」については、昔のドイツ・グラモフォンのシュワルツの歌声を思い出します。
電気録音のものにはヒュッシュのレコード(ビクターJD一一四三)がありますが、こればかりは昔のシュワルツの方が優れていたと感じます。
『ローエングリン』の全曲レコードが存在しないのは物足りないことです。
前奏曲は非常に有名でもあり優れたものですが、「第三幕の前奏曲」はビクターのトスカニーニのものが優れており(ワグナー名曲集)、ポリドールのフルトヴェングラー指揮による「第一幕の前奏曲」(六〇一八七)も名品の一つでしょう。
「結婚行進曲」(婚礼の合唱)は有名ではありますが、決定的に良いレコードというものがありません。
やむを得ない場合は、先ほど挙げたバイロイトの祝典レコードの中にあるものか、メトロポリタン合唱団のビクターのレコードを採るほかありません(一一二四九)。
有名な「エルザの夢」は、ビクターのフラグスタート(JD一三七五)と、コロムビアのレーマン(J五五九三)のいずれもが素晴らしい出来栄えです。
古いものなら、ビクターのエリッツァのレコードがあります。
ニュールンベルクの名歌手とトリスタンとイゾルデ
『ニュルンベルクのマイスタージンガー(名歌手)』の「前奏曲」は少し古いものですが、ビクターのムックがベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものが絶品でしょう(六八五八―九)。
第三幕の「前奏曲」にはビクターにストコフスキー指揮のものと、ベーム指揮(JH一五三)のものがあり、後者は新しいだけの強みがあります。
しかしコロムビアのワルター指揮、ポリドールのフルトヴェングラー指揮のものも忘れてはいけません。
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