初級翻訳・海のかなた 第2話

小川 未明

いつの間にか、村の子供たちまでもが、松蔵の弾くバイオリンの音を感心して聞くようになっていました。
松蔵は、おじいさんがいなくなっても毎日のように城跡の石のところへやってきて、おじいさんがしたように沖の方を眺めながら、熱心にバイオリンの練習を続けたのです。
けれど、ここで思いがけない不幸が持ち上がりました。
松蔵の家が貧しかったために、家財道具の一切が競売にかけられてしまったのです。
もともと値打ちのあるものなど何一つありませんでしたが、その中でバイオリンがひときわ目立ってしまったため、松蔵にとって何よりも大切な楽器は奪い去られてしまいました。
そしてバイオリンは、他のがらくたと一緒に荷車に乗せられ、どこかへ運び去られていきました。
車がでこぼこの道を行くたびに荷車が揺れ、そのたびにバイオリンは車の上から悲しげなうなり声を上げました。
松蔵は目にいっぱいの涙をためて、車の行方を見送っていました。
しかし、彼にはどうすることもできませんでした。
これからは自分が精一杯働いて、自分の力でそれを取り戻すよりほかに方法はないのだと感じました。
松蔵は、あの忘れがたいおじいさんのかたみであり、自分にとって大切なバイオリンを取り戻すためには、どんな苦労もいとわないと決心しました。
それからというもの、松蔵は小さな体で耐えられる仕事なら何でもしました。
工場へ行って働き、家にいても働き、また他人の家に雇われても働きました。
寒い冬の夜も、暑い夏の日盛りも気にせず働きました。
そして、自分の家のために尽くしました。
また、もう一度失ったバイオリンを自分の手で買い戻して、それを弾きたいという願いだけが彼の支えでした。
けれど、あのバイオリンが果たして自分の手に戻ってくるかどうか、それは全く分かりませんでした。
もし誰か知らない人の手に渡ってしまい、二度と戻ってこないのではないかと考えたとき、彼はどんなに悲しみ、苦しんだことでしょう。
けれど、あのバイオリンはきっといつか自分の手に戻ってくると信じると、彼の瞳は再び希望の光に輝いたのでした。三年の月日が流れ、彼はついにバイオリンを買い戻すための十分なお金を貯めることができました。
「さあ、これからバイオリンを探す旅に出よう」
松蔵は、あの思い出の城跡へ向かいました。
そして、海の方をじっと見つめて祈りました。
「どうか、あの懐かしいバイオリンが、また僕の手元に戻ってきますように」
空を鳴きながら飛んでいたツバメは、少年の願いを聞いていました。
そして、このかわいそうな少年に同情するかのように、首をかしげて彼を眺めていました。
少年は、両親や姉妹たちに別れを告げました。
「僕は旅に出て、立派な音楽家になってから必ず帰ってくるよ」
そう言って、彼は故郷をあとにしました。
それからというもの、彼はあちらの町、こちらの町とさまよい歩き、バイオリンを探し続けました。
また、バイオリンを弾いている家の前を通るたびに、足を止めてその音色に耳を傾けました。
弾いている人の腕前はどうだろう。
今聞こえてくるそのバイオリンこそ、かつて自分が持っていた、あの懐かしいバイオリンではないだろうか――。
彼は片時も自分の志と、バイオリンのことを忘れることはありませんでした。
少年はおじいさんがそうしていたように、薬売りになったり、筆や墨を売る行商人になったりしながら、旅を続けました。
ただ一つ、あのおじいさんから譲り受けたバイオリンを見つけ出すための頼みの綱は、握りの部分に小さな星のような真珠が埋め込まれていることでした。
少年は、故郷に近い町の古道具屋を、一軒残らず訪ねて歩きました。
「握りのところに、小さな真珠の珠が埋め込まれているバイオリンはありませんでしたか?」
どこか近くの古道具屋に、そのバイオリンが売られたのではないかと考えたからです。
そして、まだその店にひっそりと残っていてくれないかという、かすかな希望を抱いていたのでした。
すると、ある一軒の店主が言いました。
「ああ、そんなバイオリンを三年ほど前に買ったことがあるよ。
店に並べておいたら、ある日、旅の男が通りかかって、そのバイオリンを見てひどく気に入り、買っていったんだ。
どこの誰かは知らないが、言葉のなまりからして西の方の国の生まれだということは分かった。
もうそのバイオリンがどこへ行ったのか、知る由もないよ」
松蔵はその言葉を聞くと、ひどくがっかりしました。
「その人は、どちらへ向かったのでしょうか」と、彼はため息をつきました。
道具屋の主人は笑い飛ばしました。
「そんなことが分かるはずがないだろう。
しかし、今ごろは、あの男もまたどこかの古道具屋に売り払ってしまったかもしれない。
君がそれほど欲しいというのなら、何年もかけて探してみることだね。
もっとも、そんなことは無駄な努力に終わるかもしれないが」と、主人は言いました。
「僕には、あのバイオリンでなければ決して出せない音色があるんです。
命をかけてでも探さなければなりません。
もしあのバイオリンが見つからなかったら、僕には生きている価値さえないのです」と、少年は力強く言いました。
これを聞くと、主人は目を丸くして驚きました。
「君がそれほどまでに熱心なら、きっといつか見つかる時が来るだろう」
少年は、その言葉に勇気づけられました。
そして再び、あてのない旅を続けたのです。
その後、何十回、何百回と、さまざまな古道具屋に入り、バイオリンの音色を確かめたことでしょう。
またある時は、風の合間にどこからか聞こえてくるバイオリンの音色に耳を澄ませ、もしや誰かが自分のバイオリンを弾いているのではないかと考えたりもしました。
そのバイオリンの音も、実に美しいものでした。
弾いている人も、決して下手ではありませんでした。
けれど彼は、おじいさんから譲り受けたあのバイオリンには、他のどんな楽器にもない特別な音色が宿っていることを感じ取っていました。
「これは、あのバイオリンじゃない」
彼はそのたびにがっかりして、また次の日も、そのまた次の日も、旅を続けました。
春の日の、雨が降り出しそうな暖かな夕方のことでした。
少年は疲れ切った足を引きずりながら、ある古びた町の中に入っていきました。
その町には、昔ながらの染物屋や呉服屋、金物屋などが並んでいました。
日はすでに西に傾きかけていました。
少年の目には、空のうす黄色く、ほんのりと色づいた景色がどこか悲しく映りました。
雨が近いせいか、ツバメが町の屋根を低く飛んでいました。
その時、少年が疲れ果てた足を引きずりながら、灯りもついていない、薄汚れた軒の低い家の前を通りかかると、家の中から三羽のツバメが外の往来へと飛び出していきました。
それと同時に、「ブーン」という、バイオリンの弦が鳴る音が聞こえたのです。
少年は、はっとして心の中で叫びました。なぜなら、その音色は、聞き覚えのある懐かしい音色だったからです。
もう少しで気づかずに通り過ぎるところでしたが、彼は足を止めて、その古道具屋をのぞいてみました。
どうやら、軒先に止まっていたツバメが飛び立つときに、弦に触れて音を鳴らしたようです。

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