ある日のこと、ヤシの木の木陰で、青い着物を着て頭に白い布を巻いたお世話係の男が、大きなパイプでいい香りのするタバコをスパスパと吸いながら、石に腰かけて考え事をしていました。
そこへ、一人の紳士が令嬢を連れて通りかかりました。
この紳士はふだんからこの動物園の男と顔見知りのようで、にっこり笑い合って挨拶を交わすと、こう言いました。
「このごろ、しろくまはおとなしくなりましたね」
パイプをくわえた男は、青い煙をふーっと吹き出しながら答えました。
「いまも、ちょうどしろくまのことを考えていたところなんですよ。
最近は水の中にもあまり飛び込まないし、暴れ回るなんてこともまったくありません。
すっかりおとなしくなりましたよ。
それは本当にいいことなんですけど、困ったことに、チョコレートを食べすぎて歯がすっかりダメになってしまったんです」
紳士と令嬢は思わず吹き出して笑いました。
「じゃあ、人間にかみつく心配がなくて安心じゃないか」と紳士が言いました。
パイプをくわえた男もカラカラと笑いました。
「まったくその通りです。
あんな頑丈な鉄格子のオリに入れておく必要なんてありませんね」
チョコレートを食べすぎたせいで歯がなくなってしまったしろくまのエピソードが新聞に載ると、これまで以上にこの無邪気な白いくまの人気が高まりました。
毎日たくさんの見物人が動物園に押し寄せてきました。
白いくまは、今まで以上にまわりがにぎやかになったことを喜びました。
そして、みんなの方を向いて頭を上下に振ったり、体を左右に揺すったりしてみせたのです。
「チョコレートをやってはいけません」という立て札が立てられていたにもかかわらず、女の人たちは相変わらずオペラバッグからチョコレートを取り出しては、ポンと投げてよこしました。
「歯のなくなったくまを、いつまでもオリの中に入れておく必要はないのではないか」という意見も出はじめました。
しかし動物園側としては、立て札に書かれているような「猛獣としての性質」がすっかりなくなってしまったこの白いくまを、これからどう処分したものかと困ってしまいました。
このウワサを聞きつけたのが、ある頭の切れる香具師(旅芸人や見世物などを仕切る興行師)でした。
彼はあまり大金を使うこともなく、うまく白いくまを手に入れたのです。
香具師は、白いくまをずっと閉じ込められていたオリから連れ出し、動物園の外へと連れ出しました。
危険な足の爪は短く切り、危なっかしい歯もすべて抜いてしまって、白いくまを自由に歩かせるようにしたのです。
くまは、そんなことを少しも苦痛だとは思わず、むしろ広々とした世界へ出られたことを心から喜びました。
もうこのごろでは、生まれた国の夢を見ることもなければ、氷の上を駆け回って遊んだ子ども時代のこともすっかり忘れ果て、人びとのオペラバッグを見ると「チョコレートを投げてくれないかな」と目を細めて待っているのでした。
香具師はそんな白いくまに、赤い日傘をさして踊る芸などを仕込んでいったのです。白いくまは、物覚えがあまりよくありませんでしたが、後ろ足でスッと立ち上がったり、ダンスのまねっこをしたりできるようになりました。
ある南の国の暑い午後のこと、町のはずれにある広場で、いろいろな手品や歌、踊りなどを披露する見せ物小屋のイベントが開かれていました。
その出し物の中には、なんと、あの白いくまのダンスも加わっていたのです。
黒人の男性が笛やラッパを吹き、鉦(かね)などをカンカンと鳴らすと、白いくまは赤と緑の布をお腹に巻き、赤い日傘をさしてダンスを始めました。
その様子を見ると、まわりの人たちはみんな手をたたいて大喜びしました。
「あれが、チョコレートを食べすぎて歯がなくなっちゃった、あの動物園にいたしろくまだよ!」と、子どもたちは指をさして言いました。
興行師(こうぎょうし)の男は、広場中に響きわたるような大きな声で、こうしゃべりました。
「みなさん、こちらは北極のほうで生まれたしろくまです!
かわいそうに、こんなに遠いところまでやって来ましたが、みなさんにすごくかわいがってもらえて、本当に幸せ者です。
動物園を出るとき、故郷の国へ返してやろうかとも思ったのですが、くまが言うには、『こんなに歳をとって歯もなくなってしまったし、いまさら国へ帰るより、やっぱりみなさまにかわいがってもらって、チョコレートをもらって食べているほうがいい』と言うのです……。
どうかこのくまの芸はまだまだ未熟ですが、はるばる遠いところからやって来たと思って、どうか可愛がってやってください!」と。
この暑い国から、世界中のあちこちへ向けてどんどん輸出される、ココアの缶やチョコレートのブリキの箱には、くまが日傘をさしてヤシの木の生えた野原で踊っている可愛らしい絵が描かれています。
その缶や箱は、もしかしたら北極のすぐ近くのほうまで旅していくかもしれませんが、そこに描かれているのは、まぎれもなくこのしろくまの姿なのです。
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