初級翻訳・あのときの王子くん 第14話

あのときの王子くん

ぼくには、それをとめる力もありませんでした……。
その子は、遠い目で、なにかをじっと見つめていました。
「きみのヒツジがいるね。ヒツジを入れる箱も、口輪だってある……」
そう言って、その子はさみしそうにほほえみました。
ぼくは、ただじっとしていました。
その子のからだが、少しずつ熱をおびていくのがわかりました。
「ぼうや、こわいんだね……」
こわいのは、あたりまえのことです。でも、その子はそっとわらって、こう言いました。
「夜になれば、もっとずっとこわくなる……」
もうどうしようもないんだと思うと、ぼくはまた、ぞっとしました。
ぼくは、このわらいごえが、もう二度と聞けなくなるなんて、どうしても受け入れることができませんでした。
このわらいごえが、ぼくにとっては、砂漠の中のオアシスのようなものだったのです。
「ぼうや、ぼくはもっと、きみのわらいごえを聞きたいよ……」
でも、その子は言いました。
「夜がくれば、一年になる。
ぼくの星が、ちょうど一年前に落ちた場所の真上にくるんだ……」
「ぼうや、これは悪い夢なんだろ? ヘビのことも、会うことも、星のことも……」
でも、その子はぼくの問いには答えず、こう言いました。
「だいじなものっていうのは、目には見えないんだ……」
「そうだね……」
「それは花も同じだよ。
きみがどこかの星にある花を好きになったら、夜、空を見るのが心地よくなる。
どの星にもみんな、花がさいているんだ……」
「そうだね……」
「それは水も同じ。
きみがぼくに飲ませてくれた水は、まるで音楽みたいだった。
くるくると回したロープのおかげ……そうでしょ……よかったよね……」
「そうだね……」
「きみは、夜になると星空をながめる。
ぼくんちは小さすぎるから、どれだか教えてあげられないんだけど、かえって、そのほうがいいんだ。
ぼくの星っていうのは、きみにとっては、あのたくさんの星のひとつ。
だから、どんな星だって、きみは見るのが好きになる……みんなみんな、きみの友だちになる。
そうして、ぼくはきみに、贈り物をするんだよ……」
その子は、からからとわらいました。
「ねぇ、ぼうや、ぼうや。
ぼくはそのわらいごえが大好きなんだ!」
「うん、それがぼくの贈り物……水と同じ……」
「どういうこと?」
「人には、みんなそれぞれにとっての星があるんだ。
旅人には、星は目印。
ほかの人にとっては、ほんの小さなあかりにすぎない。
頭のいい人にとっては、調べる対象だし、あの仕事人間にとっては、お金の源。
でも、そういう星だけど、どの星もみんな、なにも言わない。
で、きみにも、誰ともちがう星があるんだよ……」
「どういうこと?」
「夜、空をながめたとき、そのどれかにぼくが住んでるんだから、そのどれかでぼくがわらってるんだから、きみにとっては、まるで星ぜんぶがわらってるみたいになる。
きみには、わらってくれる星空があるってこと!」
その子は、からからとわらいました。
「だから、きみの心が癒えたら(人の心はいつかは癒えるものだから)、きみは、ぼくと出会えてよかったって思うよ。
きみは、いつでもぼくの友だち。
きみは、ぼくといっしょにわらいたくてたまらない。
だから、きみはときどき、窓をあける。こんなふうに、楽しくなりたくて……だから、きみの友だちはびっくりするだろうね。自分の前で、きみが空を見ながらわらってるんだもん。
そうしたら、きみはこんなふうに言う。
『そうだ、星空は、いつだってぼくをわらわせてくれる!』って。だから、その人たちは、きみの頭がおかしくなったと思う。
ぼくはきみに、とってもたちの悪いいたずらをするってわけ……」
そして、からからとわらいました。
「星空のかわりに、からからわらう、小さな鈴をたくさんあげたみたいなもんだね……」
からからとわらいました。
それからまた、ちゃんとした声で言いました。
「夜には……だから……来ないで」
「きみを、ひとりにはしない」
「ぼく、ぼろぼろに見えるけど……ちょっと死にそうに見えるけど、そういうものなんだ。
見に来ないで。
そんなことしなくていいから……」
「きみを、ひとりにはしない」
でも、その子は気になるようでした。
「あのね……ヘビがいるんだよ。
きみにかみつくといけないから……ヘビっていうのは、すぐおそいかかるから、ほしいままに、かみつくかもしれない……」
「きみを、ひとりにはしない」
でも、ふっとその子は落ち着いて、言いました。
「そっか、毒は、またかみつくときには、もうなくなってるんだ……」

あの夜、ぼくは、あの子がまた歩きはじめたことに気がつきませんでした。
あの子は、音もなく抜け出していたのです。ぼくがなんとか追いつくと、あの子はわき目もふらず、はや足で歩いていました。
あの子はただ、こう言いました。
「あっ、来たんだ……」
それから、あの子はぼくの手をとったのですが、また悩みだしました。
「だめだよ。
きみが傷つくだけだよ。
ぼくは死んだみたいに見えるけど、ほんとうはそうじゃない……」
ぼくは、なにも言いません。
「わかるよね。
遠すぎるんだ。
ぼくはこのからだを持っていけないんだ。
重すぎるんだ」
ぼくは、なにも言いません。
「でもそれは、脱ぎすてた抜け殻とおんなじ。
抜け殻なら、切なくはない……」
ぼくは、なにも言いません。
あの子は、ちょっと沈みました。
でもまた、声をふりしぼりました。
「すてきなこと、だよね。
ぼくも、星をながめるよ。
星はみんな、さびたくるくるのついた井戸なんだ。
星はみんな、ぼくに飲むものをそそいでくれる……」
ぼくは、なにも言いません。
「すっごくたのしい! きみには五億の鈴があって、ぼくには五億の水くみ場がある……」
そしてその子も、なにも言いません。
だって、泣いていたんですから……

「ここだよ。
ひとりで歩かせて」
そう言って、あの子は座りこみました。
こわかったんです。
あの子は、こう続けました。
「わかるよね……ぼくの花に……ぼくは、返さなきゃいけないんだ! それに、あの子はすっごくかよわい! それに、すっごく無邪気! まわりから身を守るのは、つまらない、四つのトゲ……」
ぼくも座りこみました。
もう立ってはいられませんでした。
あの子は言いました。
「ただ……それだけ……」
あの子はちょっとためらって、そのあと立ち上がりました。
一歩だけ、前に進みます。
ぼくは動けませんでした。
なにかが、黄色く光っただけでした。
くるぶしの近く。
あの子の動きが、一瞬だけ止まりました。
声もありませんでした。
あの子は、そうっと倒れました。
木が倒れるようでした。
音さえもしませんでした。
砂のせいでした。

27

いまとなっては、あれももう、六年まえのこと。
……ぼくは、この出来事を、いままでだれにも話しませんでした。
飛行機仲間は、ぼくの顔を見て、無事に帰ってきたことをよろこんでくれました。
ぼくは切なかったけれど、あいつらにはこう言いました。
「いやあ、こりごりだよ……」
もういまでは、ぼくの心も、ちょっと癒えています。
その、つまり……まったくってわけじゃない。
でも、ぼくにはよくわかっています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました