ぼくには、それをとめる力もありませんでした……。
その子は、遠い目で、なにかをじっと見つめていました。
「きみのヒツジがいるね。ヒツジを入れる箱も、口輪だってある……」
そう言って、その子はさみしそうにほほえみました。
ぼくは、ただじっとしていました。
その子のからだが、少しずつ熱をおびていくのがわかりました。
「ぼうや、こわいんだね……」
こわいのは、あたりまえのことです。でも、その子はそっとわらって、こう言いました。
「夜になれば、もっとずっとこわくなる……」
もうどうしようもないんだと思うと、ぼくはまた、ぞっとしました。
ぼくは、このわらいごえが、もう二度と聞けなくなるなんて、どうしても受け入れることができませんでした。
このわらいごえが、ぼくにとっては、砂漠の中のオアシスのようなものだったのです。
「ぼうや、ぼくはもっと、きみのわらいごえを聞きたいよ……」
でも、その子は言いました。
「夜がくれば、一年になる。
ぼくの星が、ちょうど一年前に落ちた場所の真上にくるんだ……」
「ぼうや、これは悪い夢なんだろ? ヘビのことも、会うことも、星のことも……」
でも、その子はぼくの問いには答えず、こう言いました。
「だいじなものっていうのは、目には見えないんだ……」
「そうだね……」
「それは花も同じだよ。
きみがどこかの星にある花を好きになったら、夜、空を見るのが心地よくなる。
どの星にもみんな、花がさいているんだ……」
「そうだね……」
「それは水も同じ。
きみがぼくに飲ませてくれた水は、まるで音楽みたいだった。
くるくると回したロープのおかげ……そうでしょ……よかったよね……」
「そうだね……」
「きみは、夜になると星空をながめる。
ぼくんちは小さすぎるから、どれだか教えてあげられないんだけど、かえって、そのほうがいいんだ。
ぼくの星っていうのは、きみにとっては、あのたくさんの星のひとつ。
だから、どんな星だって、きみは見るのが好きになる……みんなみんな、きみの友だちになる。
そうして、ぼくはきみに、贈り物をするんだよ……」
その子は、からからとわらいました。
「ねぇ、ぼうや、ぼうや。
ぼくはそのわらいごえが大好きなんだ!」
「うん、それがぼくの贈り物……水と同じ……」
「どういうこと?」
「人には、みんなそれぞれにとっての星があるんだ。
旅人には、星は目印。
ほかの人にとっては、ほんの小さなあかりにすぎない。
頭のいい人にとっては、調べる対象だし、あの仕事人間にとっては、お金の源。
でも、そういう星だけど、どの星もみんな、なにも言わない。
で、きみにも、誰ともちがう星があるんだよ……」
「どういうこと?」
「夜、空をながめたとき、そのどれかにぼくが住んでるんだから、そのどれかでぼくがわらってるんだから、きみにとっては、まるで星ぜんぶがわらってるみたいになる。
きみには、わらってくれる星空があるってこと!」
その子は、からからとわらいました。
「だから、きみの心が癒えたら(人の心はいつかは癒えるものだから)、きみは、ぼくと出会えてよかったって思うよ。
きみは、いつでもぼくの友だち。
きみは、ぼくといっしょにわらいたくてたまらない。
だから、きみはときどき、窓をあける。こんなふうに、楽しくなりたくて……だから、きみの友だちはびっくりするだろうね。自分の前で、きみが空を見ながらわらってるんだもん。
そうしたら、きみはこんなふうに言う。
『そうだ、星空は、いつだってぼくをわらわせてくれる!』って。だから、その人たちは、きみの頭がおかしくなったと思う。
ぼくはきみに、とってもたちの悪いいたずらをするってわけ……」
そして、からからとわらいました。
「星空のかわりに、からからわらう、小さな鈴をたくさんあげたみたいなもんだね……」
からからとわらいました。
それからまた、ちゃんとした声で言いました。
「夜には……だから……来ないで」
「きみを、ひとりにはしない」
「ぼく、ぼろぼろに見えるけど……ちょっと死にそうに見えるけど、そういうものなんだ。
見に来ないで。
そんなことしなくていいから……」
「きみを、ひとりにはしない」
でも、その子は気になるようでした。
「あのね……ヘビがいるんだよ。
きみにかみつくといけないから……ヘビっていうのは、すぐおそいかかるから、ほしいままに、かみつくかもしれない……」
「きみを、ひとりにはしない」
でも、ふっとその子は落ち着いて、言いました。
「そっか、毒は、またかみつくときには、もうなくなってるんだ……」
あの夜、ぼくは、あの子がまた歩きはじめたことに気がつきませんでした。
あの子は、音もなく抜け出していたのです。ぼくがなんとか追いつくと、あの子はわき目もふらず、はや足で歩いていました。
あの子はただ、こう言いました。
「あっ、来たんだ……」
それから、あの子はぼくの手をとったのですが、また悩みだしました。
「だめだよ。
きみが傷つくだけだよ。
ぼくは死んだみたいに見えるけど、ほんとうはそうじゃない……」
ぼくは、なにも言いません。
「わかるよね。
遠すぎるんだ。
ぼくはこのからだを持っていけないんだ。
重すぎるんだ」
ぼくは、なにも言いません。
「でもそれは、脱ぎすてた抜け殻とおんなじ。
抜け殻なら、切なくはない……」
ぼくは、なにも言いません。
あの子は、ちょっと沈みました。
でもまた、声をふりしぼりました。
「すてきなこと、だよね。
ぼくも、星をながめるよ。
星はみんな、さびたくるくるのついた井戸なんだ。
星はみんな、ぼくに飲むものをそそいでくれる……」
ぼくは、なにも言いません。
「すっごくたのしい! きみには五億の鈴があって、ぼくには五億の水くみ場がある……」
そしてその子も、なにも言いません。
だって、泣いていたんですから……
「ここだよ。
ひとりで歩かせて」
そう言って、あの子は座りこみました。
こわかったんです。
あの子は、こう続けました。
「わかるよね……ぼくの花に……ぼくは、返さなきゃいけないんだ! それに、あの子はすっごくかよわい! それに、すっごく無邪気! まわりから身を守るのは、つまらない、四つのトゲ……」
ぼくも座りこみました。
もう立ってはいられませんでした。
あの子は言いました。
「ただ……それだけ……」
あの子はちょっとためらって、そのあと立ち上がりました。
一歩だけ、前に進みます。
ぼくは動けませんでした。
なにかが、黄色く光っただけでした。
くるぶしの近く。
あの子の動きが、一瞬だけ止まりました。
声もありませんでした。
あの子は、そうっと倒れました。
木が倒れるようでした。
音さえもしませんでした。
砂のせいでした。
27
いまとなっては、あれももう、六年まえのこと。
……ぼくは、この出来事を、いままでだれにも話しませんでした。
飛行機仲間は、ぼくの顔を見て、無事に帰ってきたことをよろこんでくれました。
ぼくは切なかったけれど、あいつらにはこう言いました。
「いやあ、こりごりだよ……」
もういまでは、ぼくの心も、ちょっと癒えています。
その、つまり……まったくってわけじゃない。
でも、ぼくにはよくわかっています。
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