初級翻訳・二少女 第3話

二少女

「ううん、怒るどころか、あなたがこうして来てくれて本当にうれしいわ。局のみんながいろいろ言っているのは、なんとなく耳に入っていたけれど……でも、みんながああ思うのも仕方がないって思っているの……」
そう言うとお秀は悲しそうな顔をして、ふうっと大きなため息をつきました。
「どうしてそんなこと言うの!
ちゃんとした事情もよく知らないで、まるで見てきたみたいに言いふらして、本当にくやしい!」
「私だってくやしくないわけじゃないけれど、あんな人たちがいろいろ言うのも無理はないわ。だって、うちのおばあちゃんがね……」
お秀は言葉につまり、じっとお富の顔を見つめました。その目は涙でうるんでいました。
「おばあちゃんが何か言ったのね……。本当にあなたって、なんてかわいそうなの……」
お富の目にも涙があふれてきました。
「おばあちゃんのことだから、ほかの人にはとても言えないけれど……ほら、この前あなたが遊びに来てくれたとき、おばあちゃんが変なことを言ったでしょう?
実はその十日ほど前に、小石川(こいしかわ)のほうから人が来て、私に『愛人になりなさい』って言わんばかりの話を持ってきたのよ。お前の考えひとつで、お梅や源ちゃんにもちゃんとした服を着せてあげられるし、おいしいお菓子も食べさせてあげられるんだって……」
「それで、愛人になりって言われたの?」
お富は目の端を袖でぬぐいながら、丸い目をパチクリと大きくして言いました。
「ううん、はっきりと『愛人になれ』とは言わなかったけれど、『世間では愛人なんてすごく悪く言うけれど、芸者なんかと比べたらどれだけいいか分からないわ。たった一人の男を旦那にするんだから』って……。まあ、なんてひどい言葉でしょう! 私はくやしくてたまりませんでした。
どうせ身を売り物にするのは同じことだなんて言われて……おばあちゃんや弟妹のために身を売るのが何が悪いっていうのよ……」
「まあ、そんなことを言われたの!」
「本当に、私もどうしていいか分からないくらい困り果ててはいたけれど、どんなに落ちぶれたって、愛人になんてなるつもりは絶対にないわ私には。
そんな情けないことがどうしてできるでしょう。
おばあちゃんには、『どんなことがあっても私はそんな真似はしない。自分でできる限りのことをして、妹と弟の行く末を最後まで見届けるから、心配しないで』って、はっきり言い切ってやったの。そのとき、あまりにくやしくて涙が出ちゃった。
それからね、いっそのこと針仕事だけに専念したほうがいいんじゃないかと思って、しばらく会社(局)を休んでやってみたのよ。
だけど、この頃になってよく分かったんだけど、針仕事だけじゃあ、ある時はあるけど仕事がない時は全然なくて、結局は大した稼ぎにならないの。それに、家にばかりいるとつい妹や弟の世話を余計に焼きたくなって、思そっちに時間が取られてしまって……。だからやっぱり、今まで通り半日ずつでも局で働くことにしようか、ちょうどそう考えていたところだったのよ」
「それでお梅ちゃんはどうしているの?」
お富は心配そうに尋ねました。
「だから、今のところ、私ひとりの力と稼ぎではとても三人の生活をやりきれないでしょう! 小石川のほうからもあてにできるような援助はないし……だから、お梅だけでもどこかへ奉公に出すことにして、ちょうど一昨日かそのあたりに、働きに出したのよ」
「まあ、どこへ行ったの?」
「すぐ近くのところよ。日蔭町(ひかげちょう)の古物屋さん(古着屋)なの」
「お手伝いさん(おさんどん)として?」
「うん、そう」
「まあ、かわいそうに。まだやっと十五歳でしょう?」
「私もかわいそうでかわいそうでたまらなかったけれど、つまり私のそばにいたって苦しい思いをするばかりだし、それにどうせあの子も、いつかはしばらく辛い思いをして一人前になっていくんだから、今のうちから他人のもとに出て修行するのも悪くないだろうって、心を鬼にして送り出したの。
どうか無事に辛抱してくれればいいんだけど……。
それに源ちゃんはあんな様子だし、さっきもこうして針仕事をしながらいろいろなことを考えていたら、悲しくなって泣きたくなっちゃってね。だから、心の中で唱歌を歌って気をまぎらわせていたところなのよ」
「それじゃああなた、明日からまた局に戻って働きなさいよ」「そうした方がいいわよ。それに会社に出て忙しくしている間だけでも、苦しいことを忘れられるしね」とお富は真面目にすすめました。
お秀はため息をついて、それから寂しそうな笑みを顔に浮かべ、
「本当にそうですね。人様のお話の取次をして『何番、何番』って言っているうちに、あっという間に日が暮れますからね」と言って「おほほほほ」と軽く笑いました。
「女の仕事なんて、どうせそんなものよ」とお富も「おほほほほ」と笑いました。
そしてお秀は、なんとも言い表せない、うれしいような、切ないような、そして少し頼もしいような気持ちがしました。
何はともあれ、明後日からお秀は会社(局)に戻ることに話をしっかり決めてお富と約束したものの、急に着るもののことが思い当たって困ってしまいました。
若い女性ばかりが集まる職場だから、お秀の性格としても、まさか寝間着のような格好のままでは出勤できません。しかも、持っていた二、三枚の単衣(ひとえ)の着物はすべて質屋に入ってしまっています。これにはほとんどお手上げ状態で、さすがにおんな同士、お富も最初からそれに気がついていました。
お秀が困り果てた様子を見て、
「気に障るようなことだったらごめんね、あの……」
「ううん、大丈夫、どうにかするから!」とお秀は少し顔を赤らめて、「おほほほほ」と笑いました。
「だって困っちゃうでしょう? 明日私が会社から帰ったらお母さんと相談して……四時頃にまた来るね」
「そんな、あまりに申し訳なさすぎて……」
お秀は目にいっぱいの涙を浮かべてうつむきました。
お富はなんとも言えない、悲しいような、いとおしいような気持ちになりました。
夜もだいぶ更けたようなので、お富がそろそろお暇を告げようと立ち上がったその時、どこからか鈴虫の鳴き声が突然お部屋の中に響きました。
「あら、鈴虫だわ」とお富は言ってあたりを見回しました。
「窓のところよ。お梅がこの前こんぴらさんで買ってきたの。奉公に行くときに持っていきたいって……」
「まだ子供だものねえ」とお富がつぶやき、二人は暗い階段を気をつけて下り、お秀もいっしょに表へ出ました。
月は少し西に傾いていました。
夜はすっかり静まり返り、深く更けています。
「そこまで送っていくわ」
「ういいのよ、あそこの通りに出たらまだ人通りがたくさんあるから」とお富は笑って、
「それじゃあね、源ちゃん、お大事にね」と歩き出しました。
「お濠(ほり)のところまで送らせてよ」とお秀は思わず一緒について歩き出しました。
二人の少女の影は、薄暗い路地の中に消えていきました。
路地の真ん中あたりがちょうどパン屋の裏になっていて、今ちょうど二人が通りかかると、戸が少し開いていて、中でパンを作っている様子がよく見えました。
その焼きたての香ばしい匂いが、戸の外までぷんぷんと漂っています。

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