初級翻訳・土神ときつね 第2話

土神ときつね

それにもやっぱり赤や黄色といろいろある。分からんねえ」
「狐さんにでも聞いてみたら、いかがでございましょう」

樺の木は、うっとりと昨夜の星の話を思い出していたので、ついそう言ってしまいました。
この言葉を聞いたとたん、土神は急に顔色を変えました。そして、拳をギュッと握りしめました。
「なんだと? 狐? 狐が何を言っていたんだ!」

樺の木は、おろおろとした声になりました。
「何もおっしゃったわけではございませんが、少しは何か知っているかもしれないと思いまして……」
「狐なんぞに、神が物を教わるなど、一体何事だ! ええい!」

樺の木はすっかり怖くなって、ぷりぷりと震えました。
土神は歯をきしきしと鳴らしながら、高く腕を組んでそのあたりを歩き回りました。その影は真っ黒に草の上に落ち、草たちも恐れて震え上がりました。
「狐の如きは、実に世の害悪だ。ただの一言もまことはなく、卑怯で臆病で、そのうえ非常に妬み深いのだ。うぬ、畜生の分際で!」

樺の木はようやく気をとり直して言いました。
「もう、あなたの方のお祭も近づきましたね」
土神は少し顔色を和らげました。
「そうじゃ。今日は五月三日、あと六日だ」
土神はしばらく考えていましたが、急にまた声を荒らげました。
「しかしながら人間どもは不届きだ。近頃はわしの祭にも供物ひとつ持ってこん。おのれ、今度わしの領分に最初に足を入れたものは、きっと泥の底に引きずり込んでやろう!」

土神はまたキリキリと歯ぎしりをしました。
樺の木は、せっかくなだめようと思って言ったことがまたしても逆効果になり、もうどうしたらいいのか分からず、ただちらちらと葉を風に揺らしていました。
土神は日光を浴びてまるで燃えているようになりながら、腕を組んで歯ぎしりをし、その辺りをうろうろしていましたが、考えれば考えるほど何に対しても腹が立ってくるようでした。
そしてとうとう我慢できなくなり、吠えるように唸りながら、荒々しく自分の谷地(やち)へと帰っていきました。

(三)

土神の住んでいる場所は、小さな競馬場くらいの広さがある、冷たい湿地でした。そこには苔やからくさ、短い葦などが生えていましたが、所々にはあざみや、背が低くひどくねじ曲がった楊(やなぎ)の木もありました。
水がじめじめしていて、その表面にはあちこちで赤い鉄の錆が湧き上がり、見るからにどろどろとしていて気味が悪い場所でした。
そのまん中の、小さな島のような所に、丸太でこしらえた高さ一間(約一・八メートル)ばかりの土神の祠(ほこら)がありました。
土神はその島に帰ってくると、祠の横に長々と寝そべりました。そして黒くて痩せた脚をガリガリとかきました。

土神は、一羽の鳥が自分の頭の上をまっすぐに飛んでいくのを見ました。
すぐに土神は起き上がって、「しっ!」と叫びました。
鳥はびっくりして、よろよろと落ちそうになり、それからまるで羽もしびれたように、だんだんと低く落ちながら向こうへ逃げていきました。
土神は少し笑って、また起き上がりました。けれども、すぐ向こうの樺の木が立っている高台の方を見ると、土神ははっと顔色を変えて立ちすくんでしまいました。
そして、どうにもイライラするのか、ボサボサの髪の毛を両手で激しくかきむしりました。
その時、谷地の南の方から、ひとりの木樵(きこり)がやってきました。
三つ森山の方へ仕事に行くのでしょう、谷地のふちに沿った細い道を大股で歩いていましたが、どうやら土神の噂は知っていたようで、時々心配そうに土神の祠の方をちらちらと見ていました。
ですが、木樵には土神の姿は見えていません。
土神はそれを見ると嬉しくなって、パッと顔を赤らめました。
そして右手をそちらへ突き出し、左手でその右手首をつかんで、自分の方へ引き寄せるようにしました。
すると不思議なことに、木樵はまっすぐ道を歩いているつもりなのに、だんだんと谷地の中へ踏み込んでくるではありませんか。
木樵は驚いたように歩くスピードを速め、顔を青ざめさせて、口を大きく開けて荒い息をつきました。
土神が右手のこぶしをゆっくりと円を描くように回すと、木樵はぐるぐると同じ場所を回り始めました。ひどく慌てふためき、ハアハアと激しく息を切らしながら、何度も何度も同じ場所をぐるぐると回ります。
どうにかして早く谷地から逃げ出そうとしているようでしたが、焦れば焦るほど、また同じ場所を回ってしまうのです。
とうとう木樵はおろおろと泣き出し、両手を空に突き上げて走り出しました。
土神はとても嬉しそうにニヤニヤと笑いながら、寝そべったままその様子を見ていましたが、やがて木樵がすっかりパニックになって疲れ果て、バタッと水の中に倒れ込むと、ゆっくりと立ち上がりました。
そして、ぐちゃぐちゃと大股で歩み寄り、倒れている木樵の体を、向こうの草むらの方へポイと投げ捨てました。
木樵は草の中にドスンと落ち、「ううっ」と呻いて少し動いたようでしたが、まだ意識は戻りませんでした。
土神は大声で笑いました。
その笑い声は不思議な波となって空へ昇っていきました。
空へ届いた声は、そこから跳ね返ってきて、ガサリと樺の木のところにも降り注ぎました。
樺の木はハッとして顔色を変え、日光を浴びて青く透き通りながら、激しく、激しく震えました。
土神はたまらないといった様子で両手で髪をかきむしりながら、ひとりで考え込んでいました。
「俺がこんなに面白くないのは、第一に狐のせいだ。いや、狐よりも樺の木のせいだ。狐と樺の木、その両方のせいなんだ。……けれども、樺の木に対しては怒っていないんだ。樺の木を怒らないようにしているからこそ、俺はこんなに苦しいんだ。樺の木さえどうでもよくなれば、狐のことなどなおさらどうでもいいはずなのに。俺は卑しいとはいえ、一応は神の身分だ。それなのに、狐のことなどを気にかけなければならないなんて情けない。それでも、気になって仕方ない。樺の木のことなんて忘れてしまえ。……いや、どうしても忘れられない。今朝、青ざめて震えていたあの姿。あの立派な姿を、どうしても忘れられないんだ。俺はイライラにまかせて、あんな哀れな人間をいじめてしまった。……だが仕方ない。誰だってイライラしている時は、何をしでかすか分からないものだ」
土神はひとりで苦しんで、バタバタと暴れていました。
空をまた一羽の鷹が飛んでいきましたが、今度の土神は何も言わずに黙ってそれを見送りました。
ずっと遠くの方で、騎兵隊の演習でしょうか、パチパチパチパチと塩がはじけるような鉄砲の音が聞こえました。
空から青い光がドクドクと野原に流れ込んできました。
それを浴びたのか、さっき草むらに投げ出された木樵がやっと意識を取り戻し、おずおずと起き上がって、しきりにあたりを見回しました。
そして急に立ち上がると、一目散に逃げ出しました。
三つ森山の方へ、まるで何かに追われるように必死で逃げていきました。
土神はそれを見て、また大きな声で笑いました。
その声はまた青空の方へ昇り、途中からバサリと樺の木の方へ降り注ぎました。
樺の木はまたハッとして葉の色を変え、目に見えないほど細かく震えました。

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