「いたよ、いたよ」
淵のなかと、西の空と、両方をむいてです。
西にかたむいた太陽が雲にかくれようとしていて、そのきれぎれの雲の一つが、なまずの形になって、金色の髭をはやしていますし、それがそのまま、淵の水のなかにもうつっています。
それを、私たちが両方見くらべてるまに、もうすーっと、雲の形はくずれ、淵のなかのも消えてしまいました。
私たちはあっけにとられて、言葉もでませんでした。
けれど、それからというものは、朝や夕方の雲の形に、なんとなまずが多くなったことでしょう。
そして淵のなかにも、なんとなまずがたくさんになったことでしょう。
みんな、金色の髭をはやした大きな珍しいなまずでした。
三 かき
家のまえに大きな柿の木がありました。
いっぱいなってるその柿が、秋になると、赤く色づきました。
私と正夫はそれをたくさんたべました。
あそびにくる村の子供たちにもわけてやりました。
朝露にひえたつめたいのをかじるのが、いちばんおいしくありました。
そして柿は、まもなくなくなってしまい、ただ一つだけ、たかい梢にのこりました。すっと空高くつき出た枝の先に、たった一つだけ実がなっていて、木に登ることも長い竿でとることもできませんでした。でも、それ以上に、あのいちばん高い場所にあるたった一つの柿は、なんだかそのまま残しておいてあげたいような気がしたのです。
その一つの柿は、まるで柿の木の旗のようでした。
まん丸で大きなその実が、朝日や夕日に赤くかがやいていました。
山奥の秋は、やってくるのが早いものです。
やがて柿の葉は黄色くなり、下の方の枝にある小さな柿や、半分割れてしまった柿なども、すっかり熟して小鳥たちに食べられてしまい、黄色い葉もだんだんと散っていきました。
けれど、高いこずえにある一つの柿は、もうすっかりやわらかく熟しながらも、相変わらず枝についたままでした。
私はだんだんそれが心配になってきました。
あんなに熟しているのに、いったいいつまであんなふうにしているつもりなのだろう。
下にポロッと落ちてしまうだろうか。
それとも、小鳥に食べられてしまうだろうか。
食べられるとしたら、いったい何の鳥に食べられるのだろうか。
正夫も、私と同じようにその柿のことを考えていました。
そして私たちは、できるだけその柿の様子をずっと見ていることにしたのです。
下に落ちるのか、どんな鳥に食べられるのか、それとも……。
家の庭から、その柿がちょうど正面に見えました。
風が当たらず、日のよくあたる暖かい片隅に腰掛けを持ち出して、私は正夫に本を読んで聞かせながら、二人ともときどき目を上げて、木の上の方にある柿を眺めました。
青く透き通った秋の高い空に向かって、柿が赤々と輝いています……。
ちょうどその柿と同じような赤い着物を、巡礼の旅をしている赤ん坊が着ていました。
その巡礼というのは、まだ三十歳くらいの若い女の人で、すげ笠、手甲(てこう)、脚絆(きゃはん)、笈摺(おいずる)など、身なりはどれもさっぱりとしていましたが、胸に赤ん坊を抱いていました。
彼女はおずおずと庭に入ってくると、静かで低い声でこう言いました。
「今晩、どこでもよろしゅうございますから、お宿をお願いできないでしょうか……」
赤ん坊なんか連れている、ちょっと変わった巡礼の人でしたが、その赤ん坊の着物が庭の柿の色とそっくりだったので、私はなんだか泊めてあげたいような気持ちになりました。
正夫も同じ気持ちだったのでしょう。
小父さんをさがしに家の中にかけこんでいき、すぐに戻ってきました。
「泊めてもいいってさ……」
巡礼の女の人は、うれしそうにペコリとお辞儀をしました。
「それでは、夕方まいります……」
そう言って、彼女は出ていきました。
私と正夫は顔を見合わせました。
どうもなんだか、変な巡礼の女の人です。
「僕がようすを見てこよう。
変だなあ……」
正夫が巡礼の後をつけていったので、私は一人でぼんやりと空想にふけりました。
長い時間がたったような気がしたころ……正夫が戻ってきました。
なんと、あの巡礼の赤ん坊を抱っこしているのです。
正夫はにこにこ笑っていました。
「おかしな女の人だよ。
赤ん坊をわらの上に寝かせておいて、自分は田んぼの中に入り込んで、落ち穂を拾い始めたんだ。
だんだん向こうの遠くへ行っちゃうんだよ。
僕、この赤ん坊がかわいそうになったから、抱っこして連れてきちゃったんだ」
「どれ、貸してごらん」
私はその赤ん坊を抱っこさせてもらいました。
赤ん坊はまだすやすやと眠っていました。
ふんわりと軽くて、まるで綿のようで、ほっぺたをつついてみると、つるつるしてやわらかく、かすかにミルクの匂いがしていました。
けれど、あまりにも軽くて手ごたえがないので、だんだん心配になってきました。
正夫といっしょに、その巡礼の女の人のをさがしに行くことにしました。
秋の日がたり一面にさんさんと照りつけていました。
見わたすかぎり、野山は黄色く、収穫の終わった田んぼは黒ずみ、空は雲ひとつなく晴れわたっていました。
ピーヒョロヒョロ、ピーヒョロヒョロ……。
とんびの鳴き声が聞こえます。
一羽のとんびが、空高くゆったりと輪を描いて飛んでいました。
向こうの田んぼの中で、五、六人の村の人たちが、巡礼の女の人を取り囲んで、何やら大きな声をあげていました。
そしてみんな、空を見上げて、とんびの姿に大騒ぎしていました。
私もそちらを見上げました。
よく見ると、がっしりとした力強いとんびで、その足に何か赤いものをつかんだまま、大きな円を描いて空を飛んでいます。
ピーヒョロヒョロと、まるですごくうれしそうに、ゆったりと舞い上がっているのです。
私は村の人たちのほうへ駆けつけました。
近くまで行くと、私を見つけた巡礼の女の人が、いきなりわっと駆け出してきて、私にしがみつき、そして私が抱いていた赤ん坊にしがみつきました。
「まあ、よかった!
ここにいたのね……無事でいたのね……本当によかった……お母さんは、あなたがとんびにさらわれてしまったのかと思って……もしさらわれていたらどうしようって……ああ、本当によかった……!」
彼女は夢中になって赤ん坊をぎゅっと抱きしめ、声をあげてめそめそと泣きました。
私はどうしていいか分からず、ただぼんやりとそこに立っていました。
村の人たちがぞろぞろと集まってきました。
「赤ん坊が本当にさらわれたわけじゃなくて、本当によかったよ」「だが、あれは何だろう」
とんびはなにか赤いものを両足につかんだまま、両足をちぢめておなかにくっつけ、大きな羽をめいっぱいにひろげ、羽ばたきひとつしないで、ふうわりと宙にうかびながら、さもうれしそうになき声をあげて空を舞いとんでいます。
日の光をいっぱいにてらされた青い空のまんなかで、その姿がつややかに光り輝いていました。
まわりにいた村人たちは、近くの赤ん坊がいるお家の人たちの名前を呼び合ったりしながら、心配そうな顔をして空を眺めていました。
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