そこで、ヨハンネスと旅の仲間は、まずは宿屋に入ることにしました。ここでゆっくり休んで、明日の山登りのために元気をたくわえておこうと思ったのです。
宿屋の一階にある大きな酒場には、たくさんの人が集まっていました。というのも、人形劇を見せてくれるおじさんが来ていたからです。ちょうど今、人形使いのおじさんが、小さな舞台を作り終えたところでした。
お客さんたちは、人形劇を見ようとして、舞台の周りにぐるりと座っていました。一番前で、一番見やすい特等席には、まるまると太った肉屋の親方が座っていました。その隣には、親方の大きなブルドッグがちょこんと座り、周りの人たちと同じように目をギョロギョロさせて舞台を見ていました。しかも、今にも噛みつきそうな恐ろしい顔をして!
さあ、いよいよ人形劇が始まりました! 王様とお妃(きさき)様が出てくる、とっても面白い劇でした。二人は頭に金の冠(かんむり)をかぶり、ドレスやマントの長い裾(すそ)をうしろにひきずりながら、そりゃあ美しい王様用の特別な椅子(玉座)に腰かけていました。二人はすごいお金持ちだったので、こんなに豪華で立派な格好をすることができたのです。
ガラスの目をして、大きな「八の字」のひげを生やした、とっても可愛らしい木の人形たちが、お城のあらゆるドアの前に立っていました。そして、部屋の中にきれいな空気を入れるために、パタパタとドアを開けたり閉めたりしていたのです。
劇のお話はすごく面白くて、悲しい場面なんてひとつもありませんでした。
ところが、お妃様が立ち上がって、部屋の床を歩こうとしたときのことです。あの大きなブルドッグめが、一体全体、何を思ったのでしょうか! 太った肉屋の親方がちゃんと抑えていなかったので、ブルドッグはいきなり舞台の上に飛び上がると、お妃様の細い腰に「ガブリ!」と噛みついたのです!
メリメリッ!という嫌な音が響き渡りました。ああ、なんて恐ろしいことでしょう!
かわいそうに、人形使いのおじさんは腰を抜かすほど驚きました。そして、壊れてしまったお妃様を見て、心から悲しんでガックリと落ち込みました。なぜなら、このお妃様は、おじさんが持っているたくさんの人形の中で、一番きれいで自慢の人形だったからです。それなのに、あのにっくきブルドッグめが、お妃様の首をガブッとかみ切ってしまったのですから!
やがて、ショックを受けた他のお客さんたちがみんな帰ってしまうと、ヨハンネスの旅の仲間が、
「その人形を、元通りに直してあげましょう!」と声をかけました。
そして、ポケットからあの小さな箱を取り出すと、壊れた人形にぬり薬(膏薬)をぬってあげたのです。ほら、覚えていますか? 前に、足をくじいたかわいそうなおばあさんにぬってあげて、一瞬で治した、あの魔法のような塗り薬ですよ!
薬をぬったとたん、なんと人形は元通りになりました! いやいや、元通りどころか、今度は自分の力で自由に手足を動かせるようにまでなったのです! これなら、もう誰も糸で操ったり、手で動かしたりする必要はありません。この人形は、ただ言葉をしゃべれないだけで、それ以外はまるで生きている人間とまったく変わらなくなってしまったのです。
人形劇のおじさんは、飛び上がって大喜びしました。だってそうでしょう! この人形は、自分で勝手に踊ってくれるようになったのですから! これからは、もう手で支えたり操ったりしなくてもいいのです。こんなすごいことができる人形なんて、世界中のどこを探しても絶対にありません。
やがて夜がふけていきました。宿屋にいる人たちは、みんな自分のベッドに入って眠りにつきました。
するとそのとき、どこからか、誰かが「はぁ…」と深いため息をついているのが聞こえてきました。しかも、その悲しそうなため息は、いつまでたっても止まりません。
そこで、眠っていたみんなはもう一度起き上がって、「一体だれだろう?」と確かめに行くことにしました。人形劇のおじさんは、どうやらそのため息が、自分の小さな舞台の方から聞こえてくるような気がしました。
そこで舞台を見に行ってみると、なんと木の人形たちが、王様をはじめ、王様を守る兵隊さんたちまで、みんな重なり合ってパタリと倒れていたのです。
そして、この人形たちが大きなガラスの目で、どこを見るともなくじっと虚空を見つめながら、「はぁ…」と、あんなにもかわいそうなため息をついていたのでした。なぜって、ほかの木の人形たちもみんな、お妃様と同じように、ちょっとお薬をぬってもらって、自分の力で自由に動けるようになりたかったからです。
お妃様はすぐにその場にひざまずき、立派な金の冠を両手で高く掲げながら、
「これを差し上げますから、どうか、わたしの夫である王様や、家来たちにもお薬をぬってやってくださいませ」と、お願いしました。
それを聞いた人形劇のおじさんは、人形たちがかわいそうになって、思わず涙ぐんでしまいました。
この人は、心の底から人形たちのことが愛おしかったのです。
そこで、すぐに旅の仲間に向かって、
「人形は四つか五つでけっこうです。どうか、この中でいちばんきれいな人形たちにお薬をぬってやってください。
そうすれば、明日の晩に劇をやってもうけたお金は、ぜんぶあなたに差し上げますから」と、申し出ました。
ところが、旅の仲間はこう答えました。
「あなたが腰にさげている、そのサーベルをください。
ほかに何もいりません」
そして、サーベルをもらうと、旅の仲間は六つの人形にそっとお薬をぬってやりました。
すると、人形たちはみるみるうちに踊り出し始めたのです!
その踊りのかわいらしさといったら、周りを見ていた本物の人間の娘たちまでが、思わずいっしょに踊りだしてしまうほどでした。
それだけでなく、今度は御者(ぎょしゃ)さんと料理女のおばさんも踊り出しました。
つづいて、下男や女中たち、そして見ていたお客さんたちも、みんなみんな踊りはじめました。
それだけではありません。
なんと、暖炉の前にある炭取りのシャベル(じゅうのう)や火ばしまでが、踊り出したのです!
もっとも、炭取りのシャベルと火ばしは、最初のひと跳ねをしたとたん、すぐにひっくりかえってしまいましたが。
いやはや、なんともいえない、楽しくてゆかいな夜でした。
――
あくる朝、ヨハンネスと旅の仲間は、みんなに別れをつげて、高い山をのぼりはじめました。
大きなモミの木の森を通って、ずいぶん高いところまでのぼっていきました。
やがて、下のほうに見える教会の塔は、まわりの緑にかこまれて、まるで小さな赤いイチゴのようになっていました。
山の上からは、まだ行ったこともない、何マイルも何マイルも遠くのほうまで、ぜんぶ見わたすことができました。
こんなに美しい世界の、こんなにたくさんのすばらしい景色を、いっぺんに見たことは、まだ一度もありませんでした。
お日さまは、すがすがしい青い空から、それはそれは暖かくあたりを照らしていました。
山の中で、狩人たちが吹いている角笛のひびきも聞こえてきました。
その音色は、たとえようもないほど美しく、心にしみ入るようでした。
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