初級翻訳・火星兵団 第27話

海野 十三

しかし、先生は絶対に死ぬつもりなどなかった。死ぬ気などこれっぽっちも起きなかったのだ。
「いいや、私はきっと生き延びてみせる!」
先生は顔を真っ赤にして怒鳴った。

15 大江山課長

大江山捜査課長のニセモノが現れ、警視庁へ電話をかけて、千二少年を許して留置場から出すように命令したと聞いて、本物の課長が驚きのあまり顔色を真っ青にしたことは、すでに述べたとおりである。

「やっぱり、そうだったんだ。おれはあの電話のことを後から聞いて知ったんだが、あれは警視庁の大きなしくじりだな」
と、佐々刑事がのこのこと前に出てきた。
課長はよほどショックを受けたのか、言葉も出さずに机の上に頬杖をついたまま、深く考え込んでいる。
「大江山課長からの電話だ」とすっかり信じ込んで千二少年を外に出してしまった担当の責任者は、すっかり肝を潰してしまい、これまた石像のように固まったまま突っ立っているばかりだった。

「だが、あの少年はなかなかけ利口で素早い子どもだったから、うまく家に逃げ帰ったんじゃないでしょうかねぇ。どうです、千葉のほうへ電話をかけてみては」
と、佐々刑事だけが一人で元気よくいろいろとまくし立てる。
しかし課長は相変わらず頬杖をついたまま、ピクリとも動こうとしない。
「どうですか、課長。千葉へ電話をかけてみては……」
佐々は課長をなんとか元気づけたいと思ったのか、机の前から上半身を乗り出して、課長の顔をのぞき込んだ。

しかし大江山課長は、すっきりしない暗い顔をしたまま、唇だけを動かした。
「それはだめだ」
「課長、どうしてだめなんですか。こんなに素晴らしい名案なのに……」
「名案だと?」
課長はジロリと上目で佐々の顔をにらみつけ、
「そんな名案があるものか。佐々、お前はまだライスカレーの食べ方が足りないらしいぞ」
「ははあ、ライスカレーですか。はははは!」
と、佐々は慌てて作り笑いを始めた。
佐々にとって得意な「ライスカレーの話」を課長が持ち出したので笑い出してみたものの、佐々としてはここで大いに笑ってみせることで、どうにか課長を元気づけたい一心だったのだ。
だが、課長は佐々の作り笑いに釣られて笑い出すことなど、微塵もしなかった。「そうじゃないか。
なぜなら、もし千二が朝のうちにこの留置場から出ていっていたとしたら、お昼すぎには千葉の家へ帰り着いているはずだ。
そうだろう?」
「まあ、そうですねえ」
「帰り着いていれば、千葉の警察の者たちが、こちらへすぐに報告してくるはずだ。
なぜなら、千二の家には、ちゃんと警察官が張り込みをしているのだからな」
「なるほど……」
「ところが、今はもう夜じゃないか。
それなのに、千葉からは何の報告も来ていない。
ということは、千二はまだ自宅へ帰り着いていないということが、よくわかるじゃないか」
「な、なるほど!」
佐々は、何度も「なるほど」と相槌を打った。
「そこだ、私がとても心配しているのは」
課長はぐっと語気を強めて言った。
「だからこれは、ひょっとすると、千二が途中であの怪人丸木にさらわれてしまったのではないか?
そういう疑いが湧いてくるというわけだ」
さすがは課長、考えがかなり深かった。
そして、課長の言うことは本当にその通りだったのだ。
怪人丸木は、たしかに途中で千二を連れ去っていた。
日比谷公園のそばに自動車をとめておいて、千二を上手に運転席に押し込み、そのまま逃げていったのである。
そこで課長は、はじめて頬杖をやめて姿勢を正し、集まった部下たちの顔を見回しながら言った。
「どうだ、管轄内で少年が連れ去られるのを見た者はいないか?」
「さあ、そういった報告は特に……」
「それとも、何か少年に関係した事件は起きていなかったか?」
「そうですねえ――」
さすが大江山課長は、目のつけ所が違う。
千二少年が何者かにさらわれたと知るやいなや、すぐさま捜査の手がかりをつかもうとしたのだ。
「ええと、今日このあたりで起きた事件の中で、少年に関係があったものと言いますと、全部で三件あります」
佐々刑事はそう言って、主任の机の上から帳面を持ってきた。
みんなはその帳面の方へ頭を寄せた。
「まず一件目は、午前八時のことです。名前のわからない十二、三歳の少年が、電車にはねられそうになった小学校一年生の女の子を、踏切で助けようとして自分がはねられてしまい、大けがをしました。これは小田急線の登戸(のぼりと)駅の近くでの出来事です」
「それは違うな」
大江山課長は一言でそう言い、首を横に振った。
「はっ、違いますか?」
「時間が午前八時では、千二少年はまだ外に出ていないではないか」
まったその通りである。
その時刻なら、千二少年はまだ警視庁の留置場にいたはずだった。
「なるほど!
これは私としたことが、ぼんやりしていました」
佐々は頭をかきながら、また帳面をめくった。
「はい、ありました。次は午後一時です。
十四歳になる竜田良一(たつだりょういち)と名乗る少年が、荷車(リヤカー)に乗ったまま昭和通りで自動車と衝突し、すぐに病院へ運ばれました。原因は信号無視です。すぐに店の主人に連絡し、主人は店員たちと一緒に駆けつけて、現在つききれいで看病中――という事件があります」
「それもう違うな」
「はあ、名前が違っていますが、もう一度調べ直してみましょうか……」
「主人や店員がやってきて落ち着いて看病しているのなら、それは本物の店員である竜田良一であって、千二少年が偽名を使っているわけではない」
「なるほど……。
これもダメでしたか。
では、こういうのがあります。あ、これだ!」
佐々刑事は大きな声を上げた。
「うむ、早く読め!」
大江山課長は思わず体を前に乗り出した。
「午後九時四十分の出来事です。
千葉県からやってきた十三歳の少年が、大川端(おおかわばた)で投身自殺を――って、あれ、おかしいぞ?
大川端で、身を投げようとしていた若い女性を見つけて交番へ知らせるとともに、自分も川へ飛び込み、お巡りさんと協力して助けた、とあります。
いや、これは少年のお手柄だぞ!
千葉県から杉の苗木を積んで東京へ売りに出た、その帰り道での出来事だったそうです」
「なるほど、それから……」
「それから――人命救助の表彰の候補者として、この少年の宮本一太郎を――ああっ、やっぱりこれもダメですね」
「なんだ、さっさと名前を読めばいいのに!」
これも違っていた。
その日、少年に関係のある事件は三つあったが、どれも千二少年とは何の関係もないことがわかり、大江山課長はすっかりがっかりしてしまった。
佐々刑事は決まり悪そうな顔をして、同僚たちの後ろへとこそこそ隠れながら、
「ちぇっ、今日は頭の回転が悪いな。
しょうがない、少し遅いけど、これからライスカレーでも食べ直して頭をスッキリさせるか」
と考えた。
その時、交通課の主任が、課長の前へと進み出てきた。
さっきから何を気にしているのか、ずっともじもじしていた主任だった。
「あのう、課長。

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