初級翻訳・熱い砂の上 第1話

熱い砂の上

一

 走り出した。とても歩いてなんかいられなかったから――砂がものすごく熱く焦げていて、誰にも到底はだしで我慢できるもんじゃなかったんだ。
「あつい、あつい!」
「ものすごい暑さだぞ!」
「競争だ! 競争! 波打ちぎわまで――」
 三人の若い男たちと二人の女の子が、着がえる小屋から飛び出して、砂の上を踏んでみると、その熱さにびっくりして、「ピョン、ピョン!」と飛びはねながら、夢中で波打ちぎわを目指して走っていった。
「やだやだ! 誰か――」
 えび茶色の水着を着た女の子が、キャーッと叫び声をあげた。
そして、むしゃくしゃしたように砂を激しく蹴とばしている。
――若い男の「A」がパッと振り返って、両手を大きく広げ、女の子を軽々と持ち上げておんぶした。
その様子を見ていた、
「あたしも、あたしも!」
 と、もう一人の、赤黒いはっきりした縦じまの水着を着た女の子が、若い男の「B」にしがみついた。
Bは、Aみたいに女の子を両腕で抱き上げたけれど、体が重くて、とてもスイスイ走れそうもなかった。
かわいそうになるくらいガリガリに痩せた男だったんだ。
見ただけで、Bはめちゃくちゃ苦しそうだった。
それでも負けずぎらいを発揮して、女の子を抱えたまま走り続けようとするんだけど、足元がフラフラになってしまって、熱い砂の上だから、まるで大雪の中を歩いているみたいに足を大げさに高く上げ、そしてゆっくり下ろしながら、大汗をかいて「ううっ」とうなっていた。
それを見て、すでに波打ちぎわに着いていたAと女の子が、おなかを抱えてケラケラ笑っている。
Aよりも先にゴールしていた若い男の「C」が、
「おーい!」
 と水の中から顔を出してBを呼んだ。
Bは、返事をしている余裕すらない。
「落としたら許さないんだからね!」
 Bの腕の中にいる女の子は、そんなボロボロのBをからかった。
そして、両足をバタバタさせたり、男の背中をペシペシ叩いたりしたんだ。
「じっとしててくれよ……。――ああっ、もう俺の足の裏、感覚がなくなっちゃったよ!」
「絶対に、あたしたち靴なんて持ってきてないんだから、毎日お願いね、Bさん!」
「ちょっと! 助けてくれよまったく……」
 とBはヒーヒー言いながら吐き出した。
「おい、ライフボート(救命ボート)になってやろうか、B――」
 Cがしきりに水の中から声をかけている。
「バカヤローッ!」
 とBはCに向かって怒鳴りつけた。
――「勇敢な騎士(ナイト)の姿を見るがいいさ! こうなったら俺はもうこのままで、どんな火の上だろうと、水の中だろうと、このお姫様は絶対に離さないからな――!」
 やっとの思いで波打ちぎわに着くと、女の子はBの腕からコロンと転がり落ちて、Cの方へ楽しそうに泳いでいった。

二

「なんだ、これくらいの熱さってば!」
「ふざけやがってさ――」
「弱虫な連中だなあ!」
「あのモダンガールの態度、なんだよあれ」
「見せつけやがってさ――」
「おい、泳いでいって、あいつらの足でも引っ張ってやろうぜ……」
 芸者さんを連れた二人の男が、さっきの若い人たちのキャッキャした様子を眺めながら、おしゃべりして舌を鳴らした。
「じゃあ、あなたたちは海に入らないの?」
「オレたちは見物しててやるよ――」
「おもしろい話だねえ。――じゃあ、一番オレたちのカッコいいところを見せてやろうか?」
「どうぞご自由に――」
 と、二人の芸者さんは横を向いて言った。
「よしっ!」
 二人の男は浴衣を脱ぎ捨てて、砂地へと飛び出した。
タバコをふかしたり、手ぬぐいを頭に巻いたりしながら、二人はわざと余裕たっぷりの足取りで歩いていたんだけど、四、五歩も進んだかと思うと、声をそろえて、
「こりゃあ、たまらん!」
「おっそろしく熱いぞ、これ!」
 と叫ぶが早いか、「わあーっ!」と叫んで、タバコも何も放り出し、一目散に波打ちぎわへと転がり込んだ。
「さっきの人たちの方が、よっぽど根性あるわよねえ」
「あいつらってさ、口ばっかりなんだから!」
「大っ嫌い!」
 二人の芸者さんは、そんなふうに文句を言い合っていた。

三

「さあ、お父さんにおんぶしな! お前は――」
 と、あるお父さんが子供を背中に負いながら、奥さんに言った。
「あそこまで、その草履を履いていくんだよ」
「あなたも履いていけばいいのに!」
「俺はいいのさ――。さあ、いいか、坊や、しっかりお父さんにつかまっててよ。今から夢中で走り出すからね。おもしろいぞお――」
「いいわねえ、坊や、お馬さんだねえ!」
「それ、いち、にの、さん!」
 と合図の声をかけて、わーっと一目散に走り出した、子供連れの家族がいた。
そっと目を凝らして見ると、砂からは湯気のような陽炎(かげろう)がゆらゆらと燃え上がっていた。
それがまるで乾ききって、ジリジリと反り返っていくかのような、真っ白な砂原だった。
――着がえる小屋の隅では、なんだか変な調子の、せわしない蓄音機(レコードプレーヤー)がジャズの音楽を鳴らしていた。
「ゲット・セット!」
「オン・ゼ・マーク!」
「ドンッ!」
 と口でピストルの音をまねして、パラパラと元気よく走り出していく小学生のグループがいた。
「やめときなよ、草履なんか履いてたら――」
「盗まれちゃうわよ!」
「靴なんて! 泳ぎにくいじゃない」
「今の小学生みたいに、一気にバーッと飛んでいっちゃえば平気よ」
「なんだか怖そうだなあ、あの砂原……」
 そんなことを口々に言い合いながら、準備をしている女学生の一団もいた。
みんなそれぞれ出かけていって、やがてそこには、僕ひとりぼっちり取り残されてしまったんだ。僕は、熱い砂の上! ――そんなふうに、まるで何か苦しいお芝居のなかにいるみたいに、そして、日々の忙しい生活が、この熱い砂の上で悲鳴をあげながら踊り狂っているかのような、果てしなく狂った光景を想像してしまうような、大げさで妄想にとりつかれた状態でぼんやりしていた。

それはともかく、僕もこれから海に入ろうと準備をすませたところだったんだ。だけど、先に行った人たちが焼けた砂を踏みしめていく姿を見ていたら、すっかり臆病風に吹かれてしまい、走り出す勇気をすっかり奪われてしまったような状態だった。
それにしても、こんなに暑い日は滅多にない。
夏の間に、もう二度とないかもしれないくらいだ!
「早くおいでよ!」
「思いきって、そこを飛び越えてさ――」
「そこを駆けてくるお前の姿を見てようっと。」
先に行った連れが手招きしているのを見て、僕はそんなふうに声をかけられるところを心の中で想像していたのだった。

四

「ボートを漕いでおくれ!」
「早く来てよ――」
そう呼ばれたので、僕は思いきって飛び出した。
カツ! とした。
「熱い!」
と叫んで、僕は思わず飛びあがった。
熱い! 熱い! 熱い! とてもじゃないけど、足の裏を地面につけてなんかいられない!
「こいつはたまらない!」
と僕はさらに叫んで、大股でジャンプしてみた。
もう夢中だった。
僕は、ハードル競技の選手みたいに駆けながら飛びあがり、飛び越えながらまた駆け抜けた。
――前の方を見ると、みんながおなかを抱えて笑っている。

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