それじゃあ、これからきみのほうへ出かけよう」
中村係長から捜査本部へ来てほしいという電話だったのです。
明智は話し終わって外出の支度を始めたのですが、三分もたったかと思うころ、卓上電話がまたしてもけたたましく鳴り響きました。
再び受話器を耳にあてますと、それは公衆電話からの聞き覚えのない、妙にしわがれた声でした。
「明智事務所ですね。
先生はいるかね?」
「わたしが明智です。
あなたは?」
「きみがこれから相手にしようという男だよ。
わかるだろうね」
「おや、すばやい挑戦ですね。
きみは察するところ、洞窟の怪老人だね」
「ふん、さすがにわかりが早い。
お察しのとおりだよ。
ところで、きみは命が惜しくないのかね」
「ハハハハハ、脅迫ですか。
そいつはぼくに効き目ありませんよ」
「あくまで戦うというんだね」
「戦うのではない。
きみの秘密を暴くのだよ。
それも、あまり遠いことではない」
「ハハハハハ、鼻息が荒いね。
だが、明智くん、おれはおどかしで言っているんじゃない。
ほんとうにやるんだぜ。
きみはカタワにされてしまうかもしれない。
殺されるかもしれない。
いや、もっと恐ろしいめにあうかもしれない……」「君のような優秀な人物が、この世から消えてしまうのは本当にもったいないからこそ、私は忠告しているんだよ。
どうだ。
明智くん、しばらく手を引いて、様子を見る気はないかね
」
「ハハハハハ、そんなことをいくら言ってみても無駄だよ。
ぼくはいそがしいんだ。
じゃあ、やがてどこかでお目にかかることにしよう
」
そのまま受話器を置こうとすると、相手の恐ろしい呪いの言葉が、爆発するように響いてきました。
「うぬ、後悔するなよ。
地獄の責め苦を見せてやるぞ。
死ぬよりも恐ろしい目にあわせてやるぞ……
」
明智はそれを聞き流し、ニッコリ笑いながら受話器を置きました。
秘密室
明智は電話を切ると、しばらく考えていましたが、やがてデスクの上のベルのボタンを押して、お手伝いさんを呼びました。
そして、
「文代に、ちょっとここへ来るように伝えてくれ」
と、言いつけました。
文代というのは、明智探偵の若い美しい奥さんの名前です。
文代さんは、もと名探偵の助手をつとめていたのですが、『吸血鬼』という事件でいろいろと手柄をたて、その事件が解決したときに明智と結婚したのです。
『虎の牙』の事件でも、怪人二十面相と知恵くらべをして負けなかったほどの、しっかりした人です。
「ご用ですの?」
その文代さんがドアを開けて入ってきて、明智のそばに近づきました。
空色の洋装がよく似合っていて、まゆが濃く、目の大きい美しい人です。
「いよいよ、透明怪人の事件を手がけることにしたよ。
で、これからぼくは警視庁の中村くんのところへ行くのだが、出ようとしていると、透明怪人の首領から電話がかかってきたんだ。
小林くんが言っていた、例の四角いメガネをかけた怪老人だよ」
「まあ、それで、なんて言っていましたの?」
「手を引け。
でないと命があぶないぞ……。
決まり文句さ」
文代さんは名探偵の奥さんですから、そういう怖い話を聞いても、びっくりするようなことはありません。
「でも、相手には目に見えない手下がついていますから、用心なさらないと」
「うん、ぼくも今それを考えていたのさ。
こんどのやつはよほど手ごわいらしいからね。
げんに、こうして話しているあいだにも、透明人間がこの部屋に忍び込んで、立ち聞きをしているかもしれない。
目に見えないやつだから、少しも油断ができないのだよ。
だから、きみとの話もふつうの声ではいけない。
耳を貸しなさい」
文代さんは明智の口のそばへ顔を近づけました。
明智はその耳に何かボソボソとささやきます。
文代さんはうなずきながらその内緒話を聞いているうちに、だんだん真面目な顔になってきました。
何か非常に大切な相談らしいのです。
話し終わると明智が先頭に立って部屋を出ました。
文代さんもそのあとに従います。
階段をおりて奥まった一つの部屋に入りますと、明智はその一方の壁にピッタリと背中をつけて立ちました。
「いいかい、ぼくのあとから入ってくるんだよ。
そうすればいくら透明人間だって、ついてくることはできやしない」
明智探偵は壁の前に立ったまま右手を伸ばして、横にある柱のある場所をグッと押しました。
するとたちまち、不思議なことが起こったのです。
何かヒラヒラとひらめくような感じがしたかと思うと、あっという間に明智の姿がかき消すように見えなくなってしまいました。
しかし、文代さんはそれを見ても少しも驚きません。
自分も同じように壁に背中をつけて立つと、また柱のどこかをグッと押しました。
するとヒラヒラとして、文代さんの姿も見えなくなってしまったのです。
明智探偵は怪老人に負けないで、人間の体を透明にすることを発明したのでしょうか――いや、そうではありません。
そこの壁が「がんどうがえし(回転扉)」になっていたのです。
柱の隠しボタンを押すと電気じかけでクルッと裏がえしになり、その壁にくっついていた人間もいっしょに、向こう側へ隠れてしまうのです。
そしてその中に、だれも知らない秘密室があったのです。
明智探偵と文代さんはその秘密室に入って何をしたのか、わかりません。
それはずっとあとまで読者諸君にも秘密にしておきます。
何をしたのかわかりませんが、二十分ほどするとふたりはまた壁の中から姿をあらわしました。
壁が二度クルクルとまわって、明智と文代さんが出てきたのです。
「では、警視庁に行ってくるからね」
明智探偵はそう言って、部屋を出てゆきました。文代さんはそれを玄関まで見送りました。
名探偵の危難
明智探偵が玄関を出ると、いつも呼んでいる自動車が表で待っていました。
運転手も顔見知りの男です。
明智が客席に腰を下ろして、「警視庁へ」と命じますと、車はすぐに走りだしました。
曲がり角を三つほど曲がりますと、両側に塀が続く、寂しい屋敷町にさしかかります。
その屋敷町を半分ほど通りすぎたとき、突然、すぐ目の前の横町から、一台の自転車が飛びだしてきました。
不思議なことに、その自転車には誰も乗っていないのです。
ただ自転車だけが、ものすごい勢いでパッと飛びだしてきたのです。
運転手は慌ててブレーキを踏みましたが、間に合いません。
明智の自動車は恐ろしい音を立てて、その自転車の横っ腹にぶつかりました。
はねとばされた自転車はパッと宙に飛びあがり、地面におりたときには、フレームも車輪もグニャグニャに曲がっていたのです。
自動車の前部にもひどい傷ができ、どこか機械が傷んだらしく、そのまま動かなくなってしまいました。
明智は自動車が急に止まったために前にのめり、あわや顔をぶつけそうになりましたが、ケガはありません。
運転手は自動車をおりて、自転車の飛びだしてきた横町をのぞきました。
誰も乗っていない自転車がひとりで走ってきたのが、不思議でしかたがなかったからです。
ところが、ますます不思議なことには、その横町には自転車の持ち主らしい人は誰もいません。
コメント