」
「なるほど、それだけ厳重になっていれば、大丈夫でしょう。
あなたの書斎の上げ蓋を、当分開けないことですね。
あいつは、目には見えないけれども、幽霊とはちがって体があるのですから、入り口が閉まっていれば、入ることはできません。
しかし、あいつはなかなか知恵のあるやつですから、どんな計略をめぐらすかわかりませんよ。
うっかり、あいつの手に乗らないことが大切ですね。
」
話がここまで進んだとき、どこかでコトッと、かすかな音がしました。
黒川記者は、ハッとしたようにおぞましい顔つきになって、いきなり椅子から立ち上がり、開いたドアのほうへ飛びついていきました。
まるで気が狂ったようです。
しかし、彼が入り口のところへ駆けつけたときには、ドアがまるでひとりでに動くように、大きな音を立てて閉まってしまいました。
黒川記者はそのとき、「ちくしょうッ。
」と叫んで、まるで誰かに突き飛ばされたように、ヨロヨロと後ずさりましたが、なぜかまだ両手を前に出したまま、何かをつかもうとしています。
見ると、彼の目の前の空間を、一枚の白い紙がヒラヒラと舞い落ちていました。
黒川記者はそれが床に落ちるまでに両手でつかみとり、じっと見ていましたが、また「ちくしょう。
」とつぶやきながら、テーブルのところへ戻り、島田君のお父さんの前にその紙きれを置きました。
そこには、鉛筆の大きな字で、こう書いてありました。
おまえたちが、いま話していたものを、あすの晩、もらいにくる。
時間は九時ときめておく。
空気男
黒川君、いい名をつけてくれてありがとうよ。
地下室
島田少年と、島田君のお父さんと、黒川記者は、その紙きれの恐ろしい文句を読んで、ただ青ざめた顔を見合わせるばかりでした。
もう日が暮れて、室内は真っ暗になっていました。
三人は電灯をつけることさえ忘れていたのです。
「アッ。
」
突然、島田少年がお父さんの腕にすがりつきました。
目の玉がまぶたから飛び出さんばかりに、まん丸に見開いて、部屋の一方をじっと見つめています。
お父さんと黒川記者は驚いて、そのほうを眺めました。
島田君が見つめていたのは、締め切ったガラス窓でした。
それは西洋風の押し上げ窓で、すりガラスがはめてあるのですが、そのすりガラスにぼんやりと人の影が映っていました。
実物の二倍ほどもある大きな横顔が、口を三日月形に開いています。
「エヘヘヘヘ……。
」
あのしわがれた、身の毛もよだつ笑い声が、かすかに聞こえてきました。
笑うたびに、影のくちびるがヘラヘラと動くのです。
ふつうの人間の影ではありません。
透明怪人特有の、うすぼんやりした、幽霊のような影です。
黒川記者はさすがに勇敢でした。
それを見ると「うぬ。
」と叫ぶが早いか、鳥のような早さで窓に飛びついていきました。
そして、押し上げ戸に手をかけると、いきなりガラッと開きました。
しかし、窓の外には何者の姿も見えません。
見えるわけがないのです。
「エヘヘ……。
」
あのいやーな笑い声だけが、暗闇の庭のどこからかただよってきました。
やがて、その笑い声が途絶え、しばらくはシーンと静まりかえっていましたが、突然、
「あすの、晩の、九時をわすれるな。
」と言う、しわがれ声が天から降ってくるように聞こえました。
透明怪人がはじめてものを言ったのです。
なんという不気味な声でしょう。
まるで外国人が日本語をしゃべっているような、まのびしたたどたどしい言葉、妙にしわがれた声――それを聞くと、室内のふたりの大人と一人の少年は、魔法にかかったように立ちすくんだまま、身動きもできなくなってしまいました。
「おじさん、早く、早く、窓を閉めなくちゃ。
」
島田少年が黒川記者にささやきました。
でないと、透明怪人は窓から入ってくるかもしれないからです。
入ってきても、誰にもわからないからです。
黒川記者もなるほどと思ったのか、急いで窓のガラス戸をバタンと閉めました。
すると、またしても、
「エヘヘヘ……。
」と言うあの笑い声が窓ガラスの外から聞こえ、それがだんだん遠ざかるようにかすかになり、やがて、もう聞こえなくなりました。「あいつは地下室の、秘密の入り口を知っているのでしょうか?」
島田君のお父さんが、青ざめた顔で、心配そうに言いました。
「あなたの書斎のじゅうたんの下に、隠し戸があるのでしたね。
あなたは、ここ最近、そこを開けられたことがありますか?」
黒川記者がたずねます。
「つい四、五日前に、真珠塔が無事にあるかどうか確かめるために、地下室に入りました。
月に一度くらいは、金庫を開けて確かめてみるのです」
「ふーん、その四、五日前のときに、あいつがもしあなたのあとにくっついて、地下室に入っていたとしたら……」
「えっ、なんですって?」
島田さんはぎょッとしたように、黒川記者の顔を見つめました。
言われてみれば、相手は目に見えないやつですから、そんなことがなかったとも限りません。
「あすの九時」ではなくて、そのときに、もう盗まれてしまったのではないかと思うと、島田さんは急に不安になってきました。
「調べてみましょう。
あなたもいっしょに来てください。
一郎も来なさい。
三人で入れば、たとえあいつが忍び込もうとしても、防ぐのはわけありません」
「そうですね。
一度確かめておくほうが、いいかもしれませんね」
そこで三人はいそいで書斎に入り、まずドアに中から鍵をかけ、窓もみんなかけがねでしっかり閉めました。
こうしておけば、透明怪人は入ってくることができないからです。
三人が書斎に入ったときには、怪人はとっくに先手を打って、書斎の中に隠れていたかもしれません。
しかし、それを防ぐ手段がありました。
島田さんは椅子をのけ、床にしいてあるじゅうたんをめくり、床板に手をかけてグッと持ち上げました。
床が四角く切り抜かれ、上げ蓋となっているのです。
島田さんはそれをごく少し開き、やっと人間がはいり込めるほどのすきまを作りました。
「さあ、ふたりはこのすきまから入ってください。
私はあとから入ってこれを閉めます。
そうすれば、あいつがすぐそばにいたとしても大丈夫です。
とてもわたしたちに触らないで、入り込むことはできません」
そのとおりにして、三人は床の下に入りました。
上げ蓋をおろすと真っ暗になりましたが、島田さんが床下に仕かけたスイッチを押して、パッと電灯をつけました。
見ると、そこはコンクリートの壁にかこまれた、一メートル四方ほどの箱のような場所です。
足の下もコンクリートで、その一方のすみに六十センチ四方ほどの鉄の板があります。
それが深い地下室への入り口なのです。
箱のような場所は、三人が入るといっぱいになってしまって、首を縮めないと頭がつかえるほど、狭くて窮屈でした。
島田さんは天井の上げ蓋に中から鍵をかけながら、
「どうです、これなら大丈夫でしょう。
ここはわたしたちでいっぱいなのだから、いくら透明怪人でも入るすきがありません。
こうしておいて、それからこの足の下の鉄の戸をひらくのです」
と、得意らしげに言うのでした。
そして鉄の戸を開き、三人が入ってしまうと、また下からその戸に鍵をかけました。
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