初級翻訳・良寛物語 手毬と鉢の子 第28話

新美 南吉

すべてが二十年前とは逆になっているように、良寛さんには思えました。
あの時は、まだ世の中をよく知りませんでした。
大きな希望に胸が膨らんでいました。
今は人の世の様々な苦しみを知ってしまいました。
胸には何の希望もありません。
……
――たくさんのしなければならない仕事があると思って、この道を二十年前に歩いたのだが、自分は果たしてどれだけのことをなしただろうか。
そう思うと、良寛さんは恥ずかしいのです。
「何もわしはしなかった。
世の人のためになるようなことは。」
とつぶやいて、良寛さんは山道の、とある石の上に腰を下ろしました。
――何もしなかったどころか、父上母上に不孝をした。
父上母上は、わしが「学問をして、きっと偉くなります」と申し上げたとき、こんなつまらない雲水坊主で一生を終えるとは思わなかっただろう。
母上は、わしが今にきっと偉い僧侶になると信じながら死んでいかれたのだろう。
父上はきっと、わしが父上の志を継いでいくと思われただろう。
――いや、本当にわしは能なしだ。
こんな能なしは人の世の片隅に、こっそり生かしてもらうより仕方がない。
こっそり片隅に生かしてもらおう。
良寛さんは、陽のさす方へ足をそろえてそっと出しながら、思いにふけっていました。
突然パタパタと雀が二羽、すぐそばへ飛び降りてきました。
そして石の上に置かれた良寛さんの木鉢のふちに、ひょいひょいと飛び移りました。
一羽はふちにとまったまま、もう一羽は木鉢の中に入って、米粒をついばみ始めました。
良寛さんは追い払うこともせず、いつまでもじっと眺めていました。
翌日、海の水平線の上に、小さく浮かんだ佐渡ヶ島が見えました。
いよいよ故郷に来たと、良寛さんは思いました。

十三 五合庵で
年をとった良寛さんは、五合庵という小さな庵に住むことになりました。
その庵は、故郷の出雲崎から少し離れた、国上(くがみ)という山の中腹にありました。
五合庵という名は、どうしてついたのでしょう。
その頃から百年ほど前、万元(まんげん)という偉いお坊さんが、大きな仕事を成し遂げたあと、隠居するためにその庵を建てました。
そして万元和尚は、毎日お米を五合ずついただいて、それだけでその日その日を送ったので、「五合」というのを庵の名にしたのです。
だから五合庵というのは、質素な家ということになります。
その庵に住むことになった良寛さんの生活も、ひどく質素なものでした。
良寛さんは五合庵のことを、自分で詩に詠んでいるのでよく分かります。
それは、こういう意味の詩です。
五合庵は寂しい。
つるした石の楽器のように頼りない。
外は杉ばかり、
壁にかかっているものは詩ばかり。
お釜の中には塵が積もって、
かまどに煙の立たぬ日が多い。
だが東の村には友達がいる、
月夜になると訪ねてくる。
そして、そこで良寛さんはどんなにこっそりと住んだか。
良寛さんの歌を見れば分かります。山かげの石間をつたふこけ水の
   かすかにわれはすみわたるかも

――静かな山かげの、苔むした石を伝って流れる清水のように、わたしは澄みきって、音も立てずに暮らしています、という意味の詩です。
しかし良寛さんは、ただひっそりと生きていただけではありません。静かな生活の中で、いつも勉強を怠らず、自分を磨くことも忘れませんでした。
朝、目が覚めると良寛さんは、庵の裏にある小さな泉へ行き、口をすすいで顔を洗いました。すがすがしい朝です。小鳥の声が拍子木のように森を通り抜け、よく響いています。
それから良寛さんは、海と佐渡ヶ島が見える場所まで歩いていきました。木々の間から海が銀色にきらめいて見えます。そしてその向こうには、なつかしい緑色の佐渡ヶ島が浮かんでいました。
「お母さん、おはようございます」
そんな心持ちで、良寛さんは佐渡の方角へ頭を下げました。この頃の良寛さんにとって、お母さんが生まれ、少女時代を過ごした佐渡ヶ島は、まるでお母さんその人を見るかのように、懐かしくてたまらない場所になっていたのです。
それから良寛さんは、少し向きを変えて南西を向きました。そして、丁寧に頭を下げました。いくつもの山や川、そして幾重にも重なる雲の奥に、天皇さまがいらっしゃる皇居があるからです。そして京都は、天皇をお守りする志を遂げられず、悔しさの中で亡くなったお父さんの、最後の場所でもありました。
太陽もだいぶ高くのぼったようです。藪の中へ光が差し込み、明るくなってきました。良寛さんは庵に戻ると、米びつの蓋を開けてみました。托鉢でいただいてきたお米が、底に少しだけ散らばっています。びつを傾けて端に寄せてみると、まだ二日分くらいはあることがわかりました。
良寛さんは、小さな土鍋に米を研いで入れ、かまどにかけました。燃やすものも、良寛さんが自分で拾い集めてきた松葉や枯れ芝です。良寛さんはそれを少しずつ、ゆっくりとかまどの中へ入れてやります。ちょうどウサギに草を食べさせるような手つきです。良寛さんは、こんなひとときが好きでした。燃えるとき、松葉はよい香りを放ち、その炎もなんだか他の何よりも美しく見える気がするのです。
こうしていると、ついこの静かで満ち足りた自分の生活を、詩や歌にして歌いたくなってきます。

お金がほしい、ご馳走がほしいとは
思わないので心は満足だ。
あれがほしい、これがほしいと思えば
きりがなく、最後には苦しくなるだけ。
粗末な食べ物でも
お腹はいっぱいになる。
粗末な衣でも私は
これで十分に足りている。
寂しければ山に入って
鹿たちと遊ぼう。
また村に下りていって
子供たちと一緒に歌を歌おう。
ときどき泉の水で
耳を洗うのだ。
すると松風の音は
いっそうすがすがしく聞こえるよ。

こんな意味の詩が、ご飯の炊けるまでの間に、良寛さんの頭の中でちゃんと出来上がっていました。
ご飯は炊けましたが、蒸らすためにしばらくそのままにしておかなくてはなりません。良寛さんは何をするでもなく、庭へ出ていきました。あちこち眺め回していた良寛さんは、ふと縁の下にタケノコが生えているのを見つけました。竹藪の根がそこまで伸びてきて、その端から芽を出したタケノコなのでしょう。
良寛さんはこのタケノコを見ていると、いつか川のほとりで見たバッタのことを思い出して、おかしくなりました。そのバッタは良寛さんの足元から、ぴょいぴょいと跳ねていました。どうやら跳ぶことが得意だったようです。そして最後には跳びすぎて、川の中へ落ちてしまいました。それでもバッタは必死に跳ぼうとしていました。バッタには水と草の区別がつかなかったのでしょう。しかし、水の上ではいくら蹴ってもどうにもなりません。バッタはとうとう流されていってしまったのでした。
きっとこのタケノコも、土の中をもぐることが得意だったのでしょう。「お母さんの竹が、そんなにそっちへ行っちゃダメだよ」と止めても、聞かなかったのかもしれません。そしてとうとう、こんなところに芽を出してしまいました。もう先端が縁側に届いています。今になってタケノコは、水の上にちょこんと落ちたバッタみたいに驚いていることでしょう。
おかしくて一人で笑いながら、良寛さんは庵に入りました。

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