さいごには食堂をかけぬけて、ベッドの売場から洋服ダンスのならんでいるところへ逃げこみ、そのかげで着ているものをすっかりぬぎすてて、もとの透明な姿になることで、追手につかまるのをなんとかのがれたんだよ」
「やれやれ、大苦労をしたものだね……」
「こんなわけで、せっかく手にいれた服はすっかりぬぎすててしまったから、ぼくはまたもやはだかのままで、ふたたび雪のふる街へさまよいでなくてはならなくなってしまった。
ぼくはデパートをそっとしのびでると、くやしくてむやみに腹がたってたまらなかった。
しかし、いくら腹をたててみたところでどうにもなるわけはなく、ぼくはまえと同じように、寒さと空腹になやみはじめたのさ」
「けっきょく、おなかをすかせた上に、たっぷり眠れたというだけだったわけだね。
それでも、あたたかいところで眠れたのだからいいではないか……」
「ちっともよくなんかないよ。
ぼくが一番のぞんでいるのは、とにかく服を手にいれることなんだ。
服を身につけ、帽子をかぶり、マスクでもつければ、どうやら人前をごまかして、ふつうに暮らしていけるんじゃないかと思ったんだ。
ぼくはついに、ロンドンのはずれのうすぎたない横町にある古着屋にしのびこんで、ほしい物を手に入れ、できればお金もついでにいただいてやろうと考えたのさ」
「古着屋で、お金まで手に入れるというのかい?」
「そうだ。
この古着屋でも、いくども見つかりそうになって、ひやひやさせられたよ。
そこのおやじというのが実にかわった男でね、おそろしく耳がするどくて、ぼくのかすかな足音を聞きつけると、『どうもようすが怪しい、だれかこの家にしのびこんでいるにちがいない』とひとり言をつぶやきながら、ピストルを片手に家中をぐるぐるまわりはじめたんだ。
おかげでぼくは、目のまえに山の古着がありながら、どうすることもできなかったのさ」
透明人間は、その男のことを思い出したのか、急にいらいらした口ぶりになって続けました。
「ほんとうにいやな男だったよ。
うたがい深いうえにおく病で、しまいには家じゅうのドアというドア、窓という窓に、かぎをかけはじめたんだ。
ぼくがどこからも逃げることができないようにしておいて、あわよくばピストルで射ちとろうとしたのさ。
ぼくはそのことを知ると、かっとなってしまった。
こんなやつにピストルで射たれてたまるものか! ぼくはちょうど階段をおりかけていたおやじのうしろに忍びよると、いきなり古いすをふりあげて、やつの頭をちからまかせになぐりつけてやったんだ」
「頭をなぐったってだって!? なんてらんぼうなことをするんだ。
古着屋のおやじさんは、きみになぐられるようなことを何もしていないじゃないか……よく考えてみたまえよ」
「別に、はじめかららんぼうする気なんてなかったんだ。
ただ、ぼくはその古着屋で服をきて、自分のすがたをととのえなくては困るんだ。
それなのに、おやじはぼくを追いまわしてピストルで射つつもりでいるんだからさ……。
ぼくだって追いつめられて、心ならずもらんぼうをはたらくしかなかったというわけさ。
おやじは一言も物もいわずにその場にたおれたので、すぐそばにあった古着でぐるぐるまきにしばりあげて、口にはさるぐつわをかませてやった。
そして、ぼくは手ばやく服を身につけ、だいどころにいって、たらふくパンとチーズをたべ、コーヒーをのんでから、帽子をまぶかにかぶり、マスクをつけた。
ちょっと見たぐらいでは、だれもぼくが透明人間だとは気づかないように身じたくをととのえて、ゆうゆうとその古着屋をでてきたのさ」
「で、きみはおやじさんをそのまま、たおれたほうりっぱなしにして逃げてきたのかい?」
博士は顔いろをかえてさけびました。
すると透明人間はおちつきはらったようすで、こう言いました。
「もちろんなさ。
あとでやつは、さんざん苦心して自分の手で自由の体になっただろうさ。
そうとうきつくしばってやったからな」
博士はしばらく思いなやんでいるようすで、青ざめた顔をうつむけて考えこんでいましたが、やがて、
「それできみは、やっとふつうの人なみの生活ができるようになったんだね」
と、ほそい声でききました。
「いや、それがちがうんだ。人目の多いロンドンでは、やっぱりうまくはいかなかったよ。
食事をしようと思えば、どうしても透明なぼくの顔を、食堂の給仕人やほかの客の目にさらさないかぎり、肉のひときれだって口にいれることができないんだからね。
透明人間なんてものは……ほんとうに情けなくて、どうしようもないものなのさ」人目をおそれて、いつもびくびくしながら暮らさなくてはならないんだからね」
「で、アイピング村へは、どうしていったのだい?」
「研究をつづけたくていったんだよ」
「研究をつづけるためにだって? だってきみの研究は完成して、望みどおり透明になったじゃないか……」
「しかし、きみ、考えてくれたまえ。
体が透明になったおかげで、ぼくはほかの人間が持つことのできない力をもつことができるようになった。
だが、そのかわり、ぼくは何もかも失ってしまったんだ。
科学者として名をあげてみても、ぼくの姿がみえないのでは、どうにもしようがないだろう。
あたたかい家庭をつくって楽しく暮らすことも、友だちとゆかいに話しあうことも、永久にできなくなったのだ。
ぼくはたったひとりぽっちで暮らすほかはなくなったのだ。
ただ、たったひとつの望みは、もとの体にかえることができる薬を発見したいということなんだ。
その研究のために、しずかなアイピング村へいったわけだよ」
「なるほど、そんなわけだったのか……」
博士は、ナイト・ガウンの化けもののような透明人間をみつめた。
そこに友人のグリッフィンがいる。
かれはながい間、胸にたまっていた思いをケンプ博士にうちあけて、ほっとしたのか、ゆったりといすに腰かけて、たばこに火をつけた。
悪魔と天使
「ところで、きみはこれから、どうするつもりだい? なんのために、このバードック町にやってきたんだ?」
はじめに下宿で放火、つぎに、古着屋でおそろしい殺人をやりかけている。
よくもわずかの間に、とんでもないことを仕出かしたものだと、むかしの友人のかわりはてた異様なすがたをながめながら、ケンプ博士がたずねた。
「うん。
ぼくがここにきたのは、国外にのがれたかったからさ。
はだかで暮らすのには、イギリスはまだ、寒すぎるよ。
洋服をきればすぐ人にあやしまれて、追いまわされるし、ぼくは、もっと暖かい地方へいってしまいたいと思って、この港町へきたのだ」
「それで?」
「ここからは、フランス行きの便船がでる。
フランスへわたり、汽車でスペインへいって、そこからアフリカのアルジェリアへいくつもりだ。
アルジェリアなら、姿をけしてはだかで暮らしても、いっこう寒くはないだろうからね」
「アフリカにいくのか?」
「そうだ。
ぼくの秘密がしれてしまったからには、もう、どうしようもない……。
ところが、それには、ぼくひとりではやれないのだ。
ぼくが荷物をもって歩くわけにはいかない。
そうすると、このまえの金貨が空中をとぶような騒ぎになって、すぐ、大さわぎになってしまうんだ。
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