初級翻訳・サーカスの怪人 第19話

サーカスの怪人

あなたの部下の腹話術師と、運転手と、炭焼きに化けた男は捕らえられ、地下室に閉じ込められていた本物の笠原さんと正一君は助け出されました。おっと、ピストルなら、こちらのほうが早いですよ。それに、きみは人を殺すのは嫌いなはずだったじゃありませんか」
明智は素早くポケットから小型の黒いピストルを取り出し、膝の上で笠原のほうへ向けました。笠原は、追い詰められた獣のような顔で、じっと明智を睨み返していました。ピストルを出そうとしたものの先手を打たれたため、ポケットに入れた手をそのままにして、不気味な笑い声を立てました。
「ウフフフフ……さすがは名探偵だねえ。よくもそこまで調べが届いた。それにしても、小林というちんぴらは実にすばしっこいやつだ。おれもあの子どもが女中に化けているとは、少しも気がつかなかったよ。ところで明智君、おれをどうしようというのだね。証拠がなくては、どうすることもできないじゃないか」
笠原はふてぶてしく、そらとぼけて見せるのでした。
「証拠なら、お目にかけるとしましょう。ちょっと女中さんを呼んでくれたまえ」女中さんが来ると、明智は玄関の外で待っている人物を呼んでくるように頼みました。
しばらくして、女中さんの案内で一人の老人が応接室に入ってきました。
きちんとした新しい背広を着ていますが、やせ衰えた顔は、あの地下室に閉じ込められていた老人に違いありません。
老人は一年間もあの地下室に閉じ込められていたので、すっかり痩せて年寄りのように見えますが、実はここにいる笠原と同じくらいの年齢で、もともとはふっくらとした体つきだったのです。

「笠原君、そこに来られたのが、グランド・サーカスの本当の持ち主である笠原太郎さんだよ。そしてそちらの笠原さん。一年のあいだ、あなたに化けていたのはこの男です」

明智が奇妙な紹介をしました。
本当の笠原さんは、つかつかとテーブルのそばに歩み寄り、偽の笠原はすっくと椅子から立ち上がって、真正面からにらみ合いました。
たっぷり二分間ほど、ふたりとも顔を真っ青にして体をぶるぶると震わせながら、にらみ合っていました。

「ああ、明智さん、私には思い出せません。十五年前の遠藤平吉は、こんな顔ではなかった。しかし、こいつは変装の名人だから、どんな顔にでもなれるのでしょう。いまのこいつの顔は、一年まえの私とそっくりです」

本当の笠原さんが、しわがれ声で言います。

「私は昨日、明智さんにいろいろと話を聞いているうちに、やっと思い出しました。私をこんなひどい目に遭わせるやつは、遠藤平吉のほかにはいない。遠藤と私とは、青年時代にグランド・サーカスの曲芸師だった。ところが、私がグランド・サーカス団長の二代目をゆずられたので、遠藤はひどく私をうらんで、サーカスを飛び出してしまった。いや、そればかりではない。私は三年まえに、遠藤が悪いことをして警察につかまったときに証人となり、こいつがやったに違いないと申したてたことがある。遠藤は、それをまたうらんだ。それで、こいつは私を滅ぼしてしまおうとしたのだ。私ばかりではない、私の子どもまでひどい目に遭わせて、私を苦しめたのだ」

本当の笠原さんはそこまで一気にしゃべると、少し口をつぐみました。代わって明智が立ち上がりました。

「きみの本名が遠藤平吉ということは、ぼくも三年まえに聞いた。しかし、いまのきみには数え切れないほどの名前がある。顔もその時々でまったく違ってしまう。きみは二十の顔を、いや、四十の顔を持っているのだッ!」

そう言って、明智探偵は真っ向から偽笠原の顔に人差し指を突きつけました。

「おい、二十面相! それとも四十面相と呼んだほうが、お気に召すかな。いずれにしても、とうとうきみの運の尽きがきたのだ。この家のまわりは二十人の警官に取り囲まれている。きみは絶対に逃げ出すことができないのだ!」

名探偵と二十面相

「きみは笠原さんに深いうらみがあったので、グランド・サーカスが一番さかんになったときを見すまして、いよいよ復讐をはじめたのだ。しかし、きみの目的はそればかりじゃなかったね」

明智探偵が怖い顔で二十面相をにらみつけました。すると二十面相は、ふてぶてしく笑いながら言いました。

「アハハハハ……もちろんさ。おれの目的はほかにあった。おれには笠原よりも憎い奴がいる。誰だと思うね? 言うまでもない、きみだよ。明智小五郎だよ」

笑い顔がパッと変わって、恐ろしい表情になりました。二十面相はギリギリと歯ぎしりをしています。

「おれはきみのために、数え切れないほどひどい目に遭っている。いつでもきみが邪魔をするのだ。そして、おれは牢屋につながれる。だがね、明智君。おれには牢屋の鉄格子なんかないも同然だ。ゆうゆうと牢屋を抜け出すのさ。なんのためだと思うね? ほかでもない、きみに復讐がしたいからさ。きみをアッと言わせて、降参させてやりたいからさ。わかったかね、明智君。こんどの骸骨男も、本当はきみが相手だった。むろんおれは人殺しは嫌いだ。あの射撃場の事件でも、本当に正一を殺す気はなかった。きみに腕試しをさせてやったのさ。もしきみがぼんくらで、あのときおれを止めに来なかったら、おれはわざと狙いを外して撃つつもりだったよ。ウフフフフ……それとも知らずに、きみは慌てふためいて射撃場へやってきたね」

それを聞いて、明智はニコニコと笑いました。

「そうだったのか。それほどきみは、ぼくと知恵比べがやりたいのだね」「それなら、知恵比べは今だ。きみはここから逃げられるかな? 逃げ出す知恵があるか?」
「この部屋には、ぼくと笠原さんがいる。きみはひとりだ。それにこれを見たまえ、ぼくはちゃんとピストルを持っている。そして、この家のまわりは二十人の警官が取り囲んでいるのだ。いや、そればかりじゃない。ぼくのほうには、もっと奥の手がある。どんな奥の手かは今は言えないがね。どうだ、きみの知恵でこの包囲網を破って逃げ出すことができるかな?」

「ウフフフフ……おい、明智君。きみは勝ち誇ったような顔をしているね。だが、大丈夫かい? きみのほうに奥の手があれば、おれにだって奥の手がないはずはないよ。たとえば、この西洋館だ。きみたちは、事件が起こってから急いでこの家を買ったと思っているだろうが、そうじゃない。ここはずっと前からおれのかくれ家の一つなんだ。でなければ、二階の窓の鉄格子が蝶番(ちょうつがい)で開いたり、屋根に人間が隠れる穴があったりするはずがないじゃないか。ウフフフフ……どうやら、少しばかり気味が悪くなってきたらしいね。そうだよ、この家にはどんな仕掛けがあるか分からないのだよ。用心したまえ。おい、明智君、なんだか顔色がよくないじゃないか」

二十面相はあくまで人を食った態度です。しかし、明智は平気なものです。明智は二十面相の秘密をすっかり知っているからです。
「で、その秘密の仕掛けを使って逃げるというのかね。

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