あまりにも図太いやり方である。
左門の言葉は、決して言い過ぎていたわけではないはずだ。
道理にかなった言葉だったはずである。
あてつけ気味の皮肉な語調があったにしても、左門が抱えていた鬱憤に比べれば、むしろあまりにも控えめすぎたのだ。
他巳吉は、文子を「ずべ(不良娘)」と呼んだではないか。
「裸にして松の木に逆さ吊りにしてやるぞ」と、廊下をのしのし歩きながら喚いたではないか。
その数々のひどい侮辱に比べれば、左門が他巳吉に言った程度の皮肉など、取るに足りないことだった。
他巳吉の言葉こそ、直接厳しくたしなめられて当然の無礼の数々だったはずだ。
そう思えば、他巳吉こそまずは自らを省みて反省すべきであり、左門の皮肉に怒りを燃やす理由などどこにもない。
それなのに、あたかも道理は自分にあるかのような嫌味な態度で左門を訪ねてこなくなったというのは、あまりに憎たらしいやり方だった。
何よりも、他巳吉のふてぶてしい強情さに腹が立つ。
年寄りは頑固なものだとは言うけれど、自分の考えに固執して、人の言葉に耳を貸さない強情さが憎たらしい。
いやらしくもある。
あまりにあくどくて、その生々しさが耐えがたい。
「とにかく、なんだね。売物買物の商売女と、素人の女は、心掛けも振る舞いも違っていなければならないものだ」と、他巳吉は何かと言えば、同じことを繰り返すのだ。
それは単なる理屈にすぎなかった。
一般的な常識で物事を見るのと、温かい思いやりを持って見るのとでは、自ずと違っていなければならないはずだ。
言ってみれば、理屈とは死んだ物である。
たまたま理屈が実生活で役に立つのは、温かい思いやりを通した上でこそなのに、他巳吉はあくまで理屈にこだわり、親しかった一人の弱い女の特殊な事情に、思いやりを向けようとはしないのだ。
赤の他人の話とは違う。
親しかったか弱い女の、人生の浮き沈みに関する話だったのだ。
それはもう、年寄りの強情だけのせいではない。
憎むべき太々しさ。
そして、憎むべき冷酷さ。
他人に対して示す残忍で無残な冷たさと、自分勝手さがあるだけなのだ。
――結局は、金貸しの根性だ。
……左門は、そこまで思わずにはいられなかった。
貧しい人々の生血を吸って数万円の富を残した、血も涙もない根性が、ここにもやはり息づいているのだ。
冷鬼(れいき)の心が。
血も涙もない督促をして、病人の着物さえ剥ぎ取って持ち去っていく金貸しは、自分の行為を正当化する理屈を持っているだろう。
それと全く同じように、文子の場合も、他巳吉は自分なりの理屈を持っているのだった。
「身から出た錆だ。自業自得というものだ」と。
「娘にダンスを習わせるような馬鹿な親父が、この世に二人といるものか」と。
おそらく他巳吉は、あちこちで言いふらしているだろう。
そして、あの巨体を揺らしながら、笑い転げているに違いない。
「悪いのはダンスの奴だ。人はひとりも悪くないね」と、鼻歌を口ずさむように、他巳吉は言った。
言うまでもなく、その言葉の裏には、文子に踊りを勧めた左門を嘲笑する、あくどい毒が隠されていた。
それが、彼らの最後の会話だった。
その翌日から、他巳吉の訪れは途絶えたのだ。
その言葉の中に、他巳吉の毒のすべてが、生々しく語られているではないか。
しかし左門の怒りには、怒りだけでは満たされない寂しさが、常について回り、より深まっていくのだった。
取り残された孤独の思いが、怒りの裏側で休みなく駆け巡り、どこまでも底なしの穴へ落ちていくような感覚を抱かせずにはいられないのだった。
あの卓一も、憎かった。
電話を一本かけただけで、その後は音沙汰なしである。
若者には生き生きとした希望の国が開けているから、老人の寂しさなど気に留める余地はないのかもしれないが、それにしても思いやりがなさすぎるのだ。
尋常一様ではない事態のはずだった。
叔父である自分の、たった一人の娘が行方不明なのだ。
取り残された叔父は、行方不明の娘のほかに語るべき家族さえいない、孤独と老いの身ではないか。
日々の親しい訪問は、迫りくる死の足音を聞くようなものだった。
寂しさと不安を紛らわせる友が、迫りくる死の足音でありえるだろうか。
卓一のほかに親しい身寄りがないことを、彼が知らないはずはなかったのだ。
それすらも思いやれない卓一なら、彼の心もまた、他巳吉と同じ冷鬼の心にほかならない。
他巳吉の訪れが絶えてから、数日が過ぎた。
左門は、いっそのこと金井朝雲(かないちょううん)を訪ねていって、文子の事情を洗いざらい語っておくのがよいのではないかと考えた。
しかし、それもまだ早い。
できれば隠しておきたかった。
文子に傷をつけたくなかったからだ。
そして、どうしても決断がつかないのだった。一日、昼食を終えた左門は、どうしようもない寂しさに耐えかねて外へ出た。
活動写真館もある。図書館もある。昔からの古い友人も、いないわけではない。
しかし、そこへ行ったところで、果たして心が慰められるだろうか。
そう思うと、ますます心が重くなるばかりだった。
むしろ、自分の抱える寂しさと似た面影を持つ人――左門は野々宮を訪ねてみようと思い立った。
その野々宮が、文子に対してあまり良い感情を抱いていないことは分かっていたが、不思議と左門はそれが気にならなかった。
野々宮の、憂いに満ちた笑顔を思い出すと、心がいくらか温かくなるような気がしたからだ。
野々宮は、相変わらず二つの伝記の執筆に没頭していた。
「温泉にでも浸かりながら、のんびりと仕事をしたいのですが、文献を調べる都合があって、そうもいかないのです」
彼は笑いに紛らわせてそう言ったが、その顔色は黄色と青を混ぜ合わせたような濁った色で、目も濁り、顔中には疲労の小じわが深く刻まれていた。
催眠薬の飲みすぎもあったのだろう。その衰えは誰の目にも明らかだった。
野々宮の机の上には、彼が書いている伝記の主たちの写真が二枚飾られていた。
「伝記の仕事をしていると、奇妙に懐かしくなるのです。その人の持ち物などを見せられると、まるで血の通った実物を見たかのような、不思議な懐かしさを覚えるのですよ。自分の父の墓参りに行く気力すらないくせに、伝記の主のこととなると、進んで墓参りに出かけたくなるような気持ちになるのです」
自分も死んだら、この人に伝記を書いてもらいたい――左門はふと、そんなことを思いついた。
しかし、すぐに気がついて苦笑した。伝記に残すような立派な業績など、自分には何一つないのだ。
ましてや、死がもたらす人生の虚無を感じ、虚無へ帰ることにさえ一分の安らぎを感じているはずの自分である。もともと、伝記などというものとは縁遠い存在だったのだ。
――ただ、野々宮の言葉の中に、そうした思いを呼び起こすような懐かしい響きがあったのだろう。
まるで青春時代の思い出のような、若々しい懐かしさを自分は感じていたらしい。そう思うと、そのことが左門には安らかな感傷として胸に響いた。
左門は文子と高梨のその後の事情を、野々宮に語った。
「高梨が噂通りの悪者だったとしても、そのことだけで文子を責めることはできないと私は思っているのです。
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