ああ、青、青……」
多助は、まるで人間の兄弟や奉公人に語りかけるように馬に言い聞かせ、その顔を撫で回しました。あまりの辛さに、多助は袖で顔を覆って、おいおいと泣き出しました。すると、多助の真心が馬にも伝わったのでしょうか。馬も名残を惜しむかのように首を垂れ、悲しげに鳴き声を上げました。その目からこぼれ落ちた涙が、雨のようにパラパラと砂原に落ちるのを見て、多助はなおさら悲しくなりました。
「おお、青。お前も泣いてくれるのか。ありがたい。畜生でさえ恩義を知り、別れを惜しんで泣いてくれるというのに、それに引き換え、女房のおえいは獣にも劣る人非人だ。現に亭主の俺を殺そうとしているんだからな。いいか青、俺がいなくなれば、きっと原の父子(おやこ)が塩原の家に乗り込んでくるはずだ。そうすれば家は潰れてしまうだろう。お前には辛い思いをさせるが、何卒俺が帰るまで、あの家で耐えていてくれよ。頼む、頼む」
そう言いながら出発しようとすると、馬が多助の履いている草鞋(わらじ)の紐を踏み、袖を噛んで行かせまいとします。
「ああ、まだ引き止めるのか。俺だって別れたくはない。だが、いたくてもいられないんだ。そこを離してくれよ。頼む、頼む」
多助は、断腸の思いでその別れを無理やり振り切りました。泣きながら一目散に駆け出し、城下町まで三里(約12キロ)ほどの道を走りました。ここからは山越えの道です。旅の支度金は、たったの六百文しかありません。当時は今のように道が整備されておらず、白井八崎の難所を越え、ようやく岩上という場所へ差し掛かると、辺りが白々と明けてきました。
この場所には利根川の支流があり、川辺には松の木が五、六本生え、用水が流れていました。今では茶屋が建ち、県庁の用水路となっていますが、当時は非常に寂しい場所で、水は岩間に当たってドウードッと激しく流れていました。松の木のそばには、青面金剛(しょうめんこんごう)という神様を彫った石仏が建っていました。そこへ、二人連れの男が雨合羽(あまがっぱ)を羽織り、脚半(きゃはん)に草鞋(わらじ)という旅の身なりで、荷物をそばに置いて、火打ち石で盛んに煙草を吸っていました。通りかかった多助は、その二人を見かけて声をかけました。
「すみません、少々お尋ねしたいのですが」
「なんだい?」
「ええ、前橋という所へ行くには、どちらへ向かえばよろしいでしょうか」
「前橋か。それならここをそのまままっすぐ行って、突き当たったら左へ曲がれ。また突き当たると向こうに橋が見えるから、それを渡ればすぐそこだ」
「はい、ありがとうございます。ではお先に失礼します」
多助が礼を言って歩き出そうとすると、男が呼び止めました。
「おい、待て待て。お前は沼田の下新田の多助だな?」
「はあ、どなたさまでしょうか?」
そう尋ねると、その男はかぶっていた笠を取りました。多助はすぐには気づきませんでしたが、よく見れば、昨年塩原の家へ無理難題を言いにやってきた連れの小平と、もう一人は継立(つぎたて)の仁助という、旅先で悪事を働く二人組でした。多助が驚いて立ちすくんでいると、小平が言いました。
「いいところで会ったな」
「勘弁してやってください」
「去年、お前の家へ押しかけて失敗したから、お母(おかあ)もひどく悔しがっているんだ。お前がおえいと墓参りに行った帰り道で、おえいをさらおうとしたら、侍が邪魔に入って結局それも失敗した。悔しくてたまらねえ。さあ、お前は前橋へ買い物に行くんだろう? 三百石の田地を持つ大尽(だいじん)だから、いくらか金も持っているはずだ。身ぐるみを剥いで置いていけ」
「いいえ、買い物に行くのではありません。おえいも心得違いをしており、私も家にいられなくなって、母親に追い出されたのです。わずか六百文の路銀を持って、江戸へ奉公に出る身なのです。着物一枚でも取られては困りますから、どうかお勘弁してください」
「嘘をつけ! 三百石の田地持ちが、六百文ばかりの端金(はしたがね)で江戸に行けるはずがねえ。さあ、ぐずぐずしていると斬るぞ。仁助、縛っちまえ!」
「兄貴がそう言うなら仕方ねえ。さっさと裸になって置いていけ。出さずにぐずぐずしてると殺すぞ。泣き顔を見せるんじゃねえ」
仁助はそう言いながら、ヒラリと長い刀を抜き放ち、ズブリと草原へ突き立てました。
「どうかお願いします、命だけは助けてください。殺されてしまったら、私を育ててくれた家へ恩返しをすることができません。私はこれから江戸へ出て辛抱し、国へ帰って塩原の家に恩返しをしなければ、亡くなった父様に対して申し訳が立たないのです。どうかお許しください!」
多助は泣きながら両手を合わせて拝みましたが、小平は吐き捨てるように言いました。
「おい、縁起が悪いな。神様や仏様じゃあるまいし、拝んでんじゃねえ!」
小平は草鞋を履いた足を振り上げ、多助が手を合わせて拝んでいるその手と胸の間に足をねじ込み、ドウンと蹴倒しました。ひっくり返った多助を土足で踏みつけ、片方の手に刀を構えて、「金を出さねえと殺すぞ」と脅します。多助は絶体絶命の危機に陥りました。
これほど善良な人間が、家では母親や女房に命を狙われてようやく逃げ出してきたというのに、道中でまた悪党に捕まり、こんなひどい目に遭うとは……。神も仏もないのでしょうか。あまりにも不憫でなりません。
これより多助の運命がどうなるのか、続きは次回のお楽しみといたしましょう。
(九)
さて、続いての人情噺というものは、とかく退屈しがちなものでございます。草双紙(くさぞうし)でも芝居でも、善人がいれば悪人がいて、善人が悪人のために苦しめられ、最後には善人が栄えて悪人が滅び、失くした宝物が見つかって、愛し合う二人が夫婦になる――どの物語も同じような展開でございますね。
「善と悪は二つあるのではなく、実は一つなのだ」とおっしゃる方もおりますが、その「一つ」とは形のない無形のもの。では、善の心がどうして悪に染まってしまうのか。ある物知りな方が講釈(こうしゃく)でこう説いていました。
「手短に言えば、月に雲がかかるようなものだ」。これは私(圓朝)にもよくわかります。
人が何も考えずにいるときの心は、冴えわたる月のように清らかで晴れ晴れとしています。ところが、煩悩(ぼんのう)という雲がかかり、心の月を曇らせてしまうのです。
たとえば、向こうで誰かがヒラヒラと青い札(お札)を数えているのを見て、「おや、大層金を持っているな」と思うと、欲深さという雲が出てきて心の月を覆い、暗くなります。「ああ、欲しいな」と思うだけならまだしも、「どうにかしてあいつを殺して奪ってやりたい」などと思えば、ポツリポツリと雨が降ってきて、辺りは真の闇に包まれます。
また、ふと気づいて「ああ、悪いことをした。こんなことは二度と思うまい」と反省すれば、煩悩の雲がスッと切れて、再び光り輝く月が現れるのです。
また、向こうから駒下駄の音がして、赤縮緬(ちりめん)の褌(ふんどし)が見えると、今度は「助平(すけべえ)」という雲が出てくる。
「あれは誰だろう? お嬢様か娘か。口説いてみようか。
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