初級翻訳・日本の伝説 第41話

日本の伝説

昔、この近所にあたお寺の田んぼを、農家の人がなまけて耕してくれないので困っていると、こちらも小僧さんが現れて、馬の鼻を取って助けてくれたと言われているのです。
どういうわけか、この阿弥陀如来さまは、唇が開いていて歯が見える、ちょっと珍しい顔の仏さまなので、「歯ふき仏」とも呼ばれているそうですよ。
(同上。
東京都八王子市子安)
 駿河の宇都谷峠の下にある地蔵尊は、聖徳太子の作だと言われているのに、こちらも「鼻取地蔵」という別名がありました。
かつて榛原郡の農家で、牛の鼻取りをして手伝ってくれたということで、願い事のある人が鎌を持って来てお供えしたのは、お地蔵さまが農業を好きだと思っていたからでしょう。
ある時はまた、日光山のお寺の、そうめんを食べる行事に出かけていって、もりもりそうめんを食べたと言い伝えられており、「そうめん地蔵」という名前も持っていたそうです。
(駿国雑志。
静岡県安倍郡長田村宇都谷)
 鼻取りというのは、六尺(約一メートル八センチ)ほどの棒のことです。
牛や馬を使って田んぼを耕す時に、この棒を口のところにつないで引き回すのです。
今ではそれを使う農家も、東北の方でだんだん少なくなってきましたが、田植えの前のすごく忙しい時に、昔はこの鼻取りに別の人手が必要だったので、しかたなく子どもがその役をやらされることが多く、うまくできなくてよく叱られていました。
お地蔵さまが手伝いに来て、わざわざそんな仕事をしてくださるというのは、いかにも子どもらしい夢のあるお話ですね。
昔はこうした手綱の棒もなしに、直接牛や馬の鼻の綱をつかんでいたので、子どもたちにとってはかなりつらい仕事でしたが、もともと牛や馬を田んぼの仕事に使うということは、東日本ではそんなに昔からのことではありません。
だから、これなども新しく生まれた伝説なのです。
石城の長友にある長隆寺の鼻取地蔵などは、ある農夫が代掻き(代かき)の時に、鼻取りをしている子どもをひどく叱っていると、どこからともなく別の子どもがやって来て、その代わりをしてくれ、それがその農夫の大層気に入りましした。
後でお礼をしようと思って探してみたけれど見当たりません。
お寺のお堂の床板を見ると、小さな泥の足跡がついていました。
「さては、お地蔵さまが子どもの叱られるのをかわいそうに思って、代わりに鼻取りを務めてくださったのだな」と、後になって分かり、ありがたく感謝したというお話です。
このお地蔵さまは安阿弥(あんあみ)という名人の作で、今では国宝になっている大切なお像です。
(郷土研究一編。
福島県石城郡大浦村長友)
 また、福島の町の近くにある、腰浜の天満宮の隣りのお地蔵さまにも同じお話があって、そのお堂の名前を「鼻取庵」と言っていました。
こちらも子どもに化けて田んぼに水を引き、馬の鼻をとって引き回して手伝ってくれたのです。
お昼ご飯の時に連れて来てごちそうしようと思って、田んぼからあがってあちこち探したけれど見つかりません。
探し回ってお堂の中に入ってみると、お地蔵さまの足に田んぼの泥がついていたということなのです。
(信達一統志。
福島県福島市腰浜)
 登米の新井田という村では、昔、隣りの郡から分家して来た人が、七観音さまとお地蔵さまとをご神体として持って来て、屋敷にお堂を建ててていねいにおまつりしていました。
村の人たちもお参りして拝んでいましたが、農作業が忙しい時期には、時々、見たこともない子どもがやって来て、あちこちの家の鼻取りの手伝いをしてくれることがあり、村のみんなはそれがこのお地蔵さまだと思っていて、「代掻地蔵」と呼んで今でも拝んでいます。
(登米郡史。
宮城県登米郡宝江村新井田)
 それから、安積郡の鍋山の地蔵さまも、よく農業の手伝いをしてくださるという話があって、わざわざこの村を開墾する時に、隣りの野田山からお迎えしてきたのだそうです。
(相生集)
 『地蔵菩薩霊験記』という足利時代の本にも、こうしたお話はいろいろと載っています。
出雲の大社の農夫が信心していたお地蔵さまは、十七、八歳の青年に化けて、その農夫が病気の時に代わりに外に出て、お神社の田んぼで働いたということです。
あまりにもよく働くので、お役人が感心して、休憩の時に盃を一つあげました。
喜んでお酒を飲み、その盃を頭の上にかぶって、その後どこへともなく帰っていきました。
次の日になって、農夫はこの話を聞き、「もしかしたら」と思ってお厨子(ずし)の戸を開けてみると、なんと本当にお地蔵さまが盃を頭にかぶったまま、足は泥だらけになって立っておられたといいます。
近江の西山村の佐吉という農夫が、病気で田んぼの草も取れずに困っていると、日頃から信心していた木本の地蔵さまが、いつの間にかやって来て、すっかり草を取ってくださいました。
朝のうちはお参りに行く道で見て、「あんなに草が生い茂ってどうしようか」と思っていた田んぼの草が、お参りからの帰りに見てみると、もう一つ残らずきれいに取ってあったのです。どうしたことかと思って近くにいた人に尋ねてみると、少し前に七十歳くらいの古いお坊さんが、田んぼのあぜ道をぐるりと歩いているのを見ただけで、ほかに誰も来た人はいないという返事でした。それでは、お地蔵さまがありがたいお力で助けてくださったにちがいないと思い、急いで引き返してお堂の中を覗いてみると、そのあたり一面に泥の足跡がついており、それがなんと仏さまを納めるお厨子の中までずっと続いていたと書かれています。

あるいはまた、田植えの時期に水の奪い合いで喧嘩があり、一人の農夫がけがをして寝込んでいると、夜の間に小僧さんがやって来て、その男の田んぼに水を引いてくれました。それを恨みに思う人間が後から矢を射かけたところ、小僧さんは逃げてどこかへ行ってしまいました。後になってこの家の地蔵さまを拝もうとして見てみると、背中に矢が立っており、田んぼの泥が足についていました。こういう「水引地蔵」のお話も昔からありました。

また、筑後国の田舎では、八講のお米を作る田んぼへ、夜になると水を引く者がいました。村の人が大勢で見に行ってみると、若いお坊さんが杖を持って田んぼの水の入り口に立ち、溝の水をかきまわしているのが、月の光ではっきりと見えました。杖を水の流れに入れてかき混ぜるように動かすと、細い溝川が波を打って、勢いよく上流へと水が逆流し、水は残らずその田んぼに入っていきました。
こちらも矢を射られてから後で調べてみると、地蔵さまの背中にその矢が立っていたといいますが、その矢についていた羽が山鳥の羽であったというのは、前にお話しした足利の片目清水のお話とよく似ています。この不思議な出来事にすっかり恐れ入った村人は、その田んぼをお寺に寄付して小さなお堂を建て、そこを「矢田寺」と名づけたということです。

こうしたお話は、お地蔵さまでなくても、例えば上総の庁南(ちょうなん)の草取り仁王だとか、駿河の無量寺の早乙女(さおとめ)の阿弥陀さまだとか、秩父の野上の泥足の阿弥陀さまといったものが、あちこちの村にありました。その中でも一番人間に近く、また子供らしいふるまいをなさったのがお地蔵さまでした。

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