慶応四年二月(この年の九月に明治という新しい時代になります)、天皇の命令を受けて奥羽(おうう)を征服するため軍を仙台に進めた九条道孝(くじょうみちたか)さまは、四月の初め、まず庄内藩(しょうないはん)の酒井忠寛(さかいただひろ)を討つため、副総督(ふくそうとく)の沢為量(さわためかず)に命じて軍勢を進発させました。
……この物語は、その進軍の途中で起きた出来事です。
一
仙台を出発した鎮撫軍(ちんぶぐん)が、山形から天童まで進んだとき、沢副総督は第三番隊の中村半九郎(なかむらはんくろう)という若い隊長を呼んで、こう命令を下しました。
「中村、おまえは第三隊の二百人をひきいて本隊とわかれ、月山(がっさん)から羽黒山(はぐろさん)を越えて、酒井軍のうしろへ不意打ちをかけてくれ」
――これはものすごく重要な大役だぞ。
半九郎はそう思って、ぐっと口をきりっと結びました。
「道が険しいのは言うまでもないが、それよりも困難なことがある。
それは羽黒山の奥に住んでいる土生(はぶ)一族だ」
「知っております」
「この一族が守っている梟谷(ふくろうだに)を突き破らなければ、庄内へ攻め入ることはできない。
きっと非常に苦しい戦いになるだろうが、ぜひともうまくいくようにしっかりやってくれ」
「かしこまりました!」
「すぐ出発してくれ。後援の部隊はあとから三百人おくる」
半九郎は、隊員全員で命がけの覚悟をきめました。
中村第三隊はそこからすぐに本隊とわかれ、寒河江(さがえ)の谷をさかのぼって左沢(あてらざわ)から月山の東がわをぐんぐん進んでいきました。
息もつけないほどの強行軍です。ひたすら進んで三日目の夕方には、ついに梟谷の手前にある草苅峠(くさかりとうげ)へ到着しました。
半九郎はそこで行軍をいったん止めると、二組の斥候(せっこう=偵察兵)をだして敵の様子を探らせました。
梟谷というのは、『袋谷(ふくろだに)』という意味にもつながる場所です。左には月山がすそ野をひき、右手には羽黒山がせり迫っていて、そのふところに深く入り込んだ、まるで袋のような形をした谷なのです。
……そしてそこには、何百年ものあいだ土生一族と呼ばれる地元の豪族が住んでいました。
命をいとわない勇ましい人たちで、険しい土地にがっちりとした砦(とりで)を築き、外から来る敵は一歩も通すまいと待ち構えているのです。
斥候たちは、夜になってから戻ってきました。
「敵の様子を探ってまいりました。梟谷には、ひとりの人間もおりません!」
思いがけない知らせに、みんなはびっくりしました。
「村の中まで見てきましたが、まるで人かげがありません。家々はからっぽで、それこそ犬の子一匹すらいないのです」
「砦の方にも、だれもいないようです」
みんなはあきれて、顔を見合わせました。
……銃隊長の石岡吉次郎(いしおかきちじろう)は、やる気満々で言いました。
「隊長! やつらは逃げたんです! 俺たちが来るのを知って、かなわないと思ったのでしょう。今すぐ突っ込んで占領しましょう!」
「いや、待て」
半九郎は落ち着いた声で制止しました。
「土生一族が一戦もせずに逃げるはずがない。これには何か裏があるはずだ。
今夜はここに野営しよう。進むのは明日だ」
「――銃を置け! 野営の準備だ……!」
命令がみんなに伝えられました。
そして、まわりを厳しく警戒しながら、その夜は峠で野営をしました。
日が明けて、四月十五日になりました。
半九郎は全隊員の銃に弾を込めさせ、さらに斥候を前へ進めながら、立ちこめる朝霧の中を十分に気をつけながら進軍していきました。
――何事もありませんでした。霧が晴れるにつれて初夏の強い日差しが差し込み、若草や木々の葉に乗った露がキラキラと美しく輝きました。
……小鳥たちは枝から枝へと楽しそうにさえずり合い、藪(やぶ)の中には小さな動物が走り回る姿も見えます。まったくもって平和な山の景色でした。
けれど、
――いつ、どこから敵が隠れて襲ってくるか分からない?
半九郎のそういう心配は、まわりが静かであればあるほど、かえって大きくなるばかりでした。
中村第三隊は、ついに梟谷の村に到着しました。
半九郎はまっ先頭に立って、村の中心へと乗り込んでいきました。
暑いくらいに太陽が照りつけるもと、五、六十戸ほどの家々がひっそりと静まり返っています。だんだん下りになっている広い道にも、カギ型に曲がった広場にも、鶏が一羽、猫が一匹すらいないのです。
「全隊、休め! しかし銃は放すな!」
半九郎はそう叫んでから、ふと振り返りました。
「銃隊長、いっしょに来てくれ」
「村の中を見まわってこよう。どうも何かありそうだ」
「食料ぐらいは残っているかもしれませんな」
石岡銃隊長は、なんだか半九郎の心配事を笑っているような様子でした。
二
五人の隊士を連れて村中を見まわった半九郎は、やがて村の中心の一段高くなっている砦へと上がっていきました。
大きな自然の石を積み上げて作られたその砦は、古い時代のお城のような作りをしていて、矢倉(やぐら)もあり、防壁もあり、道はカギ型からカギ型へとしっかりつながっていました。
――これだけ立派な砦があるのに、どうして一発の弾丸も撃たずに逃げ去ったのだろうか?
半九郎には、土生一族のやり方がますます妙なことに思えてきました。
「隊長! 人がいます! 人が!」
武器庫の方から、隊士の叫ぶ声が聞こえてきました。半九郎と石岡吉次郎がかけつけてみると、二人の隊士が倉のなかから何かかつぎながら出てくるところだった。――見ると、両手両足をしばられ、猿轡をはめられた十四、五歳の美しい少女であった。
「倉のなかをしらべようとして戸をあけると、すぐそこのところまでころげてきていたのです」
「縄をといてやれ」
手足のいましめを切り放し、猿轡をといてやると、少女は安心したのか、くたくたとその場で気を失ってしまった。
「誰かこの娘を運んでいって手当をしてやれ、だいぶおびえているようだから、親切にあつかうんだ」
半九郎はそう命じてふりかえった。
「銃隊長、みんなここへ呼べ」
「はっ、――」
「敵になにかはかりごとがあっても、この砦なら後援隊が来るまではふせげるだろう」
「もうその心配はないでしょうが」
「いや、まだわからん」
半九郎は月山の方を見ながら、かくしきれぬ不安の顔つきでそうつぶやいた。
全隊士は砦の中へ入った。
それぞれの部署がきめられ、宿舎のわりあてができた。やがて日が暮れかかると、炊事をする火が赤々と谷間の夕闇にかがやきだした。
「――隊長」
「なんだ」
「さっきの少女がどうやら起きられそうです」
「そうか、行ってみよう」
半九郎は侍長屋と思われる小屋の中へ入っていった。
……少女は夕闇の中に、しょんぼりとすわっていた。
「どうだ、少しは気分がよくなったか」
「……はい」
「我々は天子様の兵隊だ。おまえを苦しめるような悪者ではないから安心するがいい。――私の名は中村半九郎という。おまえはどうしてこんなところにしばられていたのか」
「あのう、――わたくしは……」
まだ声がふるえている。
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