初級翻訳・ハス仙人 第4話

ハス仙人

「きみの曼陀羅華だよ、見てごらん」

パットが中に入れておいた植物がかたまって腐っていた。船内が暖かいために急激に分解して、ゴムマットの上で単なる半液体の塊になっている。パットが入口へ引っ張りだし、マットごと放り投げた。

まだ臭っている船内に入り、ハムが換気扇を回した。もちろん換気は冷たいものの、純粋な下層風のため雑菌や塵がなく、8千※も凍結海や山々を吹き渡ってきたものだ。

ハムが扉を閉め、ヒーターを入れ、バイザーをおろし、パットを見てニヤリ。
「そうか、あれがきみの美しい植物か」
「だった。美しい植物だったのよ、ハム。批難しないで。遭遇したことない温度に晒した為だ。すぐ取りかからなくちゃ、変質するから」

とパットはため息をついて、標本袋をテーブルに投げた。

ハムはブスっとして、食事の用意、その見事な手際は本当の熱帯人だ。パットはと見ると、標本にかがみ込んで、2塩化溶液を注入している。

「パット、トライオップスが暗黒側の最上級生物だと思うか」
「間違いない。もし、いたとしても、とっくの昔にこの悪魔に絶滅させられている」

でも、パットは完全に間違った。

4日でロケット近辺の荒れ地を大方調べつくした。パットは多様な標本を集めた。ハムの常時観測項目は温度、磁力変化、下層風の方向と速度。

そこで基地を移動し、ロケットを吹かし、南方へ向かうその先には、おそらく巨大にして不思議に満ちた永劫山が、氷壁の向こう、暗黒世界の夜側にそびえている。噴射圧力を絞って、わずか時速80※でゆっくり飛ぶ理由は、夜間飛行であり、前照灯をたよりに、大きく迫る山頂を警戒するためだ。

2回着地して、そのたびに1日か2日の調査で充分、最初の基地と同じだと分かった。血管を持つ同じような丸っこい植物、同じような永久下層風、同じように血に飢えた3つ目怪人が高笑いしている。

だが3番目の所は違った。

着いたのは大永劫山の裾野にある寒々とした荒野平原。西方のはるか遠方、水平線の半分がまだ偽日没の緑色に染まっているが、真西の南側全体は真っ暗、巨大な壁に隠れ、山脈が頭上40※も真っ黒な天空にそびえている。もちろん山々は永久暗夜にあるから見えないが、ロケットの中にいる2人には、これら途方もない山頂がぐっと身近に感じられた。

そしてもう一つ、永劫山による大きな影響がある。暖かい。一般的な薄暮地帯ほど暖かくはないが、下の平原よりずっと暖かい。ロケットの片側は-18℃、もう片方は-15℃。巨大な山頂が上層風のところまで突き出ており、上層風をかき混ぜて、暖かい空気を下へ導き、冷たい下層風を和らげている。

ハムは前照灯に映る台地をうっとおしく眺めてぶつくさ。
「好かんな。この山は絶対に好かん。きみがこの山を横断して寒帯へ戻ろうとしてバカを見たせいじゃないけど」

パットがオウム返し。
「バカですって。誰が山の名付け親? 誰が横断した? 誰が発見した? 私の父でしょ」

ハムが言い返した。
「それで、後継者だと思ったの? ただ口笛を吹くだけで、奴らが横になって死んだふりをして、狂人道が公園の散歩道に変わるか。それじゃ今頃、きみは峡谷で白骨になっているよ。もし僕がきみを運び出さなかったなら」

パットが吐き捨てた。
「あーあ、臆病なヤンキーね。わたし外を見に行く」

パットは防寒着を着て、扉へ足をかけ、そこで止まり、ためらいがちに訊いた。
「あなた、行かないの?」

ハムがニヤリ。「行くとも、誘うのを待ってたんだ」
 ハムは自分の外出着を羽織ってついて行った。
ここは違っていた。
見たところ台地は同じような荒涼地帯で、氷や石があり、下の平原にもあった。
風化した尖塔は究極の幻想的な姿であり、荒々しい風景がヘルメットランプの明りに輝き、奇怪な地形は最初に遭遇したものと一緒だ。
しかしながらここはちっとも寒くない。
変なことに、この奇妙な惑星は高度があがるにつれて、冷えるのでなく、地球のように暖かい。
なぜなら上層風の領域に近づき、ここ永劫山では下層風が強大な山頂で阻止され、めったに吹かないからだ。
そして、植物が豊富だ。
いたるところに血管を持つ丸い塊があり、そのためハムは気をつけねば、不愉快なことになる。
踏んづけたが最後、痛いというすすり泣き声を聞く羽目になる。
パットは気にも留めず、泣き声は単なる屈性だと言い、標本を引っこ抜いたり解剖しても痛みは食されるリンゴと同じで感じない、そしてなにより生物学者の仕事は生物学者に徹することだという。
山頂のどこか遠くで、3つ目怪人のあざ笑い声が甲高く響き、光線の先端で動く影に、ハムは真っ黒い悪魔の姿を何回も見たような気がした。
でも、いるとしても明かりが2人を安全な距離に保っている。
だって石が1個も飛んでこないもの。
だが、このように移動光源の真ん中を歩くのは奇妙な感じだった。
絶えず感じたのは、もしかしたら視界のちょっと先に、天のみが知る奇妙で信じられないような生物が潜んでいるかもしれない。
もっとも、理屈的にはこのような怪物であれば未確認のままであるはずがない。
光源ビームが先方の氷壁を照らし、土手か崖が行く手の左右に伸びている。
パットが突然指をさし、明かりを向けて、叫んだ。
「あそこを見て。
氷洞窟、というか隠れ家よ、分かる?」
 ハムが見たのは、たぶんマンホールふたほどの黒々とした開口であり、ずらり氷壁の下に並んでいる。
何か黒いものが笑いながらガラス質の坂をさっと通り過ぎた。
3つ目怪人だ。
怪獣の巣穴か。
ハムがしげしげのぞいて、パットにささやいた。
「何かいるぞ。
見ろ、半数の開口に何か立っている。
いや、単なる岩が入口をふさいでいるのか」
 用心して拳銃を構え、2人は進んだ。
ブツは動かなかったが、ビームが強く当たるほどにますます岩のようでなく、ついに血管模様と多肉質な丸っこい生命体だと分かった。
少なくともこの生物は新種だ。
いまハムが分かったのは眼のような1列の斑点、その下に足が何本もある。
大きさと輪郭は35センチ|籠を逆さにしたような形、血管が走り、肉が分厚く、これと言った特徴がない。
ただし、眼の斑点は真ん丸だ。
そして、図らずも見えたのは半透明の閉じたまぶた、どうやら我々の光源から眼を保護しているようだ。
2人はこの生き物からわずか4メートルのところにいた。
パットは一瞬躊躇したあと、この動かない不思議生物へ進み出た。
「まあ、ハム、ここに新種がいる。
こんにちは、新種さん」
 その直後、2人は凍りついた。
びっくり仰天、完全に打ちのめされ、うろたえ、驚愕、混乱した。
てっぺんの薄膜から高音の声がカシャカシャ出てきたように思えた。
その生物が言ったのは、
「こんにちは、しんしゅさん」
 ぞっとするような沈黙があった。
ハムは拳銃を構えたが、もし使う必要があったとしても使えなかっただろうし、覚えてもいまい。
立ちすくみ、口がきけなかった。
だが、パットがかろうじて言った。
「ありえない。
向性だ。
単に反響しただけだ。
でしょ、ハム、でしょ?」
 ハムがまぶた付きの眼をしげしげ眺め、前のめりになって叫んだ
「と、と、とうぜんだ。
違いない。
いいか。

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