銀の匙

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中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第1話

前篇一 私の書斎にある、がらくたを詰め込んだ本箱の引き出しに、昔からひとつの小箱がしまってある。 それはコルクの木でできていて、板の合わせ目には牡丹の花模様の紙が貼ってある。もとは外国から来た粉煙草でも入っていたものらしい。 特別に美しいと...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第2話

それは、家もなし、子供もなし、年をとっているしで、何の楽しみもなかったせいもありますが、もうひとつ、私を迷信的に可愛がる不思議な理由がありました。というのも、もし今も生きていれば私と一つ違いであるはずの兄が、生まれて間もなく「驚風(けいふう...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第3話

「でろれん祭文(さいもん)」という芸人は、貝を「ぶうぶう」と吹いて、金の棒みたいなものを「きんきん」鳴らしては「でろれん、でろれん」と言うので、私はちっとも面白いと思わなかったのですが、伯母さんが好きだったものだから、度々連れて行かれました...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第4話

金色の獅子は銀色の目をギョロリとむき出し、てっぺんに宝珠をのせています。真っ赤な狛犬は、金の目を光らせながら、たてがみを振り乱しています。伯母さんは、お犬様や丑紅の牛をお友達にして遊ばせてくれたのと同じように、獅子や狛犬ともすっかり仲良しに...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第5話

おがくずをふっくらと両手にすくってこぼすと、指のあいだがこそばゆいのも嬉しいものです。定さんはいつも人よりあとに残り、パンパンといい音のする柏手を打って、お月様を拝んでいました。私はいつまでも仕事場にうろついていて、それを見るのを楽しみにし...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第6話

杉や榎(えのき)、欅(けやき)などの大木が立ち並んだ崖の上から見渡すと、富士山や箱根、足柄などの山々が光り輝いて見えます。私はいつになく喜んで昼飯を食べていたのに、運悪く向こうから人がやってきたので、すぐに箸を放り出して「もう帰る」と言い出...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第7話

私はその中で「これがほしい」と言ったことは一度もなく、伯母さんがあれこれと一つずつ出して見せて、うまく当てるまでは首を振ってぐずぐず言っているのですが、たいていの場合は例のお犬様と牛を出されれば機嫌が直ってしまうのでした。なにか気に入らなく...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第8話

伯母さんは百人一首の歌をすべて暗記していて、床に入ってから、独特のもの寂しい節をつけて、一晩に一首か二首ずつ、根気よく私に覚えさせました。伯母さんが「たちわかれ」と言う。私が「たちわかれ」とあとをつく。「いなばのやまの」「いなばのやまの」「...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第9話

巴旦杏の古い木があって、雲のように青白い花を咲かせましたが、それは私たち兄弟にとって何よりの楽しみで、烏がやってくるのを気にしては追い払いに行ったものです。大きな実が鈴なりになるので、枝がしなって地面についてしまいます。手の届くところは手で...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第10話

鼠の芸当が済むと、女は青と赤に染め分けた籠から一羽の鸚鵡(おうむ)を出して口まねをさせます。鸚鵡は手のひらへおとなしく乗って、女の言う通りにさまざまなことを言うのですが、機嫌の悪いときは冠毛(かんもう)を立ててギャアギャア鳴くばかりで、なん...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第11話

――お国さんのお父様は阿波の藩士で、当時有名な志士だったということを、近頃になって初めて知りました。――伯母さんはいつのまにか、お国さんが体が弱くておとなしいことや、頭痛持ちであることまで聞き出し、これこそ最高の友達だと思ったのです。ある日...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第12話

庭へ曲がる角には竹矢来(たけやらい)で囲われた場所があり、鵞鳥(がちょう)が二羽飼われていて、それが怖くてたまりません。そっと通り抜けようとするたびに、恵比寿様の冠みたいな頭を突き出して「ガワガワ!」と追いかけてくるのです。やっとの思いでそ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第13話

水飴のほかに、当て物(くじ引き)や駄菓子なども持っているので、みんな我先にと赤や青の紙をめくってくじを引きます。親父さんは桶のなかに琥珀色に踊っている飴を、キュッキュッと引っ張り上げては、木箸の先でテラテラした坊主頭のような形を作ります。そ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第14話

姉たちは「いいものが買ってもらえてうらやましい」と言いますが、そんなものは見たくもありません。お犬様の置物と、丑紅(うしべに)の牛のほかに、何もいらないのです。そうして外ではお国さんと遊び、家では伯母さんと木の実を分け合って遊んでいればそれ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第15話

こりゃあ、すまないことをした」と言いながら地面へ下ろして、ハンカチで涙を拭いてくれました。あとで姉に聞くと、それは姉のクラスの担任の先生で、私をかわいがってくれたのだそうです。そして「これからあんなことをされても、泣いちゃいけないよ」と言わ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第16話

彼は赤ら顔のために「猿面冠者(さるめんかじゃ)」とあだ名され、また長平という名によって「ちょっぺい」とも呼ばれている、伝法院前の魚屋の息子でした。それ以来、ちょっぺいはただ一人の知り合いになりましたが、こちらとしてはできることならちょっぺい...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第17話

ひらがなの「を」という字は、どこか女の人が座っている姿に似ています。私は小さな胸に、弱い体に、何か辛いことがあるときには、それらの「を」の字に慰めを求めていました。彼らはよくこちらの思いを察して、親切に慰めてくれたのです。こちらへ越してきて...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第18話

そうしたら彼がいきなり私のすねを蹴ったので、私も負けずに横腹を突いてやりました。そんなふうに内緒で喧嘩をしているうちに、とうとう先生に見つかってしまい、授業が終わってから二人だけ残されました。先生はいつになく怖い顔をして「なぜ喧嘩をしたんだ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第19話

四十二ある日のこと、私はおけいちゃんがお祖母様に連れられて学校へ入ってくるのを見て、今さらながらに胸をときめかせました。その翌日から、おけいちゃんは包みを抱えて教室へ入るようになりましたが、新入生なので、一番前の私の隣に座らせられました。私...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第20話

おけいちゃんは、誰が自分を助けてくれているのかも分からず、悔しそうにしゃくりあげながらされるがままになっていました。しかし、ようやく涙を止めて「一体誰かしら?」というように袖の陰から顔を覗かせたとき、とても嬉しそうにニッコリと笑いました。長...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第21話

あまりに大人びて几帳面に詫びられたので、こちらはかえってどぎまぎしてしまいましたが、こんなに人に気を遣わせるほど悩ませたのかと思えば、なんだか面憎くもなり「あんなにあやまるのではなかった」と思いました。おけいちゃんは、昨日あれから家に帰って...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第22話

生徒らは思いのほかな話し手の態度に魅せられ、珍しく面白い話に引き込まれて、いつとはなしに鳴りを静めていました。話が済んだときに先生は、「今日は男の子のほうはみんなよく話したのに、女の子はひとりも出なかったから負けのはずだったが、今の(おけい...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第23話

それからおけいちゃんは、ぱったり来なくなりました。たまに顔を合わせても、にこりともせずに隠れてしまいます。富公が意地悪をしたのだ――そう思えば、私は小さな胸に煮えくり返るほどの嫉妬と憤怒を覚えずにはいられませんでした。学校でも彼はみんなをけ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第24話

伯母さんは家中のガラクタを持ち寄って、貝細工の屏風を立て回したり、千代紙のお三方にちりちりを盛ったりして調度の足りないところを補い、子供の目にはさも立派なお雛様に見えるようにうまく作ってくれるのです。緋色の毛氈(もうせん)を敷いた壇の上にき...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第25話

すると、ほかの者もてんでに、「獅子の毛だ」「獅子の毛だ」と言います。バカ者たちは、初めて見た獅子の毛――それもたぶん間違いなのだろうが――に見とれていて、ほかのことは何ひとつ覚えてはいないのです。そんなふうに根掘り葉掘りたずねる私をさんざん...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第26話

彼はふくよかな丸顔の頬についた、そら豆くらいの大きさのほくろを看板にして、学校中の人気者になっていましたが、人が面白半分に「蟹本さん、ほっぺたに墨がついているよ」と言うと、「ふ、ふ、ふ」と笑って、「すーみーじやーなーいーんーだ。ほーくーろー...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第27話

何かの縁で地獄の道連れとなってしまったこの人を「兄さん」と呼ぶように、子供の憧れが空をめぐる冷たい石を「お星さん」と呼ぶのが、そんなに悪いことだったのでしょうか。五ある時、これも教育という名目で、海岸へ連れて行かれたことがありました。兄は、...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第28話

平らな地面と傾斜した浜の境目には、盛り上がった砂丘があり、そこに雑草や風に吹き溜められた黒松がへばりついています。また、すっきりとした漁船が引き上げられていて、舟を滑らせるための枠や、鳥の巣みたいな生け簀、あか汲み、縄、ウニの殻、ヒトデの殻...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第29話

母や伯母は「面倒だ、面倒だ」と言いつつも、実はいくらか得意そうで、もう二度と戻ることのない昔の苦労を懐かしみながら、楽しそうにいそいそと桑を刻んでやります。はじめはただ葉の下に隠れているだけだったのが、日に日に大きくなり、坊主頭を振り立てて...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第30話

けれども、誰ひとり教えてくれる者はなく、部屋に閉じこもって何度も何度も描き損ないながら、さんざん苦心をして、ひとつの線の引き方も、ひとつの色の出し方も、みんな自分ひとりで工夫しなければなりません。併しながら、これは私にとって言わば自由な創造...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第31話

いろいろな理由から、無邪気さや快活さ、普通の子供が持っているはずの幸福を多く失っていた「子供らしくない子供」が、本当の子供らしく楽しい時間を過ごせた場所。引っ込み思案で憂鬱な子供が、太陽の光の下でしか得られないような、自然についての子供らし...
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初級翻訳・銀の匙 第32話

竿の先でちょんちょんと叩いてみると、イガがぴょいぴょいと首を振って、いかにも美味しそうな手応えがします。そこでこつんと一つ叩くと、バラバラと落ちてきます。飛んでいって拾い集めます。そして三つに一つは、味見といって食べてしまいます。イチゴ、柿...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第33話

いつになく近くに座らされて汗びっしょりになりながら、今までこの人を死ぬまでも石仏みたいにして鈴を鳴らすだけの人と決めつけていた私は、その一挙一動を何か珍しいことのようにじっと眺めていました。老僧は大きな硯(すずり)を持ち出して墨をすらせ、筆...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第34話

暇を持て余した、気楽で気のいい人たちは、「いつも伯母さんが自慢している『〇〇ちゃん』ってどんな子かしら?」という好奇心もあってやってきたのですが、その評判の「〇〇ちゃん」が普通の子供だと知ると、親切にも一度家へ帰って、砂糖をたっぷりまぶした...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第35話

そこで今度は、通りがかりのおじいさんに話したところ、おじいさんは造作もなく引き受けてくれて、「ともかく自分の家へ来れば、善光寺へ行く飛脚と一緒に立たせてやる」と言ってくれました。ばあやはそれを真に受けておじいさんについて行ったのですが、一ヶ...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第36話

私はいつもの通り、そんな当たり前のことに原始的な嬉しさを感じて、幸福な半日を歌い明かしたのち、夏の日の海に太陽が沈むころ、ようやく譲葉(ゆずりは)の垣根の中へと帰りました。二十私は足を洗うために裏庭を回って、もう風呂が沸いている時間だろうと...
中 勘助

初級翻訳・銀の匙 第37話

木霊も声をひそめて、親しい歌い手たちの静かな時間に水を差すことはありませんでした。晩ごはんの食卓には真っ白なテーブルクロスがかけられ、ばあやは横に、姉様と私は向かい合って座りました。恥ずかしいような、嬉しいような、寂しいような、悲しいような...
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